世界竜族

 黒いウロコのことを知っているのは、わたしの家族とホーンばあさん。もしかしたら、ホーンばあさんが他の誰かにウロコのことを教えているかもしれない。

 お姉ちゃんがそう考えて、ホーンばあさんの家に足を運ぶのは自然な流れだった。


「フィオも、絶対に誰かにウロコを見せちゃ駄目だよ」


「うん」


 お姉ちゃんの手の中にある水の鈴はいいのかと、思わないでもなかった。ダグラスが割った水差しの水で作ったそれは、実際に鈴だった。透明な鈴は可憐な音を響かせるけど、雑踏の中ではかき消されてしまう。耳元で鳴らすお姉ちゃんを見ていると、とても気に入ったのがよくわかる。


「……お姉ちゃん」


「どうしたの?」


 ホーンばあさんの家の手前で、足を止めたわたしを怪訝そうな顔でお姉ちゃんは振り返る。


「今日は、ホーンばあさんに会いに行ったら駄目な気がするの」


「水竜さまに言われたじゃないの……あっ」


 お姉ちゃんは、ホーンばあさんの家を出入りする人影に気がついたみたい。


「そうだね、またにしよか。フィオ、広場でサンドイッチ食べよう」


「うんっ」


 わたしも一瞬だけその人影を視界の端に捉えたけど、なんとも思ってなかった。お姉ちゃんは、その人影がお医者さまだと気がついたのだろう。


 ホーンばあさんは、今朝から体調を崩していたらしい。そしてそのまま、夜ふけに楽園に召されることになるなんて、その時わたしは夢にも思ってなかった。

 かなり歳を取っていたし、わたしの黒いウロコを返すことができて、安心して楽園へ旅立てたんじゃないかと、お姉ちゃんは言っていた。わたしもそうであってほしいと願っている。


 時々、こうしてわたしのカンが冴えることがあったらしい。だから、お姉ちゃんはわたしを特別だと言いはったのかもしれない。


 広場でサンドイッチを食べた後、お姉ちゃんと我が家に帰ってきた。


 お姉ちゃんは早速、お父さんとお母さんにダグラスとの話をしたかったようだけど、忙しいからと相手にされなかったようだ。


「なによ、もうっ……」


 屋根裏の子ども部屋にきたお姉ちゃんは、とても機嫌が悪そうだった。でも、お姉ちゃんの機嫌なんてどうでもいいくらい、わたしには気になってることがあった。


「お姉ちゃん、世界竜族ってどんな竜族だったの?」


「そっか、フィオは古の竜族のこと知らなかったんだったねぇ」


「世界竜族っ」


 どうしても、古の竜族と呼ばれるのが嫌でしかたなかった。

 はいはいと機嫌をなおしたお姉ちゃんは、ベッドの上のわたしの隣りに座る。


「世界竜族ってのは、四竜族よりもずっとすごい竜族だったんだって」


「すごいってどのくらい?」


「うーんと……」


 腕を組んでお姉ちゃんは、真剣に考え始める。もともと、お姉ちゃんは勉強が好きではなかった。

 三年前からアウール神殿で読み書きなどを教えてもらいに通っているお姉ちゃんは、早くやめたいって愚痴っていたくらいだ。


 それでも、お姉ちゃんは世界竜族について知っていることをなんとかわたしに伝えようと努力してくれた。


「四竜族もあわせたすべての竜族の王さま――竜王さまっていったらしいんだけど、竜王さまは世界竜族の長だったんだって」


「偉いんだ」


「そうっ! 偉くてすごいの。なんか、黒い都のすっごい塔で、未来とか占ってたんだって。しかも、必ず当たるとか……」


 お姉ちゃんの話でわかったのは、とにかく世界竜族はすごくて偉い竜族だったということくらい。


「お姉ちゃん、なんで今は四竜族しかいないの?」


「それは、世界最大の謎なのよ」


 はっきりいって、お姉ちゃんは語り部失格だ。ホーンばあさんなら、もっとわかりやすく話をしてくれただろうに。

 お姉ちゃんは、神妙な顔つきで世界最大の謎を語り始める。


「今から千年くらい前に、一晩で滅んだんだって」


「一晩?」


「そう、嘆きの夜って呼ばれているんだけどね。黒い都でみんな死んでたんだって」


「へぇ」


「なんかね、一なる女神さまの怒りに触れてしまったんじゃないかとか、色々言われてるんだよ。でも、すごい竜族だったから……」


 夕刻の鐘が鳴るまでお姉ちゃんは熱心に世界竜族について語ってくれた。けれど、すごくて偉いけど、滅んじゃった竜族ということくらいしかわからなかった。それでも、当時のわたしにしてみれば初めて知ることばかりだった。


