竜王の屋敷 〜子ども部屋〜

 竜王の屋敷に向かう道すがら、アンバーが最後の竜王ユリウスについて語り始めた。


 五歳で竜王となったユリウスは、とても素晴らしい方だった。ライオスからも、そう聞いている。


「ユリウスさまは、なかなか子宝に恵まれなかった。ようやく生まれたご子息も、すぐに楽園へ召されてしまった。その後、奥方も二十年も経たないうちに……。とても優れた竜王だったけど、こればかりはどうしようもなかったようだね」


 今回のアンバーの長い話は、さほど苦にならなかった。

 なぜなら、黒い都の大通りを歩くだけで見るものがたくさんあったから。

 深い緑の街路樹が立ち並び、根元の花壇では、彩り豊かな花が咲いている。


 黒で統一された都でも、不思議と華やかな印象を与えてくれた。

 静寂でなかったら、とてもにぎやかだったことだろう。


 途中にあった噴水の水辺の女神アウラさまの彫刻は、玲瓏の岩窟の浮き彫りレリーフに勝るとも劣らない見事なものだった。

 黒い石に青の宝石の瞳が、どことなく物憂げな印象を与える。

 世界竜族は、本当に優れた竜族だったのだろうと感動していたところに、アンバーの得意げな声が聞こえてきた。


「このアウラ像は、僕のご先祖さまが作ったんだよ。当時の竜王にも絶賛されたって、記録が残っているんだ」


「むぅ」


 わたしの感動を返してほしい。いや、確かに素晴らしいし、すごいことだとわかるけど、残念な気分になった。アンバーには申し訳ないけど。

 ふと目があったライラも苦笑いしている。やれやれという声が聞こえてきた気がした。


 四竜族の里と違って、黒い都にはお店があったことに驚く。

 世界の中心の塔に近づくにつれ、軒先に看板を下げる家が増えてきたのだ。

 果物屋に、仕立て屋。古書店に、飲食店、それからパン屋まで。


 四竜族は、それぞれ長を中心とした一族全体が大家族という概念がある。そんな大家族の父に当たる長が、一族の生活に必要なものを割り振っているのだ。役割を上手くこなした者には褒美を与えたり、まれに罪を犯した者には罰を与える。それが、長の主な役割だ。

