憂鬱な道の先に

 ――カチャリ。


 カップを置く音に、我に返った。


「む?」


「どうかしたのかな?」


 向かいのライオスが、いつものように穏やかに尋ねてくる。


「いえ、ちょっとボーッとしてたみたいです」


「そうか」


 少し冷めてしまったイムリ茶をすする。そういえば、何を話していたのだろうか。


「ライオスさま。すみません。何を話していたのか、思い出せな……」


「思い出せなくて、当然だろう」


「む?」


 それはどういうことだろう。

 を置いて、首を傾げる。


「フィオ。気をつけなさい」


 なにか、おかしい。

 わたしが知るライオスは、人の話をさえぎるようなことはしないはずだ。


「フィオ。気をつけなさい」


 ライオスがもう一度繰り返す。


 やっぱり、おかしい。


「ライオスさま?」


 いない。さっきまで、向かいに座っていたはずなのに。


「フィオ。気をつけなさい」


 今度は、背後から聞こえてきた。


「ライオスさまっ」


 あわてて振り返るけど、ライオスはどこにもいない。

 無意識のうちに、胸元の小袋を握りしめていた。


「――気をつけなさい」


「っ!」


 さっきまでライオスが座っていた方から、別の男の声が聞こえてきた。

 鳥肌が立つほど、冷ややかな声。


「悪意はどこにでもある」


 自分でも信じられないほど、緩慢な動きで振り返る。


「機は熟した。黒い都で待っているよ」


 黒い長衣をまとった男が、雛菊のカップを片手に笑う。ぞっとするほど、歪んだ笑みだった。


 ――カチャリ。




 ――


 目を覚ますと、わたしは天幕の中にいた。


「夢……」


 何だったのだろうか。

 ただの夢だったのだろうか。


「むぅ」


 夢の中だけではなく、しっかり胸元の小袋を握りしめていたようだ。

 右手が強張っている。


 顔をしっかり思い出せないが、黒の長衣をまとっていたということは、世界竜族だったのだろうか。

 わたしの花婿だろうか。


「むぅ。それにしては、すごく嫌な夢だった。悪意がどうとか……」


 いつも見る夢と違って、いつまでたっても嫌な感じが残っている。


 二日目の始まりは、最悪だった。


 わたしが起きた時には、アンバーとヴァンはパナル草を綿の袋いっぱい採り終わっていた。


 焚き火を囲んで朝食をすませるが、寝不足を隠せなかったのは一人や二人だけだはない。


 二つの満月。

 嘆きの夜の不吉な象徴。


 夜空の星の明かりを奪ってしまうほど、明るすぎる夜のせいで満足に眠れなかったのだろう。


 黙々と荷物をまとめて黒い道に戻る頃には、一日目のピクニック気分は完全に抜けてしまっていた。


 森の静寂に押しつぶされそうになれば、誰かが口ずさみ始めた陽気な歌にあわせてみんなで歌う。

 誰も、二つの満月とこの森の静寂について話そうとしなかった。あのアンバーですら、避けている。


 とても、今朝見た夢の話なんてできなかった。


 昨夜の二つの満月だけではない。

 ひたすらまっすぐのびる黒い道。

 代わり映えのしない両側の常緑樹。


 気が滅入らないわけがないだろう。

 いつまでたっても黒い都にたどりつかないのでは、とすら考えてしまう。


 調子外れの歌もとぎれとぎれになって、ひたすら黙々と歩いていた頃、後ろのアーウィンがポツリと呟いた。


「ねぇ、本当に進んでいるのかな」


 誰もすぐに答えられない。


 もしかしたら、わたしやアーウィンの他にも同じことを考えている仲間がいたかもしれない。


 空を見上げたヴァンがため息をつく。


「空を飛べたら、わかるのになぁ」


 確かに周囲の木々よりも高い位置からなら、どれだけ進んでいるのかわかるだろう。

 このときほど、竜族の能力に制限を与えているこの森が憎たらしいと思ったことはない。


「いや、飛ぶ必要はないんじゃないか」


「むっ、ターニャ?」


 突然、わたしの前を行くターニャが足を止めた。声は心なしか弾んでいる。

 ターニャの前にいたアンバーとヴァンも、その声に足を止める。


「木に登ればいいんだよ。それだけで、都までどのくらいかわかりそうじゃないか。世界の中心の塔って、とんでもない高さだって言うじゃないか」


 言いながら、ターニャは外套を脱ぎ背嚢をおろして身軽になると、近くの木を登りはじめた。


「じゃあ、俺も」


 ローワンがそれに続く。


 わたしも木登りに自信があれば、登りたい。


「まるで、猿のようですわね」


 あっという間に木を登っていく二人に、呆れたようにライラが苦笑いを浮かべる。


「でも、いい考えだよ。ゴールまでどのくらいあるのか、はっきりするからね。確かに、猿みたいだけどね」


 アンバーもやれやれと肩をすくめる余裕ができたようだ。

 勝手に登っていったのはどうかと思わないでもないけど、これで憂鬱な気分でなくなるなら、よしとすべきだろう。


 しばらくして、歓声のような声が頭上から聞こえてくる。

