旅の仲間たち

 ディランとナターシャと一緒に北の石舞台に向かう道すがら、各竜族の選ばれた若者たちの他に、旅の仲間には人間の女性も二人いると聞かされた。


「ナターシャは、帝国で多くの有能な軍人を輩出してきた家の生まれでね。その伝手で、誰かいないかと探してもらったのだよ」


「フィオは女の子なんだから、野郎ばかりじゃ頼りにならないこともあるからね」


 ナターシャは笑いながらディランを棍棒で小突く。ディランとわたしの間に、彼女は当たり前のようにいる。

 確かに同性の仲間がいたら、それはとても心強い。ナターシャの親族なら、頼りがいのある女性に違いない。


「ちょうど、フィオと歳の近いがいてね。仲良くやってくれたら、あたしも嬉しいよ」


「わたしも、仲良くしたい」


 わたしだって、あてのない旅をともにする仲間と仲良くしたい。というより、仲良くならなくてはとすら考えていた。


 わたしと歳の近い女の仲間と聞いただけで、心が弾んだ。竜の森で過ごしたこの八年、水鏡越しで会話したお姉ちゃん以外、女の人と言えば竜の妻たちしかいなかった。否応なしに、期待が増すのも仕方ないだろう。それこそ、不安すら忘れるほどに。


「むぅ。でも、他には何も教えてくれないのよね? わたしの旅なのに」


「大おじいさまが決めたことですから。俺にはどうしようもないですよ」


「むぅ」


 ライオスから直接聞き出せばよかった。今さらだけど。

 ふと思い出したように、ナターシャが口を開いた。もしかしたら、ずっとタイミングをうかがってただけかもしれないけど。


「ところで、黒い都の次にどこに行くのか決めているのかい?」


「む?」


 意味がよくわからなかった。


 世界竜族の地。黒い都が最初の目的地だ。

 廃都となり、立ち入ることも都の上を飛ぶことも禁じられているのには理由がある。嘆きの夜から続く混乱の時代には、立ち入る者たちは後を絶たなかった。全員無事に帰ってきたが、黒い都で何があったのか決して語ることはなかったという。別人のように、陰鬱な性格になってしまったとも。