 氷刃のディランの息子ドゥールは、昔に比べて数が増えた竜族には新しい形態が必要だと、よく熱弁を振るっていたのをなぜか思い出す。

 もしかしたら、彼が描いている里のあり方は黒い都や人間の街に似ているのかもしれない。


 世界の中心の塔の入り口は、南にあるとアンバーが教えてくれた。

 塔というより、もとんでもない大きさの直方体の巨石のようだ。


 果物屋の軒先からいただいた林檎をかじりながら、ローワンは頭をかく。


「しっかし、どうやって建てたんだよ。繋ぎ目も見当たらねぇし」


 アンバーは、それがわかったら苦労しないと肩をすくめる。


「この塔のことなら、アーウィンの方がよく知ってるんじゃないかな?」


 ローワンの隣で林檎をかじっていたアーウィンも、肩をすくめる。


「まさか。いくら僕らの星読みが、この塔で行われてた先見の儀の一部だからって、知らないよ」


 世界竜族から水竜族の船頭に授けられた星読みが、本来は未来を知るためのものだったと、初めて知った。

 アーウィンが選ばれた理由は、星の名前を知っているからかもしれない。――いや、それはないだろう。ダグラスは、アーウィンが旅に出ることを反対していたようだし。

 あれから何度もダグラスの態度を尋ねてみたけど、関係ないのひと言ばかり。

 いつか、聞き出せるといいのだけど。


 竜王の屋敷は、南へ向かう大通りの東側にあった。

 西側には、四竜族の長たちの館よりも立派な館――もしかしたら、こういう建物を城とか王宮と呼ぶのかもしれない――がある。


「むぅ、アンバー、あっちじゃないの?」


「違うよ。あっちは、黒宮こくきゅう。竜王の公的な場所さ」


「謁見や予言を授ける場であったそうよ」


 ライラが補足してくれた。


 やはり、黒宮は城や王宮という認識で間違ってなさそうだ。

 広い前庭には、青々とした芝生に彩り豊かな花たち。噴水に、生き物たちの彫刻も並んでいる。

 おそらく、この都で一番華やかな場所だ。


 対して、竜王の屋敷は生活の場だという。

 門柱の向こうの二階建ての屋敷は、余計な装飾が一切ない。

 堅実な印象だ。


 それに、なぜだろう。

 この屋敷だけ、他とは違うように感じる。

 何がとは言えないけど、違う。


 言い表しようのない感覚に、わたしは胸元の小袋を握りしめる。


「……だし、寝泊まりするにはこっちがいいと思ったんだけど、どうする?」


「む? そうね。とりあえず、中を見てからにしよう」


 そうは言ったのものの、わたしはこの屋敷に何かがあるような気がしてならない。いいものか、悪いものか、わからない。ただ、何かがある。

 もう一度、小袋を強く握りしめて、みんなの後に続く。


 竜王の屋敷の中は、やはりと言うべきか簡素な作りだった。もちろん、ほとんど黒で統一されているが。

 とりあえず入ってすぐの階段を登りながら、ローワンが意外そうな声を上げる。


「なんか、もっと豪華なイメージだったんだけどなぁ」


「僕も実はそう思ってたんだけど」


 すぐにアーウィンがうなづくと、ライラがクスリと笑う。


「ローワンとアーウィンの言うことも、わからないでもないですわ。けど、黒宮はとても華やかだと聞いておりますから、生活の場くらいは素朴な方が落ち着くからだと思いますわ」


