第5話 君の囁く声
「君の囁く声」
そっと手繰る君の余韻を 灯が消えた街のほとりで
揺れる影の君の姿を追った 涙痕の残る街角を抜けて
どこまでも遠く どこまでも強く 握り締めていたあの掌に
抱かれた僕の心の欠片が 君を求めて さまよいだした
忘れないと呟いた君の残り香 僕をとらえ
このままで全ての時を過ごそうと 交わした約束が消えていく
道を照らす月の明かりが 閉ざされていた心を開いて
忘れかけた記憶の隅に 残された君の笑顔が見える
愛でさえ時に 壊れ行く音に 耳を閉ざして全てをさえぎる
君だけの想いだけ頼りにして 光瞬く場所へと目指す
思い出だけでは満たされない僕の心 陽の当たる場所へ歩き出して
辿り行く過去と現在 未来を繋ぐ糸が 音を奏でて連れだしていく
君が囁く言葉が
嘘と本当の狭間で揺れる
二つのドアの向こうで 僕らは生か死を選ぶ
限りなく続く この旅路の果てに 君だけが一人立ち尽くしている
僕が残す足取りだけが 朧な未来を照らしていく
このままで全て 時も場所も止めて
君だけが全て 僕の道筋を知っている
二人の想い出の全て 空の先で煌めく
君だけが一人 謎を繙ける人さ
何も彼もが最後 明かされて行く秘密
君とだけが二人 辿り着ける楽園
あの時の あの場所 極彩色に染まる
僕達が探り出す 美しい奇跡の影
光の渦の中へと 揺らめきながら羽ばたいて
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「大宗の曲だね。歌詞はシンプルに失恋の詩だ。未練のあるね。でも当時の僕が書くと、暗喩が多くて若干分かりづらいね」
そう言って米柄は笑う。爆発的反響を得た「THE DELIGHT」の次のシングルとしてアルバムからカットされた「君の囁く声」。だが残念ながら売り上げのの面ではやや芳(かんば)しくない結果を残した。そのことについて米柄は指先を絡めて、肘をテーブルにつくと思い返す。
「大宗の曲自体はよく出来ていたと思う。ロマンティックで儚げで。東機も綾瀬もモッちゃんもアレンジでよく頑張ってくれたと思う。全ては詩だね。プライベートな感情を比喩の多さでさらに分かりづらくしてしまった」
私が「でもファンの間では人気の高い曲ですよね」とフォローをすると、米柄は少し機嫌が良くなったのか、上気した表情で身振りを交える。
「うん。当時もらったファンレターの中でも、『ここはこういう意味ですよね?』とか『私はここをこう捉えました』とか、意味を自分なりに考えてくれた人が多くてね。嬉しかったのを覚えている。それに何より大宗の曲だから。彼には熱狂的なファンが多いからね」
最後、苦笑いまじりに話す米柄は、予想外、トリッキーなことばかり引き起こし、その種の行動の多かった大宗の魅力を、存分に把握しているようだ。この「君の囁く声」はBMITSファンだけが静かに共有できる幸せな曲だったかもしれない。
私がこの曲の置かれた場所について思いを巡らしていると、米柄が思い出したように笑いだす。
「大宗がね。この曲のレコーディング中に突然席を外して、スタジオを出ていったんだ。まだ大宗のパートを録り終えてない時点でだよ? メンバーは大宗が戻ってくるまで次の作業ができない」
大宗への苦言を口にしながらも米柄は、心楽しそうだ。彼の追想は続く。
「メンバーが気をもんでいると、しばらくしたら大宗が帰ってきてね。手には近場のクレープ屋で買ったクレープを、自分のを含めて四人前持っていた。メンバーへの差し入れだったらしい。なのに僕にはクレープじゃなくて、六個入りのたこ焼でね。面白いよね。そういう軽い気遣いとイタズラでメンバーをリラックスさせようとするなんて」
私がその微笑ましい光景、大宗らしい振る舞いに笑い声を立てると、米柄は満足げに大宗の人となりを話して聞かせる。
「大宗は基本的に、優しいし、ユーモアのある男なんだよ。繊細で気配りもできる。奇矯なところばかりフューチャーされがちな人物ではあったけど、そんな一面も忘れてほしくないな」
米柄のその言葉に、大宗への深い信頼と愛着が覗いているのを、私はたしかに感じ取った。大宗。誤解の受けやすい人物だったが、やはり人を惹きつけてやまない男だったのだ。私が要点をメモしていると、米柄が最後一言口にした。
「モッちゃんがね。彼のクレープはイチゴ味か何かだったんだけど、しきりにパパイヤかココナッツ味はなかったっかって言うんだ。メンバーが『パパイヤ? ココナッツ? クレープにあるかな? そんな味』って笑うと、モッちゃん、ふてくされちゃってね。しばらく口をきいてくれなかった」
本橋と米柄は、メンバーの間でも特に仲が良かったと言われていた。そんな可愛らしいエピソードを昨日のことのように話す米柄は、BMITS時代が彼にとって本当に幸せな時間だったことを表していた。
「『君の囁く声』はファンとメンバーでだけ幸せになれる曲だったよね。本当に」
そう話す米柄は遠くに視線をやり、目を細めていた。
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