船頭の息子
まっすぐ行きなさいとライオスが言っていたから、一本道だとばかり思ってた。
「むぅ」
目の前で道が交差している。これで三度目。
しばらくウロコをしまった小袋を握りしめながら考えるけど、結局折れることなく進むことにする。確かにまっすぐ進んできているけど、自分の知ってるまっすぐではない。
「後で、ライオスに文句言ってやるんだから」
誰かが耳にしたら顔色を変えそうなことも、わたしは平気で口にした。
「あんなに笑うなんて、本当に失礼しちゃう」
先ほどお腹の虫が鳴った時に笑われたことにも、わたしは腹を立てている。
腹を立てていたから静かすぎる森の中に一人でも、ズンズンと恐れずに進んでいけたのかもしれないが。
「まっすぐってなんなのよ。まっすぐってぇ」
渡し場にたどり着いたのだから、問題はなかった。それでも五回も道が交差していたのだから、正しい道はどれかと迷わなかったわけではない。
「わぁ」
木々が途切れたと思ったら、感嘆の声を上げてしまうほど美しい景色が目の前に現れた。
黒い石の道から、茶色い土の地面に、それからすぐに白い石が転がっている湖岸に、その向こうには穏やかな星辰の湖が広がっている。
海は知っているけど、湖は初めてだ。
海も湖もうみと呼ばれるくらいだから、リュックベンの海を思い浮かべていたというのに。
何たることだ。
昼下がりの穏やかな日の光が、
湖に見とれていると、視界の右端でとらえていた桟橋から声が聞こえてきた。春の大祭から、三ヶ月ぶりに耳にする声が、もう懐かしく思える。
「お久しぶりです! 姫さま」
本当は姫さまなんて呼んでほしくないのだけど、言い返すのもうんざりしてきた。
駆け寄ってきてくれたダグラスは、わたしの背後を気にする。
「大おじいさまはご一緒ではないのですか?」
「大おじいさま?」
「我らが長ライオスさまのことですよ」
首をかしげるわたしに、ダグラスはこともなげに教えてくれる。
「ライオスさまは、俺の曽々々々々々祖父に当たる方ですから、大おじいさまと呼ばせてもらっているんです」
「ふぅん。あ、すぐに行くって言ってたよ」
「では、姫さまだけでこの渡し場まで?」
「うん。なにか食べさせてくれるからって」
そういうことならと、うなずいたダグラスと並んで桟橋へと歩き始める。
「今夜は、姫さまを歓迎する宴があるんです」
「宴?」
「そうです。大おじいさまが急に決めたのですが、みんな大喜びですよ。なにしろ、ありったけのご馳走にありつけるのですからね」
「ありったけのご馳走……」
わたしのお腹の虫が間抜けな音を立てる。赤面することもできないくらい、ありったけのご馳走に期待してしまう。
「でも、なにか食べておいた方がいいですね。主役のあなたが空腹で倒れてしまったら、元も子もないですから」
「うん」
渡し場の桟橋の向こうには、一艘の白い小舟がとまっていた。
桟橋の上で待つようにわたしに言って、ダグラスは小舟の上に飛び移る。
桟橋の端に腰を下ろしていると、少し先の湖岸に水色のふわふわした髪の男の子がいることに気がついた。少し年下の男の子が湖に向かって腕を振るうと、白い小石が湖の上を跳ねる。
「ふぅん」
水切りだ。
わたしも港町に生まれたからには、馴染みのある遊びだ。お姉ちゃんや近所の子たちと競うように遊んでいた。お姉ちゃんは男の子に負けないくらい、水切りが上手だった。
それにしても、その男の子は下手くそだ。3回跳ねればいいところらしい。
「ああ、そうだった。アーウィンが、持っていたんだった。おーい、アーウィン! アーウィン!」
ダグラスが舟の上から男の子に呼びかけるが、男の子は水切りに夢中で気がついていないようだ。
「まったく、どうしようもないやつだ。姫さま、もうしばらくお待ちください」
桟橋に一度戻ってそう言うと、ダグラスはその男の子のもとに向かった。
「むぅ」
そのアーウィンと呼ばれた男の子のことが気になって、わたしはダグラスの後についていった。
「アーウィン、呼んだら返事くらいしろ」
「え? 呼んでたの?」
ダグラスに頭を小突かれてキョトンと目を丸くしたアーウィンに見せつけるように、わたしは湖に向かって石を投げる。湖岸には水切りに最適な小石ばかりで、不自由しなさそうだ。
トントントンと、リズミカルに水面を跳ねた回数は18。最高記録の23には届かなかった。
「まずまずね」
フフンと、振り返るとアーウィンの顔がみるみるうちに真っ赤になって泣き出した。
「な、な、なんなんだよぉおお」
「アーウィン、泣くな。みっともない」
「だって、だってぇえええ」
びっくりするくらい、アーウィンは泣いている。
もうしわけない気分になってきた。わたしだって上手く跳ねるようにと練習しているところに、何倍も跳ねられたら悔しいに決まっている。泣かせてしまってから、わたしはそんな大事なことに気がついたのだ。
「もう、泣かないでよ。わたしが、教えてあげるから」
「ほんとに?」
「うん」
面白いくらいピタッと泣き止んだアーウィンに、石の選び方から教える。
「こういう平べったいのがいいの。平べったくて、丸いのよ」
