第三章 そして世界は動き出す

世界の縮図

 名も無き黒き竜は、世界を望んだ。

 やがて、名も無き黒き竜は始まりの竜王となり、世界を手に入れた。


 (中略)


 故に、我ら世界竜族は世界を望まねばならない。そして、世界を手の中におさめなければならない。


 名も無き始まりの竜王のために。


 『世界竜族の伝承』より




 ―――


 春の初月19日。

 そう、流星のライオスの水葬が執り行われた日の宵の口に、忌々しい黒い都に戻ってきた。


 いつものように二つの満月が昇り始めている。


 何度思い返しても、忌々しい。

 変化できるようになったばかりの俺は、ユリウスさまの言いつけどおり、三日ほど世界を自由気ままに飛び回っていた。

 空を飛ぶことを覚えたばかりの竜にとって、どんなに魅力的な言いつけだったことか。人間でも、想像できるだろう。


『行ってらっしゃい』


 穏やかに微笑みながら手を振ってくれたユリウスさま。

 それが、最期の姿となると知っていたら――。


「……馬鹿馬鹿しい」


 忌々しい記憶をいちいち思い返している自分が、馬鹿馬鹿しかった。


 黒い塔の上に降り立つと同時に、人の姿に変化する。


「名無し! 名無しぃ! どこにいやがる。名無しぃ!」


 いつもなら呼ばなくても、向こうからうっとうしいほど話しかけてくるというのに。


「名無しぃ! 名無しぃ……ちっ」


 まったく、腹の立つやつだ。


 初めて二つの満月が夜空に昇った夜。

 不吉だと感じつつも、黒い都に戻らなかった。

 不穏な噂を耳にして戻った時には、ユリウスさまの魂は楽園へと旅立ち、体は世界に還った後だった。

 誰もいなくなった黒い都で、どれだけ打ちのめされていたことだろうか。数日どころではなかっただろう。

 何もわからなくなっていた時に、突然ふざけた声が聞こえてきた。


『ねぇ、ねぇ、聞こえるぅ? 聞こえてるんでしょう。無視しなぁい!』


 それが名無しだった。名前がないとかぬかすから、俺が名無しと名付けた姿なき声。

 馬鹿にしたふざけた態度にイラ立ちつつも、名無しの話を聞くしかなかった。

 悔しいことに、異端児と嫌われてきた俺なんかよりも、名無しのほうが賢かったからだ。なぜ、こんな有能なやつが自殺などしたのだろうかと思ってしまうほど、賢いやつだ。


「……しかたない。俺だけでやるか」


 どうせ、すぐに向こうから声をかけてくるに決まっている。


 真っ平らな塔の上の中央で、左のかかとに力を込めた。

 鏡のように磨き上げられた屋根の上に、中心から白い光の輪が広がり消える。

 次の瞬間には、塔の中にいた。

 光一つない暗闇くらやみ。しかし、徐々に暗闇が薄闇へと変わっていく。

 天井に近い位置にある南北、東西に走る通路の交点に立っている。通路といっても、人ひとり通れるだけの幅の太めのはりのようなものだ。

 下に目をやれば、巨大な光石こうせきが浮かんでいる。しだいに強くなる光に、暗闇が拭われていく。

 中に世界竜族が足を踏み入れることで、装置が動き出すようになっているらしい。


 ひらりと通路から北側の壁に向かって跳ぶ。

 梁のような通路が消えると同時に、黒い壁に窓ができ始める。

 数を増やす無数の窓の外には、墓場のような都が広がっているだろう。ユリウスさまがいなくては、ロクな思い出もない忌々しいだけの都。


 ゆっくりと光石こうせきが上昇していく。

 塔の高さの半分ほどで柔らかい輝きを放つ乳白色の光石の下になると、空中で静止しなくてはならない。


「ふぅ」


 慣れない。

 何度やっても、静止するタイミングを間違えそうになる。


『ファビアンには、まだ早いよ』


 ユリウスさまから離れたくなくて、連れて行ってとせがんだ時に、困ったように笑って断られたわけが嫌でもわかる。


 俺は有能じゃない。馬鹿にしてきてムカつく奴だが、名無しのほうが有能だ。


 黒と白で床に描かれたノアン大陸の地図だ。世界の縮図と名付けられるほど、詳細な地図。


「で、次は確か……ちっ」


 腰に手をやって、豆の入った革袋を呼び出していないことに気がつく。

 目を閉じて、いつもの場所に置いてある革袋を思い描く。ずっしりとした重みを腰に感じると、顔がほころぶのはしかたない。


『まぁた、豆食べてるのぉ?』


「うるさいっ。というか、今まで何してた?」


 名無しは本当に腹が立つ奴だ。

 クスクス笑う声が、癪に障る。


