長たちの会議

 ライオスにウロコを見せていると、石舞台の上に影が落ちた。


「火竜族の長、灰仮面のクレメントの到着だ」


 わたしが驚いて空を見上げると、ライオスが教えてくれた。

 雄大に旋回する火竜の赤いウロコの中に、黒ずんでいるウロコが多くあった。

 四角い石舞台の北側にいたライオスに向き合うように降り立った火竜は、灰色の滑らかな仮面を着けている。


「ずいぶん急な招集だったな。まあいい。こちらも、真理派しんりはの件で話し合いたいと考えていたところだ」


 クレメントの仮面の下から発せられるこもった声は、元からかすれているような気がした。


「で、この小さなお嬢さんは?」


 仮面の向こうの赤い瞳は、とても親しげだった。黒ずんだウロコと仮面という、不気味とすら感じる出で立ちにもかかわらず。


「クレメント、彼女のための会議だ。そろってから紹介させてもらおう」


 不満そうにクレメントが鼻を鳴らすと、再び石舞台に影が落ちる。


「姫さま、風竜族の長、小閃光のロイドだ」


 銀のウロコの小柄な風竜が、西側に優雅に舞い降りてきた。


「ライオス、急に会議など。氷刃のディランが、南のリュックベンに通いつめていたことと関係あるのか?」


「小ロイド、わたしの痛くもない腹を探るのはやめにしないか」


 ロイドの少年特有の高い声には、不釣り合いなほど年寄りくさい口調だが、やけに板についている。


「その小娘はリュックベンから連れてきたのか?」


 あらかじめナターシャから、ロイドがライオスに次ぐ年老いた竜と教えられていたが、少年のような声で小娘あつかいされるのは面白くない。そもそも、小娘と呼ばれたくない。


「小娘じゃないもん! フィオナだもん。フィオナ・ガードナーだもん!」


 なぜか、石舞台を沈黙が支配した。

 最初に沈黙を破ったのは、クレメントだった。仮面で頭を隠していてもはっきりとわかるくらい。大笑いしている。

 もちろん、ロイドが面白く思うわけがない。


「なんじゃ、クレメント! 何がおかしいんじゃ」


「おかしいだろうよ。小ロイド、今のうちに謝罪しなければ、後悔するぞ」


 そう言ったライオスも、笑いをこらえているようだ。


「謝罪だと!」


「むぅ」


 ロイドは嫌な奴だ。四竜族をよく知らないから、わたしはしばらく誤解し続けることになる。


「さて、地竜族の長、一枚岩のヘイデンと奥方のユリアも到着のようだ」


 空を見上げたライオスが言い終わるか終わらないかという頃に、三度みたび石舞台に影が落ちた。


 ヘイデンが東側に降り立ち長たちが揃うと、あれほど広く見えた石舞台が狭く感じる。

 ユリアと聞いて警戒してしまったが、ヘイデンの背から軽やかに降り立った彼女はまるで別人だ。おとぎ話の森の貴婦人のようで、深緑のドレスは上品で美しい。


「急な招集に応じてくれたことに、感謝する」


 背後のライオスの形式的な口上で、ユリアに見とれていた気がついた。ハッとしたわたしにニッコリと微笑むユリアに、やはり玲瓏の岩窟の前で興奮していた人だと思い知らされる。


「この緊急会議は、こちらの世界竜の奥方となられるフィオナ・ガードナーについて、話し合いたい。姫さま、ウロコを見せてやっておくれ」


「うん」


 やはり誰が相手であろうと宝物を見せびらかすことは、気分がいい。黒いウロコを捧げるように両手で持って、ぐるりと回ってみせた。


 しかし、続く沈黙は鳥肌が立つほど恐ろしいものだった。


「クソジジイが!」


 ロイドがものすごい剣幕で、ライオスに食ってかかる。


「話し合いたいだと、ふざけるな。貴様、初めから何もかも決めているのではないのか? なぜ、見出した時に、招集をかけなかった」


 他の長たちよりも二回り小さな体から発せられるロイドの怒りに、わたしは驚いて立ちすくしていた。


「俺も言わせてくれ、ライオス。ふざけるな、クソジジイ」


 クレメントも灰色の仮面の下から、低くかすれた声で静かにライオスに怒りをぶつける。


「なぜ、今まで俺たちに隠してきた。小ロイドが言った通り、リュックベンから連れてきたのだとしたら、我らが陽炎かげろうの荒野が最も近いはず。こんな最も遠い北の石舞台で、会議を開くこともなかっただろうが」


 しかし、ライオスは少しも動じる素振りを見せない。


「世界竜族の花嫁は、我ら四竜族が守り育てるべき大切な姫さまだ。遅かれ早かれ、この竜の森に招かねばならなかっただろうよ」


 何も問題ないとライオスは言うが、ロイドもクレメントも納得出来ないようだ。


「わしが言っておるのは、そんなことではない。クソジジイ、貴様がこの北の石舞台に姫さまを連れてくるのに、どれだけの手間と金をかけた。どれだけの恩を、姫さまに押し売りしたというのだ」


「いくら北の賢者と言えども、見過ごすわけにはいかない。我ら四竜族がと言ったが、貴様らだけで姫さまを守り育てるつもりではないのか?」


 何をそれほどライオスに食って掛かるのか、わたしはまだ理解できない。


「小ロイドに、クレメント、我ら水竜族が姫さまを独占するような言い方はやめてくれないか?」


「どうだかな。我が友も、クソジジイに何か言ってやれ」


 それまで沈黙を貫いてきたヘイデンが、小ロイドに促されて静かに口を開いた。


「では、俺からも一つ訊かせてもらおうか。ライオス、初めから知っていたのではないのか? 滅んだはずの世界竜族に生き残りがいることを。そして、こうして花嫁が現れることも」


