焚き火を囲んで

 石舞台から黒い都まで、歩きで二日か三日かかるという。


 一日目は、早めに野営の準備を始めることになった。


 常緑樹が密になっていたのは、黒い道と水路のそばだけだったらしい。少し道をそれると、野営に最適な場所があった。


 ターニャと一緒に焚き物に使えそうな乾いた枝葉を集めながら、アンバーの話を思い出す。


『鳥や獣がいないのに、この森が保たれるわけがない。それに、道が綺麗すぎる。枯れ葉の一枚も落ちていない。おかしいじゃないか。まぁ、世界竜族の森だから、説明のつかないことの一つや二つあってもおかしくないけどね』


 統一歴2451年 秋の終月20日。嘆きの夜。


 おそらく、全員の頭によぎったはずだ。誰も言葉にしなかったけど。


「このくらいでいいだろう。フィオ、戻ろか」


「はい」


 外套を脱ぎ背嚢を下ろしたターニャは、たとえるなら牝鹿だ。

 帝国人らしい雪のような白い肌を覆う淡い茶色の服の上に、革の篭手に胸当てをしている。腰のベルトの両脇の鈍色に光る戦斧。争いの絶えない帝国の人なのだと、あらためて知った。


「鳥でも獣でもいいからいれば、あたしがとっ捕まえて食べられるってのに」


「ターニャは狩りみたいなことするんですか?」


「敬語、やめてくれよ」


「むぅ」


「狩りくらいするさ。帝国の土地は農作にはあまり向いていないんだよ。鉄と毛皮がなけりゃ、まともな農作物にありつけない」


 帝国の豪族たちが争う理由は、鉱山にあると教えられたことがある。より上質な鉄を手に入れたい。――それが、争いの種だと。もちろん、他にもいろいろな要素があることも知っている。