「これ?」
「うん、そう。……でね、持つ時はこう」
わたしがアーウィンに水切りのコツを教えているのを、ダグラスは微笑ましく見守っていたそうだ。
「まったく、空腹も忘れてしまうなんて」
息子とわたしが仲良くなる。それだけでいいと、その時ダグラスは思ったのだそうだ。
――
ダグラスが桟橋の端に腰を下ろして、わたしたちの水切りを見守ってどのくらい時間が流れただろうか。
裾が湖を撫でる風にひるがえった深い青の長衣を、ダグラスは視界の端に捉えた。
「ずいぶん、楽しそうで何よりじゃないか」
「ええ。姫さまもお腹をすかせていたようですが、それも忘れて夢中です」
大おじいさまと、ダグラスはうやうやしく続けて立ち上がる。
「呼んできます。大おじいさまは、先にお乗りになってお待ち下さい」
ライオスが空を飛ばなくなって久しい。異常と恐れられる長寿を理由としているが、本当のところはライオス自身にしかわからない。
「本当に元気な姫さまだ」
あっという間に上達したアーウィンにムキになっているわたしが、年老いた水竜の青い目にはどう映っていたのだろうか。
ダグラスに声をかけられた時には、アーウィンはわたしにとって生意気な弟分になっていた。
「もう少しでフィオに勝てたのに」
「なによ。さっき、さんざん泣いてたから、手加減してあげたのがわからないの?」
「なんだよ」
「なによ」
「早く舟に乗らないと、置いていくぞ。ほらほら、ご馳走がなくなっても知らないからな」
すぐに足を止めてにらみ合うわたしたちを、ダグラスが急かす。ご馳走がなくなるという脅し文句がなければ、日が暮れるまでわたしたちは水切りを続けただろう。
わたしはダグラスに抱きかかえられて小舟に乗った。先に乗っていた深い深い青の髪を背中でゆるく束ねている青年が、北の石舞台で出会ったライオスだと直感した。故郷の岬に昔からあると伝わる苔むした巨石が、ふと脳裏をよぎる。
「ずいぶん、アーウィンと親しくなったようだね」
船首側に座るライオスと向かい合うように座らせてもらうと、彼は笑ったようだ。伏し目がちな彼の表情は、いまいちよくわからない。
アーウィンは、わたしよりも小さいくせに舟に飛び乗ってくると隣りに座った。やはり、生意気だ。
「出しますよ」
もやい綱をほどいたダグラスは、船尾で船を漕ぎ始める。
まるで湖面を滑るように舟が進む。
「大おじいさま、僕もご馳走食べられるんだよね」
「もちろんだとも」
「ねぇねぇ、どんなご馳走? 僕の大好きな……」
「いい加減にしなさい。お前のための宴じゃないんだぞ」
「……わかってるもん」
ダグラスにたしなめられて、アーウィンはしょげかえる。いい気味だ。
さきほどから気になっているのだけど、ダグラスが舟を漕ぐのに使っているのは、
「
「ろ?」
チラチラと船尾を気にしていたら、ライオスがそっと教えてくれた。
「この星辰の湖でも、艫を扱うのはダグラスだけだ」
「すごいんだからな」
「アーウィン、お前が自慢してどうする。大おじいさま、俺以外にも扱えるやつはいますよ」
苦笑混じりのダグラスの反論に、ライオスはゆっくり首を横に振る。
「だが、好んで扱う者はお前以外にはもういない」
「…………そう、ですね」
どこか、寂しそうにダグラスはライオスに同意した。
「さて、姫さま。それほど艫が気になるなら、こちらに来なさい。よく見えるから」
「むぅ……うん」
伏し目がちで何を考えているのかよくわからないライオスの隣りに座るのは、抵抗があった。結局、艫というものをよく見たいという好奇心が勝った。
船頭の二つ名を持つダグラスが漕ぐ舟の上を、ライオスに手を添えてもらって移動する。
左舷よりにある艫を握りしめて、ダグラスがまっすぐ前を見据えながら力強く漕ぐ姿が確かによく見える。
「ダグラス、舟歌を歌ってくれないか?」
「舟歌、ですか?」
ライオスの注文にダグラスは困惑したようだったが、すぐに長のご所望ならと歌い始める。
ヘイオー、ヘイオー
船を漕げ、ヘイオー
あの人のもとへ、今宵も船を漕ぐ
ヘイオー、ヘイオー……
単調なメロディの繰り返し。湖に響くダグラスの優しく力強い歌声。時々、アーウィンの楽しげな歌声も混ざる。
左右に穏やかに揺れる舟は、まるで揺り籠のようだ。
「あれ? フィオ、寝ちゃった?」
目をつむっているだけだと、生意気なアーウィンに言い返したつもりだった。
「起こすなよ、アーウィン」
「わかってるもん」
「本当か? 姫さまは長旅で疲れているんだ」
「わたしが、疲れているところを急がせてしまったからね」
何か言わなくてはと思うのだけど、何を言えばいいのかわからなくなった。そもそも、何も言わなくてもいいのでは――
わたしは、穏やかな揺り籠にそっと身を任せた。
「リュックベンからの旅は終わりだが、姫さまにとっては始まりの始まりにすぎないだろうよ」
眠りに落ちる直前に耳にしたライオスの言葉が、忘れられない。
そう、まだ始まりの始まりにすぎなかったのだから。
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