 と思ったら、ローワンが飛び降りてきた。


「朗報だ! 黒い都は目と鼻の先だぞ」


「むっ!」


 目と鼻の先と言われても、下で待っていたわたしたちは信じられなかった。思わず、顔を見合わせてしまうほど。


 確かに、黒い都まで二日か三日。今日ついてもおかしくない。


 後から降りてきたターニャも、満面の笑みを浮かべている。


「日が沈む前に、黒い都にたどり着けるぞ」


 どうやら、黙々と歩くうちに早足になっていたようだ。

 よくやったと、わたしたちはターニャとローワンにかわるがわる抱きつく。

 信じられなくなっていた目標を確認できた喜びを分かちあった。


「それなら、急ごう! グズグズしている暇はないよ」


 二人が脱ぎ捨てた外套を羽織っていると、ヴァンが急かし始めた。マイペースで大人しいと思ってたヴァンが、急かすなんて意外だ。


「ヴァン、そんなに急ぐことないと思うけど」


「フィオ、何を言ってるんだよ。食糧を無駄にする訳にはいかないだろう!」


 首を傾げたわたしに、ヴァンは一気にまくし立ててきた。


 つまり、この森で鳥や獣を食糧にしようと計画していたらしい。残念なことに、アテが外れてしまった。用意した食糧には限りがあるから、少しでも早く黒い森に行くべきだと。


 異論なんて、あるわけがなかった。


 わたしたちは、なんとしても今日中に都に行くべきだと気がつかされた。


 誰も置いていかないぎりぎりのペースで歩いていると、アーウィンがずっと考えていたんだと前置きをして疑問を口にする。


「僕、ちょっと考えたんだけど、アンバーの言ったとおりこの森が時間を止めて、嘆きの夜を繰り返しているんだったら、世界竜族も生きていたりするんじゃないかな?」


「わたくしも、アーウィンと同じことを考えていました」


 ライラが同意すると、そう言われてみればそんな気がしてきた。

 でもそれは、毎晩死ぬことを繰り返すことになるのではないだろうか。


「その可能性は低いと思うよ」


 先頭のアンバーは否定する。


「嘆きの夜以降にこの森を訪れた者たちの記録には、最短で二日。最長で八日で戻ってきているとある。おそらく、最短で戻ってきた者は二つの満月に恐れをなしたんだと思う。そして、八日で戻ってきた方は黒い都で数日過ごしていると思うんだ」


「む、そういうこと……」


 アンバーの言わんとしていることがわかったのは、わたしだけのようだ。


「フィオが言ってたじゃないか。最後の竜王ユリウスは、朝までにライオスさまに立ち去るようにって。でないと、ライオスさまも死ぬって。嘆きの夜が単純に繰り返されているなら、黒い都で夜明けを迎えることはできないはずだろう」


「死んだ者は、生き返らない。人間も竜族おれたちも鳥も獣も。そういうことだろうさ」


 めずらしくローワンがまともなことを言う。


 ならば、あの二つの満月は何だったのだろうか。


 アーウィンも同じことを思ったのだろう。


「じゃあ、なんだったんだよ」


「それを知るために、僕らは黒い都に行くんじゃないか!」


「……フィオの花婿の手がかりのために行くってことを忘れてやしないか」


 前を行くターニャは、小声でぼやく。

 否定できないのが、つらい。


「あっ」


 アンバーが短い驚きの声を上げて、走り出した。


 もしかしてなど考えるよりも早く、わたしたちも走り出す。



 塔の都。

 世界の中心。

 予言の都。

 廃都。

 呪われた都。

 神々の怒りをかった都。


 黒い都を呼び表す言葉は、無数にある。黒い都というのも、その無数のうちの一つだ。


 ライオスが、なぜこの地を黒い都と呼んでいたのか、実際に目の当たりにしてよくわかった。


 森の終わりが、都の入り口だった。

 二人並んで歩くのがやっとという幅の道は、黒い大通りに変わっていた。

 両側の水路は地下に潜ったのか、途切れている。


 黒い四角い家が並ぶ大通りの先には、黒い塔が右半分を夕日に染めながらそびえ立っている。世界の中心の塔だ。

 星の水鏡で見ていたにもかかわらず、わたしは黒い都の姿に言葉を失った。


 春の初月16日。

 わたしたちは二日目にして、謎多き黒い都にたどり着いた。




 ――


 想像していたよりもはるかに美しい都の前で、わたしたちが言葉を失い立ちつくしていたまさにその時。

 彼は目覚めたのだという。

 楽園で憩うことを許されなかった魂にも、眠りは存在するらしい。ただし、浅い休まることのないまどろみ程度らしいが。

 体を失った彼は、すぐにわたしたちを見つけた。

 まず、久々の招かれざる客たちを、どうからかって帰らせようか考えたらしい。

 しかし、七人の招かれざる客たちの中に、待ちに待った少女がいると気がつくと、彼は歓喜に震えたのだと聞いた。体はなくとも、魂が喜びにわなないたのだという。


 彼は、今しばらくわたしたちを観察することに決めたと、すべて後から聞かされた。

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