賞金稼ぎ

涸井一京

賞金稼ぎ

 高校時代に強迫神経症を患った。学校に通うだけで精いっぱいだった。受験に失敗した。一応受験浪人という事になった。高校は通うだけでも意味があった。卒業証書は得られた。しかし予備校はそうではなかった。相変わらず勉強どころではなかった。受験生が勉強できる状態に無いという事は、場違いな場所に迷い込んだ部外者だ。消えるべきだと思った。そして更に本物の浪人となった。流れとして自然だろう。社会からはみ出た。自分は悪党ではない。真面目に生きてきた。真面目な人間が、社会からはみ出るとは思わなかった。悪党以上に居場所は無い。自殺以外の選択肢は思い浮かばない。

 死ぬと決めたら、ある意味では心の平穏を得られた。しかし、強迫神経症は悪化した。親は、ぶらぶら遊んでいるだけで、なぜ病気になるのかと嫌味を言った。家にいるだけで不安は起こる。ただじっと、何もしていないのに不安は起こる。危険を察知して、足を止める如く、不安で先に進めない。不安の原因を探ると、それは爪が伸びているだとか、柱が随分変色しているだとか、不安の芽となるべき物では無い。が、それ以来、爪の伸びが異常に気になる。そしてその芽を摘もうとする。今度は完璧に切れたかが気になり、爪を切るのに一日かかるようになり、へとへととなる。そういう類のものが増殖して行った。

 これは無為な日々を過ごす、良い言い訳になる。両親の方が信じている。かわいそうな不憫な子だと。それは社会的に認知されていない障害者だ。わざとやっていると思われている。労働の義務を免除されていない。で、何かしらの税金がこちらに回る事は無い。しかし、金の心配をした事が無い。と、言うかもう何年も金を使っていない。触ってもいない。目にする事も無い。親が死ねば、自分の命も切れる。しかし、元々死ぬつもりだ。死を何も恐れていないので、やはり覚悟は口先だけではないようだ。

 決断はしたが、実行していない。生きていると自然治癒力というものが働くらしい。母が、「画家になりなさい。それなら家にいたまま出来るでしょ」と私に言った。スケッチブックや濃い鉛筆を買ってきた。小学校の図工は、「4」であった。それが根拠らしい。一応描いて見せると、絶賛した。褒めて何とかしようとしたのではない。願望がそうさせたのだ。

 子供の頃から、親の言いなり良い子だった。勉強は母親が付きっ切りで教えた。教えられた通りになぞれば成績はそれなりのものとなった。しかし、限界が来る。小学校の卒業の寄せ書きに、「踏まれても、踏まれても立ち上がる雑草のように強く生きたい」と書いた。母親が考えたものだ。踏まれる世界に踏み出す事は無かったのだが。


 職業作家は本を書く。金を稼ぐ。稼いだ金で生活をする。しかし、生活するに充分な稼ぎが無いと、職業作家を名乗ってはいけないというものでもない。昔、売れたが今はさっぱり。もしくは本を出したものの一切売れなかったという作家もいる。現時点で収入が無いのなら、それは職業とは呼べない。それでも死ねば、死亡記事の肩書は作家だ。

 自称作家は死んでも、死亡記事は出ない。出たとしても肩書は作家ではない。職業作家と自称作家との違いはなんだ。自称作家は、そもそも文を書いていない場合もある。しかし文を書いている自称作家の場合、職業作家との違いは何か。特に売れない作家との違いは何だ。売れない作家は、商品を作り、店に置いてあるが、売れない。自称作家の場合、そもそも売ってない。が、売れない、食えないという点においては共通だ。

 売れている作家と売れない作家なら、売れない作家の方が断然かっこいい。極貧にあえぐ方がかっこいい。誰かが知っていて、少数が知っていて、渋いと評価されるのだ。一部で高く評価されるのだ。付和雷同の大衆人気ではない。

 誰も知らないのが自称作家かもしれない。

 小説を書いた。家にこもって十年経った。家を出られるようにまで回復した。外を出歩くまでに回復した。封筒を買い、郵便局で切手を買い、出版社に送る。社会活動だ。自信作ではないが、他人が意外な評価をするかもしれない。自分は、自分では気付かない天才かもしれない。自分は、自分に厳しすぎるのだ。故に自信作と呼ばないだけだ。世間には面白くも無い物が評価されている。自分の読解力が無いのではない。本当に面白くないのだが、評価される。評価されたい人間と、それを評価したら、かっこいいと感じる人間の利害が一致する。自分の作品も、そんな風に評価されてもいい。


