黄金の二重円
パナル草の籠を持ってきてしまったことに気がついたのは、塔の扉の前で足を止めたときだった。
塔の入り口は、観音開きの厳かな扉だ。
おそらく黒檀でできているのだろう。蔦のような曲線が目立つ地竜族の
「じゃ、開けるぞ」
ローワンが黄金の取っ手に手をかける。
「むっ。お願い」
扉は重い音を響かせながら、ゆっくりと押し開かれていく。
まばゆい光に、一瞬目を細める。
ローワンを先頭に、一人ずつ塔内に足を踏み入れる。
わたしが最後だったことは不満だったが、しかたがない。それだけわたしの存在が大切なのだろう。
『ようこそ、フィオナ・ガードナー。我が一族の真髄、世界の中心の塔へ。歓迎するよ』
「〜〜〜〜っ」
くすぶっていた腹立たしさにまかせて、ユリウスと名前を呼ぼうとしたが、声にならなかった。パクパクと口を開け閉めしただけ。
「フィオ、どうかしたか?」
ターニャが心配そうに顔をのぞき込んでくれたが、首を横に振ることしかできなかった。
『クククッ。約束をかわしたことを、もう忘れたのか?』
では、どうやってユリウスと会話をすればいいというのだろうか。彼は声しか存在しないというのに。
『言っただろうが。心を読もうと思えば読めると』
クククッと、ユリウスが笑う。
「あの
興奮したアンバーの声に、我に返った。アンバーの視線の先には、黒い石の枠にはめ込まれた色とりどりの色硝子の上の、巨大な光石があった。
「むぅ!」
アンバーが興奮するのも無理はない。
巨大な光石はわたしたち七人が両手を広げても、囲むことができない大きさだ。
それが、どうも浮いているようにみえる。支えらしきものは、どこにも見当たらない。
光石のすぐ下の色硝子のほとんどは、青い。ところどころ、赤や黄色の色硝子がはめ込まれている。まるで、夜の星空のようだ。
「狼の明る星に、羅針盤の星、西風の息吹……」
星読みも司る船頭のダグラスの息子、アーウィンが一つ一つ指差しながら、星の名前をつぶやいていく。
「あっ! これ、今夜の星空だよ。春の初月19日に見える星たちだ」
歓声をあげるアーウィンに、アンバーが興味深そうにあれこれ質問している。
わたしは、それを聞きながら頭上の光石を驚嘆の目で見上げていた。
『あの坊や、船頭の息子だろう。まだまだ未熟だね。大切なものを見落としていることに、まるで気がついていない』
「それはどういうこと?」
苦笑混じりのようなユリウスの言葉に、思わず声に出して追求してしまった。
「フィオ? あ、床に大陸の地図が描かれてるんじゃないかって、言ったんだよ」
耳ざといヴァンが振り返って、彼らがしていただろう会話の内容を教えてくれた。
そうではないのだけど、そういうことにしてもらおうと曖昧にうなずいてみせる。
『さて、フィオナ。中央まで来てもらおう。贈り物があると言ったのを忘れたわけではあるまい?』
「むっ」
みんな、思い思いの感想を口にしている中、ユリウスのせいでロクに感動すらできないでいる。
床には、色硝子の影が落ちている。黒い床の上の白い線が、ヴァンが言っていた地図を描いているのだろう。
『
確かに、金色の二重円があった。外側の円が、両手の人差し指と親指で作る輪くらいの大きさしかなく、内側の円は二回りほど小さい。
探さなくては、見逃してしまうような二重円だ。
『黄金の二重円は、一なる女神さまの瞳を表す。そして、我が一族の……』
強く心に言葉を思い浮かべると、ユリウスはつまらなそうに舌打ちをした。
『つくづく、可愛くない小娘だ。そうだとも、我が一族の
名も無き始まりの竜王。
初めて聞く呼び方だ。確かに始まりの竜王の名前を、わたしは知らない。始まりの女王のように、畏れ多くて名前を呼ぶことを避けるうちに忘れ去られたのだとばかり。
『利き手は右だろう。ならば、右手を二重円の中に置け』
考えるよりも先に、パナル草の籠を床においていた。
これが、約束の力だろうか。