 さすが、本物のお姫さまだ。説得力がすごい。


 二階に上がると、左右に廊下が伸びている。正面には、飾り気のない扉が一つ。


「あれ? 鍵がかかってるみたいだ」


 ドアノブに手をかけたヴァンが首をひねる。

 そういえば、北の端の家も、果物屋も、この屋敷の玄関にも、鍵は一切かかってなかった。

 普通に考えれば鍵がかかってないことの方が、不気味だ。でも、今は逆に鍵がかかっている方が、不気味だ。


「壊そうか?」


 ターニャが腰の戦斧を手にして尋ねる。

 急いで首を横に振ってから、まだ小袋を握りしめていたことに気がつく。


「他の部屋を探そう」


 それもそうだと、わたしたちは三組に分かれて行動することにした。


 アンバーとヴァン。アーウィンとローワン。この二組は一階から。わたしは、ライラとターニャと一緒に二階から探索する。


 北側の奥から、順に調べることになった。

 西側の窓から差し込む日は、まだ高い。

 突き当りの扉まで、東側にあった扉の数は一つ。


「開けるぞ」


 ターニャがゆっくりとドアノブを回す。

 鍵はかかってなかった。


「子ども部屋?」


 先に足を踏み入れたターニャが困惑の声をあげる。

 薄暗い部屋には、揺り籠やガラガラ、積み木が所狭しと並んでいた。

 子ども部屋というよりも、子どもの物置のような気もする。


 黒い木馬がギィと音を立てて動いた。心臓が止まるかと思った。


「むっ! ライラ、おどかさないでよぉ」


「ごめんなさい。それにしても……」


 ライラはぐるりと部屋を見渡す。

 かすかにまだ揺れ動く木馬から、小さなベッドの上のおくるみ、愛らしい男の子と女の子の人形へと、ゆっくり大きく見渡す。


「すべて、新品同然のようですわよ」


 そう言われてみれば、そうだ。

 誰にためにそろえられた物なのだろうか。


 わたしとターニャが首をひねっていると、ライラがもしかしたらと続ける。


「ユリウスさまがご子息のために、集められたのかもしれませんわ」


「ご子息は、生後間もなく亡くなられたんじゃなかったかい?」


 ターニャは困惑の色を強くしているようだが、わたしはなんとなくわかったかもしれない。


「楽園のご子息を偲んでいたのかも……」


「そうね。そうかもしれないわ。でも、わたくしはまだ見ぬご子息のために集められたのだと思うの」


 クスリと笑ってみせるライラは、大人だと思った。薄暗いせいもあるかもしれない。確かに、とても儚い美しい人に見えたんだ。


「ちょっと安心しましたわ。どちらにしてもでも、亡くなられたご子息を愛しておられたのですから」


 しかし、ターニャは肩をすくめる。


「あたしは、なんか気味悪いけどねぇ」


 ターニャの言うとおり、部屋いっぱいに生後間もなく亡くなられたご子息のための品を集めるのは、薄気味悪い。しかし、ライラの言うとおり愛情のあらわれでもあるはずだ。


「とりあえず、二階をざっくり見て回ってから、気になったところをじっくり調べてみないか?」


 まったく、ターニャの言うとおりだ。

 わたしはまだまだ自覚が足りなすぎる。


 北から二つ目の部屋にも、鍵はかかってなかった。

 おそらく、奥方の寝室だろう。化粧台があるし、部屋自体から女性らしさを感じる。

 奥方も嘆きの夜の数年前に亡くなられていたはずなのに、生きていた頃のまま、部屋を維持してきたのだろう。


 執着。


 愛情というよりも、奥方に対する執着ではないだろうか。


 わたしたちは顔を見合わせると、なんともいえない顔で次の部屋に向かった。


 最初の鍵のかかった部屋を飛ばして、隣の扉を開く。

 書斎のようだった。

 本棚に、ライティングデスク。遊技盤らしきものもある。


 後でじっくり調べることにして、南側の突き当りの部屋に向かう。


「なんだこれ」


 最初に足を踏み入れたターニャが、呆れの混ざった驚きの声を上げる。

 ライラも不快そうに整った顔を歪める。


「わたくし、この部屋が竜王の寝室だなんて、認めたくないですわ」


 確かにきれいに整理整頓されていた書斎の主と、このひどく散らかった寝室の主が、同じだなんて認めたくない。

 それほど、散らかっている。


 ベッドのシーツは、ぐしゃぐしゃに乱れ放題。

 部屋の至るところには、脱ぎ捨てられた衣類が放置されている。衣装箪笥らしきものからも、衣類がはみ出している。


 汚い部屋だ。

 汚い部屋だから、わたしたちの好奇心が刺激されたのかもしれない。

 最初に調べる部屋は、この部屋に決まった。


 床に脱ぎ捨てられていた黒の長衣の裾には、乾いた泥がこびりついていた。


「むぅ。子どもって、感じでもなさそう」


 この寝室の主は、わたしよりも背が高かったようだ。

 長衣をつまんでひろげると、パラパラと音がした。


「…………豆?」


 床にこぼれ落ちたのは、煎り豆。

 散らばった豆が、ターニャの靴に当たる。


「よほど、豆が好きなやつだったみたいだな」


 苦笑いしながら、ターニャがガラス瓶を振ってジャラジャラと音を立てる。ガラス瓶の中には、煎り豆が大量に入っていた。


 ライラが腰に手を当てて、鼻を鳴らす。


「豆が好きなら、まめに掃除くらいしてほしいものですわ」


 その芝居がかった冗談に、わたしたち三人は笑ってしまった。


「お、いたいた。ってなんだこの部屋」


 そこへやってきたローワンも、顔をしかめる。


「この部屋のガキの顔を拝みたくなるぜ」


「ガキ?」


 なぜ、ローワンは子どもだと思ったのだろう。認めたくないが、竜王の寝室だということも、充分考えられるはずなのに。


「ガキだよ。ガキ。変化できるなら、こんな服いらねぇから」


 まだ話が理解できない。

 ローワンはガシガシ頭をかいた。


「あー。あんま言いたくねぇんだけどなぁ。俺達の服、ウロコみたいなもんなんだよ」


「は?」


「変化する段階で、この服がウロコになるんだよ」


 変化する時の服をどうしているかなんて、気にしたことがなかった。当たり前だと思っていたから、気にしたことがなかった。


 ローワンがやけに早口で説明してくれた理由は、ターニャのひと言で理解できた。


「つまり、お前らの服は体の一部なのか? 服を着てても裸なのか」


「変な言い方するなよ! まぁ、そうだけどよ。せめて、ウロコを服だってことにしてくれよ。俺たちにだって、恥じらいってものがるんだからよぉ」


 まさか、ローワンの口から恥じらいなんて言葉を聞くとは思わなかった。


「と、とにかく、さっき浴室を見つけたんだけど、入るなら湯沸かしたりするけど、どうする?」


 どうするもなにもない。


「もちろん、入るわよ」


 準備ができたら呼びに来ると逃げ去ったローワンに、わたしたちはくすくす笑う。


 まだ、探索は始まったばかり。

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