ルーズヴェルト・らぶ

満月 愛ミ

ルーズヴェルト・らぶ

 眩しく肌に照りつける太陽。鼓動が高まる、手に汗握る展開。心の中はそんな状況だ。藤宮は初回でどんなプレイを見せてくれるのか。とおれは自分で実況しつつ息を整え、意を決して声を出す。


「あの! 夢路さん!!」

「ごめん。忙しいの」


 彼女の視線は一瞬虚空へと上がったがおれを捉えることもなく大きく外れてそのまま彼女の持つ本へ。嗚呼、まじか。

 肩まで伸びた彼女の黒髪が揺れるだけでおれの心はどきりとなる。


「ストライーク! バッターアウトッ!」


 恨めしくもおれのそばでそんな審判の声が聞こえた気がした。


「ってうっせえんだよ花松! 実況してんじゃねえよっ!」

「ありゃ、もしかしてデッドボールだったか? おれ判断ミス的な?」

「マジむかつくなおまえはよ」

「ま、どんまいどんまーい。まだチャンスあっからさー。しまってこーぜ」


 おまえ今明らかに面白がってんだろ。花松と呼んだのはおれのダチ。同じ野球部だ。そしておれはピッチャーで花松はキャッチャー。まあ、夫婦だな。

 ケッ。本当の夫婦は女子となりてえよ。


 夫婦……か。それはもう里美さんと……ふふふふふふ。


「おいだいじょうぶかよ藤宮。キモイぞまじで。自称イケメンが泣けるな」

「うっせえよ! 黙ってろ花松!」

 

 狙う相手は同じクラスの、運良くも悪くもおれとは席の離れた場所に座る女子の“夢路 里美”さん。ゆめじさとみって読むんだぜ。

 いや待て、里美姫のほうが合ってるな。里美姫。夢路っていう華やかな苗字からしておれの目指すものはきまったも同然だと思ってる。


「よりによってアイツか。おまえも物好きだよなー」


 花松が輪をかけておれをイラつかせるのはきっと湿気のせいだけじゃない。まあ、花松にとっては里美さんがどうもいけ好かないらしい。信じらんねえ話だけど。


「だってよー、アイツいつも無愛想じゃん? 友だちと話してるの見たことあるか?」

「……無愛想とかいうなよ、美人の特権だろ」

「あのな、おまえすぐ美人とかいうのやめろって、美的感覚疑われるぜ」

「うっせえな! おれの美はすげぇっての!」

「美的感覚な。略しすぎ」


 花松は里美さんが美人じゃないとか言いてえのか。可愛いとか美人だとか、人それぞれなのはわかるけどよ。

 あと、ここで殴ったら里美さんによくないイメージを与えてしまうからぜったいにしない。だから……後でおぼえてろよ花松。


「一体あいつの何が藤宮をそうさせるんだろうな」

「……やだ照れる」

「うぇえええ!」


 おれは花松を思い切り肘で突いた。わりい花松。たぶん脇腹がしばらく痛いかもしれねえ。


 あのな、ちゃんとあるんだよ。どうしておれが、里美さんを好きで好きでたまらなくなったか。

 ちゃんとな。


「おまえには言ってなかったもんな、花松」

「おお? 隠しごとしてたのかよ、おれという奥さんに」

「まじシメんぞ」

「ごめんって。で、なに。退屈させんなよ?」

「それはだな……」


 おれは自分の右足を見つめた。


 ――だいじょうぶ?


 あの日は本当、運命っていうか、ドラマティックだったよなー……。


「ふっ……ふふふっふふ」

「だからキモイって!」

「ってえ!」


 今度はおれが花松に叩かれた。

 それは、そうだな。半年くらい前になる。練習試合で相手校のヤツに挑発されて、おれだけイラだってたんだ。


「おまえって、ピッチャー以外なんもできねから安心だぜ」

「んだと……!?」

「おい! 藤宮、落ち着けって!」

「うっせえ! わかってるよ、はなせって花松!」


 試合は9回裏、おれたちが5点、相手校が7点だった。

 最後の攻撃はおれたち。ツーアウトだったが満塁で逆転を狙える最大のチャンスということも分かってた。


「雨……降ってきたな」


 会場を見るチームメイトが言葉をこぼすのが分かった。雨だからなんだってんだ。試合運びは、そこまで悪い方じゃなかった。だけど、天候はどちらに味方するのか。男の奥さんから「練習試合なんだから、落ち着けよ」って注意受けてたのにな。

 男のプライドが許さなかったっていうか。


「ぜったい、打つ!!」


 イラついてたっておれとボールは長い付き合いなんだよ。逃すはずねえ。


 カキーン――!