 続く沈黙はとても張りつめたものだった。息をするのもためらうほどに。


「知っていたとしても、姫さまを見出したのは、船頭のダグラスだ。星を読むことに長けた船頭のおかげで、姫さまを見出すことができた。ヘイデン、強いて言うならば、一なる女神さまのお導きよ」


 こともなげに言ってのけるライオスは、さすがと言うべきだろう。

 ヘイデンもまた、静かにありったけの怒りをこめて尋ねていたのだから。


 パンパンと、小気味いい手を叩く音が石舞台に響く。


「はいはい。そこまでにしましょう」


 ユリアが中央に進み出る。


「地竜族の長の奥方としてではなく、竜の森に嫁いできた女として言わせてもらいますけど、いい加減になさい!」


 かっこいい。

 四頭の竜――それも長たちに一喝するユリアをかっこいいと、素直に思った。岩窟の前で会った鼻息の荒い女性と、同じ人物とは到底思えなかった。


「いいこと? いくら恩を売ろうとしたところで、花嫁はあなた方の物ではないわ。ましてや、竜族の王族たる世界竜族の花嫁となればなおさら。姫さまはたった一人なのよ。あなたたちが平等に分けられるわけがないの」


 ユリアが少しづつ近づいてきても、わたしはもう警戒しない。

 お姉ちゃんに、ユリアの毅然とした態度を分けて欲しいと思ったくらいだ。


「だから、こうしましょう。姫さまには、多少負担になるかもしれないけど、定めた期間をそれぞれの竜族のもとに滞在してもらいます。面白くありませんが、まずは星辰の湖から順に、玲瓏の岩窟、陽炎の荒野、月影の高原と」


 他にこれ以上の案があるなら、言ってみろと言わんばかりの強気な態度。ナターシャとは別の強さを目の当たりにした。


 ライオスとて異論があるはずもなく、沈黙をもって長たちが納得しかけたときだった。


「ちょっと待て、ユリアよ。なぜ、月影の高原が最後なんじゃ!」


「決まってますわっ」


 あわてて口を挟んだ小ロイドに言い返すユリアの口調に、いいようのない危機感を抱いた時にはもう遅かった。


「わたくしが待ちきれませんもの! こんな可愛らしい女の子の肌を堪能するのが、待ちきれませんもの」


「む、むぅううう」


 ガシッと抱き上げられたわたしが、どんなに抵抗しようとしてもユリアの拘束は解けない。


「あぁあ! もう、このほっぺた。最高! 若いっていいわぁ」


 スリスリと頬ずりされるうちに、そんなに嫌じゃないと気がついてしまった。決して苦しくない力加減のくせに、逃げられないユリアの両腕。


「おい、ヘイデン。やめさせろ」


「友よ、俺に死ねというのか」


 ヘイデンは、奥方のユリアがよほど恐ろしいらしい。


「でも、やっぱり、ちょっと臭うわね。長旅だったんでしょう? 疲れてない?」


「う、うん」


 とりあえず、ユリアのふくよかな胸の中で可能なかぎり首を縦に振った。臭いと言われたことには、ちょっと思うこともないわけではなかったが、早く解放してほしかった。ユリアの抱かれ心地がよすぎたから。


「まだ会議を続けるなら、姫さまだけでも外してもらいましょう。老獪なライオスさまのことですもの、渡し場に船頭を待たせているのでしょう?」


 駄目だ。このままユリアの腕の中で眠ってしまいそうだ。


「俺は構わんぞ。先ほども言った通り、真理派のことで話し合いたいと考えていたところだ」


 クレメントの口ぶりは、暗に真理派の話題にはわたしに立ち会ってほしくないと言っているようだ。

 真理派という言葉は、初めて耳にしたのはこの時だ。その頃のわたしには理解しがたい暗い響きが、そこにはあった。


「しかたあるまい。クソジジイだけが、あらかじめ準備してあったのじゃからな」


 悔しそうに鼻を鳴らすロイドは、とにかくライオスが気にいらないらしい。


「もちろん、渡し場に船頭のダグラスを待たせておる。それに、今宵は我が明け星の館での歓迎の宴の用意も整っておる」


 ロイドのクソジジイという唸るような声を、ライオスは平然と聞き流す。


「俺に異論などあるわけがない。ただ、姫さまだけで渡し場に行ってもらうことになるぞ」


「あなた、わたくしがちゃんと姫さまを送り届けて差し上げるから、問題ないわよ」


 問題ありすぎると、長たちは心の中でぼやいたかもしれない。


「こんな可愛い姫さまだもの。何かあったら、たいへ……あぁ!」


「大丈夫! わたし一人で行けるもん!」


 少しだけ緩んだユリアの腕から脱出したわたしは、必死で長たちに訴えた。このままでは、ユリアの居心地のいい腕の中で眠ってしまいそうだったから。


「ユリア、迷いようがないのだから、姫さまのお言葉に甘えさせてもらおうではないか」


「そんなのってないわぁあああ」


 ライオスの大きな手がわたしを優しく掴んでくれて、どんなに安心したことか。


 子どものわたしには理解できないようなユリアの悪態を聞き流しながら、ライオスは石舞台の下にそっと降ろしてくれる。


「この道をまっすぐ行きなさい。渡し場には、船頭のダグラスがいる。わたしもすぐに行くと伝えてくれるとありがたいのだが」


「うん。わかった」


 力強くうなづいたわたしに、ライオスは嬉しそうに目を細める。


「お腹が空いているなら、彼に言えば何か食べさせてくれるだろう」


 そんなことをライオスが言うから、わたしのお腹の虫はひどい音を立ててしまったのだろう。

 恥ずかしいったらなかった。

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