 数日後結果が出た。結果に落胆しなかった。むしろ安心した。冬が冬らしく寒いと安心するが如く。

 工場の壁際を歩いている。平日の昼間に、この壁を挟んで内と外にいる人間は、物理的な距離以上の距離がある。生きているだけで良い。生きているだけで価値があるなら、その言葉に甘えよう。壁の中にいる自分は、想像できない。

 風呂屋の前に張り紙。指名手配犯の顔写真と賞金の額が書かれている。名案が浮かんだ。「賞金稼ぎ」なんて響きがいいのだろう。それに賞金稼ぎの方が幾分現実的だ。賞金稼ぎなんて、空想の世界のはずだったが、実際目の前の張り紙に賞金三百万円と書かれている。三百万円でできる事をあれこれと空想する。楽しい。

 しかし、当然、この張り紙は、賞金稼ぎなんて職業を想定していない。そのような職業は成立しない。たまたま犯人の近くにいる人に情報提供を求めているに過ぎない。私がこの賞金を得る可能性はほぼ無い。それは分かっている。

 賞金稼ぎは、貧乏でも格好良く見える。がっぽり稼ぐより、肉抜きチンジャオロースを食べている方がカッコイイ。絵になる。活劇を望んでいるわけではないし、自分にそれができない事も分かっている。今の生活の言い訳にもならない。犯人の手がかりもない。


 まだ大丈夫だと、何もしないまま日付をにらみ、すでに大丈夫でなくなる日が来ていると気付く。何も起こらなかった。何かが起こると漠然と感じていた。人生に敗れたと悟った時、三十一才になっていた。なぜこの状態で、それまでに悟らなかったのか不思議だ。自分は敗北者のはずがない。それは神話のようなものだ。

 外出が祭りでなく、日常となり始めた。

 ラーメン屋の前で、皿洗いの募集の貼り紙を見つけた。自分にできる事と言えば、それくらいしかない。一度家に戻ると、再び立ち上がる事は無いと思った。もし働くというのなら、これを逃すと二度と無い。散々迷った。怖かった。店の周りをうろうろする勇気も無く、知らないふりをして、大きく通り過ぎた。他人の視線が痛い。何も悪い事をしていない。皿洗いをするか迷っているとバレたとしても、他人からとやかく言われる筋合いは無い。いや、そもそも誰も自分の事など気にしていないと、頭では理解できる。それでも他人の視線が気になった。そしてまた戻った。金が欲しい訳ではない。一つ問題が解決する。長年、のどに刺さったとげを抜く最後の機会だ。楽になりたかった。店に入るという無謀な冒険。その恐怖とそれから得られる報酬を比較する。世間知らずの無鉄砲とも言える。

 店に入った。

「いらっしゃいませ」

 客と認識された。自分の長い逡巡とは無関係である。当然だと思った。失望させると、しっぺ返しが怖かった。逃げて、客になろうかと思った。腹は減っていない。無駄にラーメンを食べる金は無い。取りあえず、客で無い事を告げる必要があると思った。

「貼り紙を見たのですが、・・・」

 自分の店に貼ってあるにもかかわらず、意外という顔をされた。変人扱いだ。

「社長に連絡するので、・・・」

 当初、戸惑ったが、何とか冷静に対応できた、という感じだった。貼り紙は、景気づけのためだ。人が必要なほど流行っていますよ、と世間に宣伝しているだけだ。それを文字通り求人と受け止めた。

 電話の隣にある小さな紙片を、慌てて取出し、私から聞いた、住所と電話番号、名前を書いた。

 家に帰った。一歩踏み出せば、事態は大きく変わると思っていたが、一歩分の変化しかなかった。ほんの少し気が軽くなっただけだ。あのまま帰ったら、うじうじと後悔していたはずだ。

 一応、母に電話連絡があるかもしれないと、告げた。母は崩れ落ちた。泣いた。驚くというより、本音と建て前があるのを知った。「早く、働いてくれ」と言っていたが。

 後日、当然連絡は無かった。あしらわれた。それでも、いかつい顔と裏腹に、親切でやさしい店員と感じた。働くと言わない方が母を悲しませないで済む。元々うるさく小言を言う方ではなかったが、全く何も言わなくなった。平和を望んでいるようだ。全く良い身分になったものだ。