 もう、長いこと黒い都を訪れるものはいないとも。

 そんないわくつきの黒い都だが、姿を消した世界竜族の生き残りを探すにあたって避けては通れない場所でもあった。

 立ち入った者は帰ってきているとはいえ、不安はぬぐいきれない。

 そんな都の後のことなんて、何も考えていなかった。


「リュックベンに帰ったらどうだい?」


「……いいの?」


 思いもよらない提案だった。戸惑うわたしに、ディランが畳み掛ける。


「もちろんですとも! いつ終わるかわからない旅ですから、ぜひご家族の元でゆっくりしてください」


「むぅ」


 懐かしい我が家のパンが食べられる。とても素敵なことだ。もう、あの味を舌の上で再現できなくなって、ずいぶん経つ。

 具体的な楽しみができただけで、背嚢が軽くなった気がする。


 水鏡では伝わらない何かがあるはずだ。

 世界一のパンだけではない。いつも手を引いてくれたお姉ちゃんの手。お父さんのたくましい両腕。お母さんの威勢のいい声。

 わたしの心は、早くも故郷に向かっていた。


 初めて訪れた時、行き止まりの壁にしか見えなかった北の石舞台。腹を立ててつけた足跡は、もちろん残っていない。

 石舞台も八年前よりもずいぶん低くなった。もちろん、まだ見上げるほど高いけど。

 それから、階段があった。黒い道と黒い石舞台に映えるようにと白い石が積み上げられていた。両端には春の花々が添えられている。


 階段の前には、わたしとともに旅をする仲間たちが待っていた。


 各竜族の選ばれた若者たちは、全員よく知っている。


 内気で大人しい印象だった風竜のヴァンが、控えめに笑って頭を下げる。


「久しぶりです」


「ヴァン、もう少し肩の力抜いた方がいいって」


 父親のヘイデンが風竜のロイドと親しいせいか、地竜のアンバーはヴァンをよく知っているようだ。


 それから、一番背の高いなふてぶてしい猫のような火竜が、いつも長と一緒にいたローワン。


「待ちくたびれたぜ、フィオちゃん」


「ちょっと、馴れ馴れしいんだけど」


「いいじゃねぇかよ、アーウィン。馴れ馴れしいくらいが、ちょうどいいんだって」


「む?」


 一番背の低い水竜が、ローワンに抗議している。

 信じられない。

 なぜ、ここに生意気なアーウィンがいるのだろうか。それも、おそろいの外套を羽織っているなんて。


「なんで、アー坊がいるの?」


「アー坊って呼ぶなよ! 僕も一緒に旅をするんだし」


「なに言ってるのよ。アー坊は、わたしよりも年下じゃない。まだ十三歳になったばかりじゃないの」


「だからぁ……」


「アーウィン」


 冷ややかなその声に、アーウィンだけではなくその場にいた若者たちがすくみ上がった。


「今から、それでは先が思いやられるよ」


「……申し訳ございません。大おじさま」


 アーウィンが頭を下げると、ディランは相変わらずにこやかに笑ったままうなずいた。


「わかってくれたなら、それでいいんだよ。姫さま、こちらの二人は初めてだろう。紹介しますよ」


 氷刃の二つ名にふさわしいディランの姿を、垣間見たような気がした。


 苦笑いを浮かべているナターシャが、おそろいの外套を羽織った二人の女性を連れてきた。背の高い細身の女性と、わたしと同じくらいの背丈の女らしい体つきの女性だ。


「あたしが紹介するよ。ディラン、あんたはさっさと上に行きな」


 ディランは顔を曇らせたが、すぐに先に石舞台の上に登っていった。


 ホッとしたような空気――特にアーウィンは、肩を落とすほど安心したのだろう。


「この子がタチアナ・レノヴァ。さっき話してた、あたしの身内さ」


 背の高い女性は、ナターシャによく似た凛々しい笑顔を浮かべる。


「ターニャって呼んでくれ」


「よろしくお願いします!……むっ」


 勢いよくお辞儀をすると背嚢の重さで、前につんのめる。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫です!」


 ホーンばあさんが言っていた。大丈夫っていう人ほど、大丈夫じゃないって。

 その通りだ。

 わたしを支えてくれたターニャは、肌が白くて、サラサラの金髪を綺麗に編み込んでいて、整った顔の中で藍色の瞳を持つ目が凛々しくて、とにかく大丈夫じゃなかった。ターニャが、美人すぎて大丈夫じゃなかった。


「そ、それならいいんだが」


 心配そうに凛々しい顔を曇らせながら、ターニャは一歩後ろに下がった。


「いいんじゃないかい、ターニャ。それから、こちらがライラ・ラウィーニア。西のブラス聖王国の第三王女だ」


「よろしくお願いしますわ」


 赤い巻き毛の本物のお姫さまが、品よく笑っている。


「よよよ、よ、よろしくお願いします…………むぅう!」


「大丈夫ですの?」


「だだだ、だ、大丈夫です!」


 ホーンばあさんが教えてくれたことが、今日ほど身にしみることはなかった。

 またしても、深々とお辞儀をしてつんのめってしまった。

 わたしを支えてくれたライラは、おそろいの外套にわたしたちと変わらないような出で立ちにも関わらず、上品そのものだ。榛色の瞳はとても落ち着いているし。しがないパン屋の娘のわたしなんかと違う、本物のだ。