「もうすぐ、ごはんだね」


「うん。それにしても、水竜さま、お祭り終わらないと、星辰の湖に帰れないんだよねぇ。早く、フィオのこと相談してほしいのに」


 チリンチリンと透明な鈴を鳴らしながら、お姉ちゃんはぼやいた。


「リーナ、フィオ、ごはんだよ」


 そんな可憐な音をお母さんのいつもの声が、かき消す。

 つまらなそうなお姉ちゃんには申し訳ないけど、わたしはとてもお腹が空いている。




 ――


 わたしたちガードナー家の女三人が食卓を囲んでいた頃、ガードナーベーカリーの店主アーチボルドは、店じまいをしていた。


 初代から受け継がれているカウンターを、丁寧に磨いている。

 明日からの大祭の間は店を閉めるため、いつもよりも念入りに磨いている。――いや、彼にとって理由なんてどうでもよかった。すでに磨き上げられたカウンターを磨きながら、彼は考える時間が欲しかったのだ。


 たった一人の徒弟の少年エルマーは、もう家についているだろうか。

 よく働いてくれるし、物覚えのいい赤毛のエルマーだが、長女のリーナとは相性が悪すぎる。リーナがもう少し大人しさを覚えてくれれば、婿養子にもらって跡取りにできるというのに。もっともエルマーは、自分の店を構えたいようだが。

 なら、下の娘のフィオナはどうかと言えば、まだ七歳ということもあってか、今いちよくわからない。

 できることなら、無理強いはしたくない。


 アーチボルドは、深い深いため息をついた。


「黒いウロコなんて、なにかの間違いだ」


 誰に言うでもなくつぶやいて、カウンターを磨く手を止めた。


 チリンチリン……


 ドアベルの音とは違うと頭の片隅で感じ取ったが、確かに人の気配を感じて顔を上げる。


「今日はもう、店は閉めたん……」


 ――閉めたんだと、最後まで言い切ることができなかった。


「ええ、承知しておりますよ。ガードナー氏」


 にこやかに笑う青い長衣の優男の瞳もゆるく束ねられた髪も、深い青。


 言葉を失い、信じられないと目を見開くアーチボルドに、水竜の青年は――そう、水竜以外の何者でもない――うやうやしく一礼する。


「突然の訪問、どうかお許し下さい。俺は氷刃ひょうじんのディラン。我らが長ライオスより、言伝ことづてを伝えるよう命じられてまいりました」


 まだ茫然自失としているアーチボルドに、ディランはためらうような間を置いてから、老竜ライオスの言伝を口にする。


「世界竜の花嫁となるフィオナ・ガードナーを、我々に預けてほしい」


 アーチボルドはまだ言葉を失ったままだったが、何を言われたのかは充分すぎるほど理解できたようだ。




 ――


 お姉ちゃんとわたしがなかなか母屋に戻らないお父さんを呼びに来た時、お父さんが力強い拳でディランの鼻っ柱を殴りつけていた。


「お父さん!」


 お姉ちゃんの声に我に返ったお父さんは、ディランの胸ぐらを掴んでいた手をはなした。

 真っ赤だったお父さんの顔は、みるみるうちに真っ青になっていく。


「さすがに、ちょっと痛かったです」


 ふらめいたものの、ディランは尻もちまではつかなかった。でも、鼻を押さえている白いハンカチに赤いものが滲んでいる。ちょっと痛かった程度ではなかったはずだけど。


 神殿の離れで会った船頭のダグラスよりも深い青をまとっている氷刃のディランは、もちろん敵ではない。

 けれども、わたしたちガードナー家の日常に良くも悪くも決定的な変化をもたらしたのは、間違いなく彼だった。

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