「よし……!」

「走れー! 藤宮! 走れー!」


 足を踏み出すとき、挑発してきた相手と目が合う。ざまみろと、おれは鼻で笑って走った。塁にいた仲間がホームベースに無事にたどり着いて点数が順調に入って行く中で、あとはおれがホームベースに帰れば逆転勝利で試合終了だった。


 3塁、外野がこっちに向かって投げようとしてる――。ぜってえ間に合う!

 おれは無我夢中で走った。ベンチからの走れコールは止まらない。ただ、目が合った花松は、真剣な顔しておれを見ていた。


「ん?」


 走りながら、ふと振り返ると、ミットを構えたサードがもうすぐ側まで来ていた。


「嘘だろ!?」


 伸びて来た手に、タッチされまいと避けようとして、変に湿った地に足をとられてバランスを崩したものだからそのまま倒れ込んでしまった。

 その上から、サードのやつも足場を無くして乗っかってきたものだから、おれは相手の体重でつぶされて、痛みも走って声をあげた。


「……痛ってえ……!」


 右膝が、いや、右足全体がうまく動かない。


「おい!! 大丈夫か!?」


 花松が一番におれの元へ走ってきてくれたのはよく覚えてる。だからといって里美さんを変に言っていいかといえばそれはまた別の話だ。


「ったく何やってんだよ! 練習試合であそこまでムキにならなくったっていいだろ!」

「うっせえな、負けたくなかったんだよ」


 自分でも、あのときは無駄に熱くなりすぎたと分かりきってるだけに、花松の言葉がよけいに身にささった。


「運がよかったね、軽い打撲だよ」


 その試合の後、軽い打撲という診断で済んだおれが病院から出てきたときだった。


「あ……夢路、さん?」


 その時、私服姿の里美さんと運命的にもばったりあったんだ。それまではただのクラスメイトとして見ていただけだったけど。


「藤宮くん? ……どうしたの?」


 ひどくなってきた雨音のおかげで里美さんの声が聞きづらくて少し近づく。その会話が、実はおれたちの初めての会話だったなんて。同じクラスに居ても、話す機会がないと本当に話さないまま時は過ぎていくもんだ。


「いや、ちょっと試合でヘマしちゃって、さ」


 アホだよなと笑ったが、里美さんはそのときは笑いもせずおれの足をじっと見ていた。


「だい、じょうぶ? 歩けるの?」


 目がマジだった。心配してくれている。当たり前のことかもしれねえが心配してくれている。


「ああ、どうってことねえよ」

「そっか……。よかった」


 里美さんが少し微笑んで、おれを見ていた。あんなにうるさかった雨音がとても心地よく聴こえてきた。これってさ、ドラマティックっていうのかな。やばい。里美さんの言葉は、誰にだって言える言葉だってのも分かってる。

 分かってるけど。

 里美さんのその気持ちが、そのときのおれには本当に救いになる一言だったんだ。


 おれの話を聴いた花松は本を読んでいる里美さんへ視線をまじまじと向けている。


「んー……。それがきっかけで好きって言ってもなー」

「んだよっ」

「いやぁ、無理あるっつうか勝ち目あるのかって話だよ。だって夢路、普段あんなだぜ」

「“さん”つけろよ! 夢路さん!」

「別にいいだろ、そこまでこだわらなくてもさ」

「だめだ! “さん”つけろ! 夢路さんだ!」


 おれがちょっと興奮したときだった。


「何?」


 その声に、固まった。おれたちのすぐそばに里美さんが居る。

 わ、美しくてまぶしいっ!

 で、でもどどどどうしよう、里美さんの顔が……ちょっと怖いっす。でも話せるこの喜びって、どうなってんだよおれ。


「おまえ声でかいんだよ……!」


 花松がおれに向かって苦渋の声を放った。里美さんはおれたちを鋭い目つきで見ている。


「なに」

「い、や、そのちょっとあの、えと」


 やばい。里美さんめっちゃ怖いんですけど……!

 どうしよう。


「ったくさー……あのな夢路、コイツ夢路に借りがあるんだってさ」

「え、あたし?」

「ハァアアア!!?」


 花松てめえ何を言い出すかと思えば!