「それならよろしいのですが……」


「よろしいのです!」


「フィオちゃんって、やっぱり綺麗な人に緊張するんだなぁ」


「むぅ、ローワンっ」


 ローワンの言うとおり、わたしは綺麗な人にどうも弱い。ガチガチに緊張して、名前すら名乗れていない。そう、名前。ローワン相手にムキになっている場合じゃない。


「あ、えっと、フィオナ・ガードナーです」


 やれやれと呆れたようにみんなが笑ったようなきがする。


「先は長いんだ。今すぐ打ち解けなくても、大丈夫だろうさ。さ、ほらほら、長たちがお待ちかねだよ」


 ナターシャがそう言ってくれなかったら、いつまでも旅立てなかったと思う。


「気にしなくてもいいと思うよ。フィオなら、すぐにみんなと仲良くやっていけるさ」


「ヴァン、ありがとう」


 本来、四竜族で一番マイペースとされている風竜のヴァンに慰められながら、わたしたちは階段を登る。

 緊張感なんてなかった。わたしたちは全員、十代の若者にすぎなかったのだから。


「この花、昨日まではなかったはずだけど?」


「そうなんだよ、アーウィン。母さんが、華やかさがないとかで、朝早くから僕が花を集めてきたんだ」


 クスッとライラが上品に笑う。本物のお姫さまは、やはり違う。


「あの奥方なら、言いそうな気がする」


「あら、もしかしてターニャも、やられたのですか?」


 本当に緊張感と旅に出る実感がないまま、わたしたちは石舞台の上に立った。


 さすがに、長たちの前では自然と神妙な面持ちになる。


「若いのはよいな。もう話に花を咲かせておるわい。のぉ」


 少年の声で言われても、ロイドだと不思議と違和感がない。東側の親友のヘイデンに話を向けるが、地竜族の長はそれどころではなかったようだ。


「ちょっと、あなた離して! 離しなさいよ!」


「駄目だ。ユリア、今日はさすがに我慢してくれ」


 鋭い爪で傷つけないように、ヘイデンはユリアを抱きしめている。

 鼻息荒いユリアが、なぜヘイデンの手から逃れようとしているのか、説明する必要はないだろう。

 息子のアンバーに視線が集まったけど、平然としている。慣れてしまっているのだろう。


「別れの挨拶は、充分だろうな」


 かすれた声で、南のクレメントが石舞台を見渡す。ほんの少しだけ、ローワンを励ますように見つめていたような気がする。ローワンは物心つく前に両親をなくして、クレメントに育てられたと聞いている。

 ローワンがクレメントに返した笑顔が誇らしげだったのは、気のせいではないはずだ。


「充分でなくとも、黒い都を出ればいつでも会えるだろう」


 ライオスの言葉は、気まずそうに目を合わせようとしないアーウィンとダグラスに向けられていたような気がした。


 アーウィンが旅の仲間に選ばれたことを、ダグラスは快く思っていないようだ。

 自分の跡取りとして育ててきた十三歳の息子が旅に出るのが、嫌だったのだろうか。


「気にしなくていいよ。父さんの頭が固すぎるだけだから」


「むぅ」


 あの生意気な水竜の少年は、どこへ行ってしまったのだろうか。追求を拒むその声は、少年らしからぬ諦めが込められていた。


「では、旅立ちの時だ」


 ヘイデンの声に、南に向かって横一列に並んだわたしたちの背筋が伸びる。


 石舞台の向こう側にある、黒い都は深い森に隠れてみることができない。

 それでも、わたしたちは黒い都があることを知っている。

 竜族の王族たる世界竜族の都。

 わたしの夫となる世界竜族の生き残りの手がかりがそこにあると信じて、わたしたちは旅立つ。


 ウロコを納めた小袋を握りしめた。


 南側のクレメントが、わたしたちに道をゆずる。


 旅立ちの時だ。


「最後に、世界竜族が度々口にした言葉を贈ろう」


 背後のライオスを振り返るのはよそう。

 小袋を握りしめる手に、力がこもる。


「世界を望めば、世界は我が手の中に」


 ほのかに黒いウロコが、熱を帯びる。




 ――


 統一歴3458年 春の初月ういつき15日。


 四竜族の若者たちと、北の帝国の女戦士、西の聖王国の姫君とともに、花婿探しの旅に出た。


 黒い都に至るまでの、脅威の連続。世界の中心の塔での、彼との出会い。

 そして世界の歪みを正し、世界をあるべき姿に正さなければならなくなるとは、まだ想像すらしていなかった。


 そんなわたしたちの旅の話に入る前に、どうしても記しておかなければならない事がある。


 統一歴3458年 春の初月ういつき15日。


 この日のもう一つの旅立ちについて。

 そう、わたしが知る最も偉大な水竜、流星のライオスの楽園への旅立ちを。

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