 ルカ帝が二十五年前に即位してからは、いくらか平穏な時が流れているらしい。それも、帝国人にしてみれば、いつ終わるかわかったものではないだろうが。


 正直、わたしは帝国がひどく野蛮な国だと思う。ナターシャやターニャには言えないけれど。


「でもターニャ、ヴァンの料理は美味しいよ」


「確かに。あのビスケットも硬いだけかと思ったら、意外と美味しかったな」


「でしょう!」


 本当に、この森は静かだ。静かすぎる。

 だから、こうして何気ない話で笑っていたい。


 嘆きの夜。

 今朝、星の水鏡で見た二つの満月に照らされた黒い都が、ふと脳裏をよぎる。


 野営地と決めた少し開けた場所に戻ってくると、ライラとローワンが天幕を組み立て終わっていた。赤茶けた小ぶりの天幕が二つ並んでいる。


「お、お疲れさま。まったく、火竜の俺が火も出せないとはなぁ」


 待ってましたと、ローワンはわたしたちが集めてきた焚き物に目を輝かせる。天幕から少し離れたところに置いた焚き物を、あぐらをかいた彼が燃えやすい形に組み上げていく。

 ローワンの作業を、ライラは何故か不思議そうに眺めている。


「本当に、変化も秘術も使えないのですか?」


「実は最初に試してみたんだぜ」


「むっ」


 ライラの疑問にローワンが答えるまで、まったく気がつかなかった。


「ほらほら、適当に座れよ。いつまでも、突っ立てないでさぁ」


 確かに立っていてもしかたないからと、わたしがローワンの向かいに膝を抱えて座り、ターニャとライラも焚き物を囲むように座った。

 ローワンが焚き物に種火を移して、焚き火をおこす。嬉しそうに目尻を下げて赤い瞳を輝かせると、本当にふてぶてしい猫のようだ。


「それっぽいことは、前から聞かされてたからいいけどな。しかし、不便だよなぁ。火打ち石なんか、まず使うことねぇし」


「そうなのか?」


「そうに決まってるじゃねぇか。ターニャ、火竜を何だと思ってやがる」


 カカカッと笑い飛ばしたローワンは、不便さを楽しんでいるようにも見えた。


 パチパチと火が爆ぜる音。

 わたしたちの笑い声。


 静寂にたったそれだけ加わっただけで、とても賑やかな気がする。


「ライラって王女さまなんだよな。今さらだけどよぉ」


 今さらだけれど、王女らしくなくて忘れてしまいそうになる。


「そうですわ。でも、第三王女ですもの。今の聖王国で、第三王女は王族でもそれほどの価値はありませんわ」


 お上品にうふふと笑っている。


「それでもブラス聖王国だ。婿入りしたい男なら、いくらでもいるだろう」


 干し肉を串にさしながら、ターニャが笑う。


「そういうターニャの方はどうなんですの?」


「どうって?」


「あらいやだわ。あなた、北の帝国の名門レノヴァ家のご令嬢なのでしょう。そちらこそ、婿入りしたい男が後を絶たないのでは?」


 効率よく焚き火が燃えるよう火の番をしていたローワンと目があった。彼と同じように、わたしも不思議そうな顔をしているだろう。


「あいにく、あたしには親が決めた許婚いいなずけがいてね。そちらの方はまったく問題ない」


 ローワンが耳を疑っているのがよくわかる。そのくせ、聞き耳をたてているのもよくわかる。わたしも同じだからだ。


「どんなお方なの?」


 犬か何かだったら、わたしたち二人の耳がピンと立っただろう。


「うむ、立派な方だ。あたしにはもったいないくらいのな」


 顔が赤く見えるのは、焚き火のせいだけではないはずだ。

 ライラ、もっと聞き出すのよと、わたしとローワンの顔がニヤけてる。

 同じくらいライラもニヤニヤしている。


「ターニャはその方に恋されているの?」


「そ、それは……」


 目を泳がせたターニャが、口ごもる。あとひと押し、そう思ったときだった。 


「鍋の用意ができたぞ」


 ターニャには、ヴァンが救い主に見えたことだろう。


「ああ。こっちも火の用意ができたから、持ってきてくれ」


 いつもの凛々しいターニャに戻ってしまって、わたしたちはとても残念だ。

 ヴァンと一緒にやってきたアーウィンは首を傾げる。


「何かあったの?」


「別に何もねぇよ」


 悔しさをまぎらわせるためかローワンは、ヤカンを持ってきたアーウィンに大きな声を出した。


「ふぅん。あ、そうだ! ここの水路の水、すごいきれいだったよ」


 アーウィンは、水竜らしくきれいな水があったことが嬉しそうだ。ヤカンをローワンにわたして、隣に座りこむ。


「そいつは、よかったなぁ」


「なんだよ、ローワン。水がなけりゃ、火竜だって生きてけないくせに」


「悪かったよ。すまんな、ちょっとこっちのことで……なぁ? フィオちゃん」


 いきなりローワンに話をふられて、必要以上に焦った。


「むっ、むぅ! そ、そう、そうなの、アーウィン、間が悪かったの」


「ふぅん」


 アーウィンの視線が痛い。


「ところで、アンバーはどうしたんだ?」


「む?」


 鉄製の三本脚の金輪の上に鍋を置いたヴァンが、あたりを見渡す。


 そういえば、アンバーがいない。

 静かすぎる森の空気が、一気に張りつめる。


「アンバー! どこだ、返事しろ!」


 もともと声が大きいローワンが、声を張りあげても返事がない。

 不用意に動くこともできず、わたしたちは焚き火のそばでアンバーに呼びかける。


 いっこうに返事が返ってこない。焦りだした頃、近くの下生えガサガサと音を立てた。


「アンバー?」


 返事がない。

 ターニャが戦斧に手をかけて前に出る。

 ゴクリとつばを飲み込む音が、やけに響いた気がする。


「いやぁ、本当に不思議な森だ」


 やはり、アンバーだった。

 こちらの気も知らないで、ニコニコ上機嫌もいいところだ。


「貴様、どういうつもりだ!」


 ターニャが、一気に距離をつめてアンバーの胸ぐらをつかむ。


「いいぞぉ、そのまま一発げんこつお見舞いしてやれ」


 すかさずローワンが調子に乗る。


「ターニャ、僕の分も」