「コイツ、足怪我した時、夢路に声かけてもらったことに救われたんだって。それで何かお礼できないかっておれに話してたんだ」

「おい、ちょ!」


 何かすんごくおれいい人みたいになってねえ!?


「そう」


 里美さんの表情が、変わった。なんというか、驚いてるというか、目が丸くなったというか、そんな表情。

 初めて見たな。


「だいぶ前のことだしお礼なんていいよ。ありがとう」


 それじゃダメなんだよ。あんなに救われたんだ。


「そっ!」


 なんとか声を振り絞って出すと、花松と里美さんが同時におれを見る。


「ん?」

「え?」


「な、何かおごるよ! じゃないとおれの気が済まねえ!」

「……いいよ。わるいもん」

「アイス嫌い!?」

「いらないから」

「じゃあ奥さんのおれにおごってくれよ藤宮」

「リアル奥さんじゃねえし! マジおまえだまれよ花松!」

「あのさ。あたし、戻っていい?」

「ダメです!! そしたら、もし夢路さんがケガしたらおれが支えるから! っていうかおれが夢路さんを支えさせてください!」

「おい、押すなぁ藤宮。なんかプロポーズっぽくね?」

「えっ?」

「……」


 おれが花松につっこまれてやっと気づいた。里美さんが少したじろいてしまっている。やべ。やべえよこれ。


「って、あ……。ご、ごめん」


 里美さんにドン引かれてしまってはもうおれもおしまいだよ。


「夢路?」


 花松が里美さんの様子をうかがおうとした時だった。


「ふふっ……。ばかじゃないの」


 口元を押さえた里美さんが、笑っていた。とても、自然な笑顔で――。


「大げさだよ、本当に。じゃ、戻るから」


 里美さんはそれから振り返りもせずに席に戻って、本を読み出していた。


「おまえさ、勝ち目あんのかよ本当に。これコールド負けじゃねえ?」

「マジかよー……」


 ドン引かれてたとしても、あの笑顔は、あの笑顔は本当に自然だったから。コールド負けなんかんじゃないとは信じてえ。


 そして夕日はおれの心を優しく癒してくれる。夕日に照らされるグラウンド。野球部の声。目の前には黒く光る装備付けたニセの奥さんの花松が座ってて。微笑みをくれて――。


「ってうええええ!」


「いいからお前さ、集中しろよ。おれさっきから腰浮かせなきゃいけなくて困ってんだけど」

「里美さんじゃなきゃだめだ」

「分かってるって。いちいちキモいんだよ集中しろ。当てんぞ」

「どこにだ! ったく……!」


 シュッ――!


 おれの投げた玉は少し弧を描いて花松のミットに収まった。今日もいいスピード出してる。


「……すご……」


「ん?」

「お?」


 明らかに男でない声が聴こえておれはすぐさま声のする方を見た。


「う、そ!?」


 里美さん――!?


「……すごいじゃん……。応援、してる」


 かなり耳をすまして聴こえたその声におれの心臓の鼓動はかなり高まる。それから里美さんは走り出して行ってしまった。おれがぼうっと里美さんの背中を見ていると、突然視界が揺らいだ。小突かれたみたいで、振り返ると花松がいた。


「来てくれてたんだろ、いけよ、チャンスだって」

「お、おう。サンキューな」


 振り返らず走る。里美さんに向かって、走る。


「あの!!」

「……! な、何?」


 おれがまさかついてきてると思わなかったのか、里美さんはかなり驚いている様子だった。


「あの、あのっ、おれ!」

「ねえ……。支えて、くれるとか言ってたよね」

「ああ、あ、はい」

「ふふ……。普通に話していいのに。変なの」

「いや、その……」

「いいよ、あたしも応援するから」

「え?」


 里美さん、一体何をおっしゃっているの?


「藤宮くんがそこまで支えてくれるなら、あたしは、代わりに藤宮くんを応援する」


 その言葉が、アドレナリン全開になるのが分かる。


「は、はい! ああ、ああ!」

「だから、普通に話してよっ」


 クスクスと笑う里美さんがおれにとっては最高でなりません。


「里美姫」

「え!?」

「うあ!? そ、空耳じゃねえ!?」


 遠くで笑い声が聴こえたのはきっと花松だな。花松、なんとかおれ逆転勝ちしそうだぜ。ああ、してやる。


 ここからだ。ここから試合でいいとこ見せて、もっと惚れさせてみせるからな!

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