『二十八年ぶりかなぁ。ファビ坊も名無しに会いたかったんだねぇ。うんっ、名無しもファビ坊に会いたかったよぉ。クスクス……』


「だ、れ、が、お前に会いたかっただと?」


『ファビ坊に決まってるじゃぁん』


「ふざけるなっ」


 俺が怒りを露わにすればするほど、名無しは面白がる。わかっていたが、ついムキになってしまう。


『そぉれでぇ、名無しのことを待っていられないような事があったのかなぁ?』


 頭上では光石の上昇が止まり、壁からいくつもの色硝子の装置がせり出てくる。

 何度も名無しから、この塔の仕組みを教えてもらったが、ほとんど理解できていない。俺が無能だったこともあるだろうが、名無しの間延びした口調にも原因はあるはずだ。

 そもそも、名無しは誰かにものを教えることなんかできやしないだろう。教えることよりも、馬鹿にするか挑発することが好きなのだろう。

 豆を口に運ぶ手を止めて、目を伏せる。


「流星のライオスが死んだ」


 世界の縮図が青く色づきはじめてる。壁からせり出した装置の色硝子の仕業だ。


『知ってるよぉ。千年間、ご苦労様でしたぁ』


「……それだけか」


 名無しにとって、それだけだろう。わかっているが、いらつく。

 すべての窓が開き切り、装置が初期位置につくまで、まだ時間がある。


 豆を一粒ずつ口に運びながら、何もない空中で中央に歩み寄る。


「流星のライオスが、誰かにユリウスさまの遺言を伝えたんだ。……氷刃のディランあたりにな」


『…………ふぅん。流星の後継者っていう根拠は?』


「は?」


 どういう意味だ。

 千年もの間、体が限界を超えても遺言を明かさなかった水竜が教えるとしたら、新たな長となる氷刃のディラン以外にいないだろう。


『わかってないなぁ、ファビ坊は。クスクス……』


「もったいぶるなよ、名無し。あの流星のライオスが、もういないんだぞ。世界がどんなに危うい状況かよくわかっているだろう」


『もっちろん! もちろん、わかっているさぁ。ファビ坊よりも、よぉっぽどわかってるさぁ』


 クスクスと笑う名無し。

 声を荒らげようとして、ふと気がつく。

 長いつきあいだが、こんなに上機嫌な名無しは初めてではないかと。

 今までも、よく笑うし、よくからかってくる奴だったが、どこか芝居がかってた。心の底から上機嫌な名無しは、初めてではないかと。


「何がそんなに、おかしい! 世界が危ういんだぞ」


『ごめん、ごめぇん。ようやく、機が熟したって思うとさ、嬉しくって嬉しくってさぁ。……あ、そうそう、流星のライオスが遺言を伝えた相手は、氷刃のディランだけじゃないよぉ』


 クスクス笑いながら名無しは続ける。


『ねぇ、ファビ坊。千年間、ファビ坊のことを探し続けた流星のライオスが、なんで今、約束を完了させたのか、わかるぅ?』


「限界だったからだろう。とっくに、限界なんて超えてたんだ。今さらなんて思わないな」


『ふぅん』


 やはり、今夜の名無しはいつもと違う。

 その浮ついた上機嫌さが、俺を不安にさせる。

 中央にたどり着いて、ため息を一つ。


『ねぇ、こうは考えられないかなぁ。ファビ坊の花嫁さんが見つかったとかっ』


「ひどい冗談はやめろ」


『なぁんで、冗談とかいうのさぁ。ファビ坊、まだ異端児扱いされてたこと、根に持ってるのぉ? ねぇ、ファビ坊ってばぁ。ねぇ、無視しなぁい!』


 冗談じゃない。

 今さら、俺の花嫁とかありえないだろうが。耳元で名無しが喚いているが、知ったことではない。


 色硝子の装置は、巨大な光石の下で展開し終わったようだ。


『もうっ! ファビ坊に、すっごく大事なお知らせがあるのにぃ』


「大事なお知らせ?」


 軽く上げた右手をくるりと返して呼び出した抜き身の短剣を、左の手のひらに押し当てる。左手からしたたった血が、床の世界の縮図にたどり着いた。

 巨大な光石の光が眩しいほど強くなる。


『ふふぅん。じ、つ、はぁ、この都にお客さまが来てるんだよぉ』


「はぁああああああ? どういう……っ!」


 名無しに追求するよりも先に、下の扉が開く音が塔内に響く。


「ちっ」


 勢いよく宙を蹴って、頭上の色硝子の隙間を抜け、光石の上に身を隠す。


 何がそれほどおかしいのか、名無しは狂ったように笑い続けている。


 名無し、お前は何がしたいんだ。

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