 勉強をした。学校のそれではない。試験も無いし、楽しい事だけをしていればいい。毎日が充実した。一つ、重大な欠落がある。しかし人間は、生きている限りは不安からは逃れられない。知らないふりをするのは生きる知恵だ。重大な問題には目をつぶり、問題の解決には役に立たない、知識をどんどんため込んでいく。逃げるように、目を背けるために、そんな二次的な理由も背中を押した。毎日が充実した。知らない事をどんどん知っていくのだ。図書館に毎日通った。金を使う事は無い。問題はそれで収入を得られない事だ。遊んで暮らしている事となる。子供の時は、勉強が仕事などと言われたものだが。子供の時と、やっている事に違いは無いのだが。子供の頃は褒められた。いや、今も母が褒めてくれる。毎日、偉いと。嫌味ではなく、心の底から、本心で。母はいつまでも一緒にいられて幸せなのかもしれない。子供の頃は、「偉い人になれ」と、よく言ったものだが、それだといつまでも一緒にはいられない。そんな事に今頃気付いた様子だ。子供の頃食卓を囲んで、「いつまでもこんな生活が続けば良いのに」と言った。良い子に恵まれ幸せだったのだ。無邪気な願いは叶えられた。そういう意味では親孝行である。

 しかし、一人取り残される息子の事を考えるといたたまれなくなる。安らかに最後の時を迎える事ができない。金銭的にも不安だ。年金で三人が食べていけるのか。つつましく生きる家族である。計算では大丈夫なのだが、やはり無収入というのは不安だ。

 私に残された唯一の親孝行は、この息子を一人残しては、死んでも死に切れないという状態の解消だ。否、一人残るのが怖くてたまらないのだ。家に一人いる事も、誰とも会話をする相手のいない事も、来訪者の対応も、怖くてたまらないのだ。

 自分の中で決め事を作った。神か悪魔の類と契約したのだ。私は四十歳にはならない。でも、その代り、それまで平穏な笑顔の絶えない日々が続いて欲しいと。そこが限界と思った。今でも許される訳ではないとは思う。自分の中に恥の感情も残っているのだと思う。


 四十歳になる前々日が来た。今日の夜、十二時を過ぎると、三十九歳最後の日となる。

 空は完全に澄み渡り、鮮やかな青一色だ。音は無い。人の気配がしない。平日の昼間の住宅街とはそうしたものだ。

 高揚感は無い。少し感傷的ではある。期するものがあるのが、少し誇らしい。この日のための準備をしている時は、どこか英雄的な気分がした。

 最後の一日を淡々と過ごす。そして夕食の時間が来た。これが最後になる。親不孝なのかもしれない。親孝行なのかもしれない。最後とも知らずに、母は少し不機嫌だ。それも愛しく感じる。



 その新聞記事を読んだ後の脱力感は、強烈な小説の読後感と似ていた。強い衝撃を受けた。中々現実に戻れない。どんなに上手に書かれた小説よりも情景が浮かび、登場人物の心理が読めた。身につまされた。もしくは主人公の最後の作品に感銘を受けたのかもしれない。その自殺はまさに作品であった。紙に色を付けたり、文字を書いたりするだけが芸術ではない。人の感情を揺さぶるのが芸術ならば、これ以上の芸術は無い。本人に芸術作品を作る意志は無い。だからこそ芸術として成立した。


 午前一時、民家から出火した。この時間が絶妙である。昼夜逆転の引きこもりには、一番目がさえる時間帯である。一番活動的な時間帯である。

 世帯主である父親の年齢が六十四歳。無職の息子は三十九歳。二五歳の時の子供だ。母親が六十二歳。二十三歳の時に産んだ。第一子である。真面目にまともに順調に人生を歩んできた。唯一の誤算は息子が就職しなかった事だけだ。真面目な会社員は、木造二階建てのこじんまりした、しかし立派な家を建てた。家族三人で暮らすには広すぎず、狭すぎない。平均より少し上のちょうどいい家。