わたしの意志に関係なく、膝をつき右手を二重円の中に置いていた。
「世界を望めば、世界は我が手の中に」
勝手に言葉が紡がれたことに気がつくと、二重円が輝き始めた。思わず、手を離してしまうほど、眩しい黄金の輝き。
それはまるで、まだ見ぬ世界竜族の瞳を思わせた。
「フィオ!」
さすがに、みんな慌てて駆けつけてくれる。けれども、光はすぐに消えた。
「その腕輪、どうしたんだい?」
「え?」
ターニャに言われて、右の手首を見ると二つの金色に輝く腕輪があった。
二つとも、手首よりも一回り大きい細い腕輪だった。なんの変哲もない黄金の腕輪だったが、まるで重さを感じない。右手を振ると軽やかな音をたてる。外そうと触れると、ひんやり冷たい。
「む? 外れない?」
簡単に外れそうな腕輪だったのに、どういうわけか外れない。
ローワンは、わたしがふざけているのだと受け止めたようだ。
「おいおい。フィオちゃん、なにやってるんだよ。…………ありゃ?」
苦笑いしながら、ローワンが腕輪を外そうとしたけど、やはり外れなかった。
おそらく、ユリウスが困り果てているわたしたちを見て笑っているのだと思うと、なんとしても外したい。けれども、腕輪は外れない。
腕輪を外そうと必死になっていると、アンバーが興味深そうに腕輪を見つめてきた。
「そもそも、この腕輪、どうしたんだよ。さっきの光もだけど」
「そ、それは……」
なんと説明すればいいのだろうか。
原因となったユリウスは、腕輪を手にしてから沈黙している。
腹立たしいやら、なにやらで、イライラしながら言い訳を考えていると、ヴァンが不安そうにあたりを見渡した。
「なぁ、さっきから、変な音がしてるんだが……」
「怖いこと、言わないでくださいな」
ライラが引きつった顔で言うが、聞こえていたのだろう。
息をひそめて耳をすます。
確かに、聞こえた。
カチカチと歯車が動くような音が、聞こえた。
「あ、あれ!」
アーウィンが指差した頭上を見上げると、色硝子の星の位置が変わり始めていた。初めはゆっくりと、次第に激しく。
カチカチカチカチッ……
不安を煽る音も、次第に大きくなっていく。
「窓も見ろよ!」
ローワンに言われて数え切れないほどの窓を見ると、明らかに数が減っていっている。
わたしのせいだと、誰も言わないけど、どう考えてもこの腕輪を手に入れてしまったことが原因に違いない。
ターニャは腰の戦斧に手をやった。
「もっと、固まった方がいい。どう考えたって、まずいだろう!」
言われるまでもないとみんなは、わたしの周りを囲む。
目まぐるしく動く色硝子の星たちに、次々と閉じていく窓たち。
音はガラガラと空気を震わせている。いや、塔そのものが振動している。
ガタンッ――。
ひときわ大きな音がして、色硝子の星たちの動きは止まり、残り少なくなった窓も閉じるのをやめた。
ほっと胸をなでおろしたのも、つかの間のことだった。
「外に出る……嘘だろ!」
わたしの手をとってローワンが走り出すよりも先に、床が音もなく傾き始めたのだ。ゆっくりと確実に南へと。
「どこかに、掴まるんだ!」
「どこに掴まれって言うんだよ、ヴァン!」
アンバーが喚いたとおり、どこにも掴まる場所なんてない。
ローワンがもう一度、わたしの手を引く。
「走るんだよ! 今ならまだ間に合うだろ!」
「むっ! わかった」
滑るように開けたままの観音扉に向かって走る。
「嘘だろ!」
今度は、アーウィンが悲鳴のような声を上げた。
もう少しというところで、重い音を立てて扉が閉まってしまったのだから、無理もない。
「へ?」
間抜けな声をあげたのは、誰だっただろうか。
扉が閉まることが合図だったのか、床が一気に傾いた。
わたしたちは為す術もなく、悲鳴とともに暗闇へと滑り落ちていった。
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