2.銀河放浪スターゲイザー

 浦島賢人は、昔うちの隣に住んでいた。

 私の家はラーメン屋で、賢人の家はお医者さんだった。

 いわゆる幼馴染みだ。

 私達は一緒に学校に行ったり、帰りにうちで私の父さんが作るラーメンを食べたり、公園で遊んだりした。

 私は賢人より半年早く生まれていて、10cm背が高くて、賢人より足が速かった。

 それがいつの間にか、賢人の肩は私に並んでいて、私より速く走るようになっていて、そして何となく、私たちが一緒に過ごす時間はゆっくり減っていった。



 確か、中学一年の冬だったと思う。

 雪が随分降っていた日だった。

 校門を出たところで、暗がりに賢人が立っているのに気がついた。

「賢人?」

 声をかけると、賢人はハッとしたようにこちらを見た。

 随分長いことそこに立っていたみたいで、頭と肩に雪が積もっていた。

「いばらちゃん。待ってたんだ」

「うわっ、賢人、雪ダルマになってるよ!? いつからここにいるの?」

 慌てて駆けよると、賢人は初めて自分の状態に気がついたのか、びっくりしたような顔になった。

「あ、ほんとだ。気付かなかった」

「せめて下駄箱のところで待ってたら良かったのに」

「そっか、それもそうだね」

 賢人は一つのことに気を取られると、他のものが全く目に入らなくなる。

「風邪ひくんじゃないの?」

 雪を払っていると、賢人は真っ赤な頬で微笑んだ。

「一緒に帰ろう」

 そんな風に誘われるのは、私たちがおおきくなってからは珍しかった。



 私たちは並んで歩きだした。

 辺りはもう暗くて、ぽつんぽつんと街灯の明かりが人気のない道を照らしている。

「こんな時間に一人で帰るの、危ないよ」

「ほんとにね。勉強なんて必要ないんだよ、私は将来ラーメン屋を継ぐんだから」

「……おじさん、いばらちゃんにだけは継がせないって言ってたよ」

 私は当時からラーメン作りが絶望的に下手だった。

「何だよー! 私だって大人になったらうまくなるよ! いつか私のラーメンを食べて、賢人においしいって言わせるよ!」

「いつか……」

 妙な沈黙が訪れた。

 顔を上げると、賢人がこちらをじっと見ている。

 外が嫌いな賢人は肌が白くてすべすべしていて、目がくるんと大きい。まつ毛も長いし身体もきゃしゃだから、昔はよく女の子に間違われていた。

「賢人?」

 賢人はポケットから手を出すと、私の手を握った。

 温かくて少し湿っている賢人の手は、昔よりずっと大きかった。

「僕……」

 賢人は何か言おうとして、小さく首を振った。

 それから、おずおずと私に尋ねた。

「いばらちゃんは、どんな人が好きなの?」

「好き?」

 唐突な質問に私は面食らった。

 何だか、賢人が本当に言いたかったことは別のことのような気がする。

 でも、賢人があんまりこっちをじっと見つめてくるから、それを聞くのが何となくためらわれた。

「えっと……『銀河放浪スターゲイザー』」

 賢人がきょとんとした。

『銀河放浪スターゲイザー』は、当時放送されていた特撮ヒーローだ。

 私は毎週、放映時刻の30分前からテレビ前で待機するほど、この番組にハマっていた。

「スターゲイザーがいいの?」

「うん、だってヒーローってカッコいいじゃん! 目的のためなら銀河の果てまで突き進む!って」

 賢人は小さな声でかっこいいね、というと、気が抜けたように笑った。

「そっか」

 ぎゅっ、とつないだ手に力がこもった。

「賢人……?」

 足を止めた賢人は私を振り返った。

 長いまつ毛に、雪がひとひら乗っている。

 その雪片がゆっくり近づいてきて、私のまつ毛に触れた。

「け……」

 私は馬鹿みたいに目を開けていた。

 顔を離した賢人は微笑み、手を離した。

「またね」





 次の日、賢人はいなくなった。





 テストですごくいい点を出した賢人は、アメリカに行っちゃったらしい。

 多分、あの時賢人は「さよなら」と言うために私を待っていたんだと思う。






 次に賢人を見たのは、それから10年後。

 夕方、店でつけていたテレビのニュース内だった。

「あれ、あの会見してるの、昔隣に住んでた賢人君じゃねえか?」

 父さんの言葉に、私はテレビを見上げて固まった。

 大人になっていたけど、それはまさしく賢人だった。

「へえーっ、凍ったまま遠くの星に行くんだと」

 テレビを見上げた父さんが感心したように唸る。

「100年ってか。行って帰ってきたら、知り合いなんかだーれもいなくなってるだろうになあ、よく行こうって気になったよ」

「人類の発展のために挑戦する、とかなんとか言ってたよ、確か。いやあ、あの子はホントに頭が良かったからなあ」

 常連のお客さんが相槌を打つ。

「立派なもんだ。まさにヒーローだね」



 ヒーロー。


 あの冬の日の、まつ毛にかかる雪が私の視界をひらりと舞う。


「いばら、六番テーブルにラーメン一丁……」

 私はお盆を放り出して、厨房に駆け込んだ。

 麺を掴み上げて鍋に放り込み、手早くチャーシューを切る。

「お、いばら? 何やってんだ、お前」

「見て分かるでしょ! ラーメン作ってるの!」

 温められていたどんぶりにかん水を入れ、麺を引き上げ、ざっ、ざっ、と勢いよくお湯を切る。

「いや、お前、六番テーブル」

「父さんが運んで!」

 どんぶりに麺を移し、汁を注いでチャーシューと玉子を乗せて、一丁上がり。

「出前行ってくる!」

「お、おい、ちょっと!?」




 おかもちにラップしたラーメンを入れると、私は店を飛び出した。

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