 二階で音がした。眠っていたために、何の音なのか認識できなかった。ただ目が覚めるほどの音だ。いや、音自体は大した大きさのものではなかった。尋常でない胸騒ぎがした。神経の異変で目が覚めたのだ。二階の息子の部屋から、その音が出たというのは、耳で聞き取ったというより、以前からの予感のようなものであった。何度も考え過ぎだと否定した考えが、とうとう現実になったと直感した。母親の足はすくんだ。父親が見に、二階に行く。階段を上がり切る前に、体に火が付いた状態で便所にうずくまっている息子の姿が見えた。隣の息子の部屋から火が出ていた。息子の部屋が燃えている。家が燃える。そんな事はどうでもよかった。父親は大声で母親を呼んだ。両親は、息子を包む炎を取り去ろうとした。煙の中を突入し、素手で火をたたき、物でたたき、布団をかぶせて酸素を途切れさせて消そうとした。空気が入らないと火が消えると、なぜか冷静に判断した。自らの手足が熱く、熱い空気を吸い込み、気道が焼けて行くのが分かった。それが心地良いのか、避けるべき不快なのかは判断できない。やけどをして、両親も病院に搬送された。その刹那、良い機会だとは判断しなかった。見捨てなかった。まだ愛し続けていた。家庭内暴力をふるう訳でもない。むやみに金を使う訳でもない。よそから見れば恵まれていると心底感じていた。自分の命も顧みずに息子を助けようとした。家が心配だったのではない。類焼して近所に迷惑をかけるのを心配したのではない。それならば、消防署に連絡して自分は逃げればいいのだから。

 息子は、自分とその生の痕跡の残る自分の部屋を焼いて、消し去りたかったのだ。パーソナルコンピューターに入っている、あらゆるデータは事前に壊した。これを壊しても両親は気付かない。スケッチブックは燃やすつもりだった。最後の日までに処分すると、異変を察知すると考えた。初めにスケッチブックに火を点けた。これで自分の内面にまつわる痕跡はすべて消した。スケッチブックが燃え切るだろうと思えると、自分の服に火を点けた。

 親に恨みはある。試験の点数を取るのが教育。生きる術は教えてもらえなかった。が、直接手を下す気がしない。迷惑を欠けたという思いもある。相殺のごときものだ。自分の部屋だけが焼けて、消えるなどと夢想したのではない。そんな都合のいい計画の体をなしていない計画を立てた訳ではない。両親を巻き込んでもやむを得ないと考えていた。類焼も家の全焼も迷惑な話だが、それは我慢してもらおう。後は、運任せだ。

 いざ、火を点けると当たり前の事に気付いた。ほんの少しの火傷でも、大騒ぎするのだ。それが全身に及ぶという意味が分かっていなかった。文字通り想像を絶する。苦しんで罪滅ぼしなどと甘い考えを起こした事をすぐに後悔した。とても耐えられない。しかし逃げる術が無い。身体を激しくばたつかせるが、冷える訳も無い。この苦しさから逃れたいという本能が、身体を無暗に動かした。自分の罪はこれほど重たかったのか。いやそんなはずはない。この対価は、未来の不安と苦しみの分だ。だから、これしか無かったのだという考えが沸き起こった。逃げ道がもう無い事も理解していた。とにかくこの一度で終わりに出来るのだ。時間が経つにつれても、慣れる事は無く、苦しみは増加する。次の瞬間ふっと、ほんの少し熱さが和らいだ。自分に点いた火を消そうとしている両親を目にした。自分が部屋から出ている事に気付いた。便所という場所は、自分の部屋に次いでは第二の落ち着ける場所であった。本能的に水のある場所を求めたのかもしれない。水で冷やせば済む程度の火遊びではないのだが。

 うっすらと両親の姿を認識した。泣き叫んでいるようだ。必死に助けようとしているのも分かった。手を合わせた。生まれてきた義務を果たさずに来た。地獄の業火に焼かれるべき人間と考えた。罰としての凄惨な死をもって償う。それまで平穏に生きたいと願った。何もせずに幸せに生きる代わりに、地獄の業火に焼かれるべき人間だと思っていたが、そうでもなかったのかもしれない。焼身自殺は何かを強く訴えるものだ。何も訴える必要の無い人間には、もっと楽な死に方でも良かったのかもしれない。もう暴れる事も無くうずくまっていた。


 病院に運ばれた息子は全身にやけどを負い間もなく死亡した。

 そして執念が二階のみを焼いた。本当に焼きたい所だけを焼いた。

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