 と、もちろんアーウィンも負けじと調子に乗る。


「わたくしの分も是非お願いしたいですわ」


 ライラも意地の悪い笑みを浮かべるが、不思議と品の良さは失われていない。


「俺は一発と言わず、何発でも」


 旧知の仲だからか、ヴァンは遠慮がない。


「え? あ、ちょ、えっと、あ、ターニャ、顔が怖いんだけど」


 いい気味だ。


「フィオはどうする?」


「え、わたし?」


 他人事だと見守っていたら、ターニャが物騒な笑顔で振り返ってきた。


「だめだって! やめるように言ってよ、フィオ!」


 わたしに希望の光を見出したアンバーは、必死で訴えてくる。なんだか楽しくなってきた。


「ターニャ、やめておいてあげて。アンバー、今回だけだからね」


 ため息やクスリとした笑いが聞こえてくる。


「フィオがいいと言うなら、しかたないね。アンバー、フィオに感謝するんだな」


 フンッと乱暴にターニャは、アンバーを解放した。


「本当に、助かったぁ」


 軽くよろめいて、アンバーはターニャよりも先に焚き火に当たりだした。図々しい。


「ところで、何をそんなに怒っているんだい? 今回だけって、どういう意味?」


 そうだった。地竜族は、鈍感だということを忘れていた。


「ターニャ、やっぱり……」


「あいよ!」


 情けないアンバーの叫び声、わたしたちの笑い声で森がより賑やかになった。




 ――


 西の空から夕日に染まる頃、焚き火を囲んで夕食となった。


 炙り焼いた干し肉を串から外して、鍋の中に入れる。軽く鍋をかき混ぜたら出来上がりのようだ。味見をしたヴァンが、満足そうに笑う。

 ヴァンが作ってくれたスープが食べたくて、さっきからずっと空腹を意識せずにはいられなかった。

 一なる女神さまへの祈りを急いですませて、スープを口の中へ。


「むぅう」


 スープの中の砕かれたロックビスケットが、ちょうどいい歯ごたえになっている。干し肉の旨味もしっかり味わう。何より、この絶妙な塩加減。

 やはり、ヴァンの料理は最高だ。


 ターニャは、まだアンバーをにらんでいる。


「で、なにしてたんだよ」


 彼女の戦斧の柄で殴られた痕跡はもうどこにもない。それなのに、アンバーはこめかみのあたりをさすっている。


「少し、この森を調べてみただけだよ」


「調べたって、一人で勝手にか?」


「ターニャ、ごめんって謝ってるじゃないか」


 拳を握りしめたターニャに、アンバーは怯える。


「ほら、ターニャ。冷めないうちに食べて」


 ヴァンがよそったスープを受け取っても、ターニャは憮然としたままだ。


「んで、何かわかったのか?」


 火竜のくせに猫舌のローワンが、一口食べて顔をしかめたている。

 最後にスープを受け取りながら、アンバーは首を横に振る。


「全然……って、ヴァン! 僕だけ少なすぎるよ」


 確かにアンバーだけスープがみんなの半分以下だ。


「みんなを心配させたからだよ」


「さっきから、もうしないって言ってるのに」


 アンバーはヴァンの料理の腕を知っていたようだから、かなりこたえているようだ。

 チマチマとスープを口に運びながら、アンバーはポツリとつぶやく。


「……パナル草が生えていたんだ」


「むぅ?」


 聞き慣れない単語に、わたしたちは首をひねる。いや、ヴァンだけは違ったようだ。


「パナル草! 今、パナル草って言った?」


「言ったよ」


 薬学に長けた風竜のヴァンが興奮するほど、すごいものなのだろうか。


「それも、群生地って言ってもいいじゃないかってくらい生えてたよ」


「パナル草の群生地! ここは楽園か」


 あいにく、ヴァンが興奮する理由がわからない。


「みんなは知らないだろうけど、パナル草はヴァンが興奮するほど貴重で素晴らしい薬草なんだよ」


「へぇ」


 この気のない返事はアーウィンだっただろうか。わたしだったかもしれない。


 今すぐパナル草の群生地に行くと騒ぐヴァンのおかげで、ますます森が賑やかになる。


 日が沈んだ頃だろうが、宵の空はまだ明るい。


 ヴァンが、食後に淹れてくれたイムリ茶だけは、最高とは言い難かった。やはり、老竜ライオスのイムリ茶が世界一だ。

 わたしは、ようやく星の水鏡で見た嘆きの夜のことについて語ることができた。


「大おじいさまは、知ってたんだ」


 驚きよりも、納得という感じでみんな受け止めたようだ。


「でも、なぜ今ごろになってフィオに伝えたんだろう?」


「ヴァンもか。俺も、それ気になった。学者さまはどう考えてるんだ?」


「学者はやめろよ、ローワン。親父殿たちの耳に入ったら、どんな嫌味言われるか考えただけで嫌気がさすよ」


 アンバーは、心の底から学者と呼ばれたくないらしい。しかし、あの穏やかな印象のヘイデンが嫌味を言うのだろうか。想像できないが、きっと息子だからということもあるのだろう。


「…………思うことがないわけじゃないよ」


「なんですの? もったいぶらないで、聞かせてほしいですわ」


「あたしも、もったいぶられるのは好きじゃないんだ」


 ライラとターニャが先を促しても、アンバーはなかなか口を開こうとしない。


「約束、してたのかもしれない。『世界竜族と約束する時は、心せよ。その約束は、決して破ることはできない』……ま、なんで今まで黙っていたのかは、この際どうでもいいんじゃないかな」


 独り言のように呟いた後で、アンバーはわかりやすく話を打ち切った。


「むぅ。どうでもいいこと……」


「嘘だろ!!」


 問いただそうとした時だった。アーウィンが空を見上げて、悲鳴のような驚きの声を上げたのは。

 宵の口の明るい空を見上げて、その理由を知った。


 ――――二つの満月が明るすぎて、星が見えなかったのだよ。


 物憂げなライオスの声が聞こえたような気がした。


 宵の口はとうにすぎていたのだろう。空には二つの満月が浮かんでいた。

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