第2話
あれから慌てて家に帰った。
午後2時に遊びにいくから迎えに来てと連絡がきていた母の迎えに、家の最寄り駅へ向かう途中だった。せっかくだからとひとりでランチをして、駅に向かうその道の上で、転んで右目が無くなった。とりあえず左目は無事な様子で、視界もあるからひとりで歩けた。右目のあたりは右手で覆い、左手にはガラス玉を持ったまま。家についてドアと鍵を閉めて、恐る恐る右手を顔から外した。そっと右手を見る。特に出血はない。靴を脱いで急ぎ洗面台に向かった。勇気を出して、鏡の前に立った。鏡に映る、自分の顔を覗き込んだ。右の眼孔に違和感のある、たるみ切った瞼が見える。瞼を開けようと意識を集中させると、もそもそ動く様子が見える。己の顔面で起きている異様な事態に、改めて血の気が引いた。
これは、病院に行ったほうがいいのだろうか。いや、病院以外の選択肢などないのだけれど、どうしたらいいのか判断つきかねる。救急車を呼ぶほど緊急事態じゃない(と思いたい)、でも病院まで自力で行くのは大変、タクシー代はできれば払いたくない。やはり歩いて最寄りの病院まで行くしかない、と判断した。思わず、生唾を飲み込む。部屋の中が、しん、とした。
ガチャン、ピンポーン
突然の物音に飛び上がるくらい驚いた。来訪を知らせるドアのチャイム、一瞬対応を躊躇して、母との約束を思い出した。
「あ」
時計は午後2時20分をまわっている。
慌てて玄関に出た。
「待っても来ないし、ケータイにも出ないし、自力で来ちゃったよ」
ドアを開けるなりの第一声、怒るでもなく、責めるでもないハリのある声、はいお土産と紙袋を渡された。
ああはい、と渡されるまま受け取って、キャリーケースを運び入れる姿を呆然と眺めた。
「お迎えお願いしてたのになー」
忘れてたの?と言いたげな言葉に、返す言葉が出てこない。
忘れていた訳ではないし、自分の身に起きた出来事を、どう表現したらいいのか。
紙袋を両手で受け取ったまま、顔を伏して返事出来ずに立ち尽くした。
「何かあったの?」
返事のない私に改まって言葉を投げる。何か返さなくては。
そう思って顔を上げた。
目の前に、私の顔を見る母の顔。
「あら、右目」
真正面から問いかけられ、いよいよ返事をしないわけにはいかない。
「これはさっき、外で転んで‥‥どっかいっちゃった、みたい‥‥」
絞り出すようなか細い声。
「え、なくしたの?」
母はカラッとした声で確認してくる。
そう、なくしたようです、と心の中で答えて、頷いた。
「で、落ちた目は回収できたの?」
「え?」
「えって、どこかに落としたなら、近くに転がってたでしょ、探してないの?」
「いや‥‥眼球は転がってなかったけど‥‥」
眼球をなくしたというとんでもない告白に冷静な母の言葉に、返って動揺してしまう。
「けど?」
「が、ガラス玉‥‥」
縋るように、ガラス玉を持ち帰ったことを伝えた。私のものだとおばちゃんに言われたもの。
とりあえず母に見せてみた。
「ああ、よかった。回収してあるじゃない。洗ってはめ直したら?」
私の顔を見て、にっこり笑った。
ビードロの瞳 @blanetnoir
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