彼女のやり方

 大刀と下賜品をしかるべき場所に置いたり片づけたりしていたカイとナツメは、恥ずかしげもなく脱力して寝そべっている主君の姿を見て、それぞれの感想を漏らした。

「よくがんばりましたよ……」

「呆れた小娘だな。王でなかったら摘み出すぞ」

 カイはそのまま祭壇の装飾を続けていたが、見かねたナツメは床に突っ伏して上目遣いにこちらを見てるアシナに歩み寄り、跪いた。

「毎回こんな感じなの? 緊張して疲れちゃうわ」

「王とはどの国でもそのようなものです。敵も多く、孤独で、非情な世界を生きねばなりません」

 小さな女王が眉を寄せて今にも泣きそうな表情になったので、ナツメは慌てて次の句を継いだ。

「しかし、我らが新しい王がそうであれとは、私は思っていません」

「え?」

「幸い、古いしきたりで動くオオガイ殿は引退され、残ったのは若者たちです。だから、統治のやり方も変えてしまえば良いのです」

 アシナが何か答える前に、片づけを終えたカイが衝立をアシナの前から取り外しながら尋ねた。

「やり方を変えるって、どうやって? 寝転がって政を審議するのか?」

 後半は皮肉を込めたものだが、ナツメはあっさりとそうだよと肯定する。

「ものの例えだけれど、もっと気楽にやってもいいんじゃないかな。結果が出れば問題ないわけだし」

 ナツメの考えはこうだ。この宮殿の内部で日常的な政を行う時は、アシナと臣下を隔てる衝立は置かず、序列に従って縦横に並んでいた席順も廃止する。アシナを含めて緩やかな車座になり、誰が発言してもよい合議制をとるのだ。

 ただし、王が宮殿の外に出て人々の前に姿を現す時には威厳を示す振る舞いをする。アシナから遠ざかるにつれ、アシナには容易に近づけない神聖さを見せつけるという演出だ。

「こうすれば、アシナ様はこの中ではある程度好き勝手に過ごすことができます。選ばれた者しか足を踏み入れることができない空間なので、安心でしょう?」

「さすが、ナツメ! 賢い!」

 ようやく上半身を起こし、座りなおしたアシナは満面の笑みだ。頻繁に集落の中や環濠の外に出ることができない身分になってしまったので、自分の住居での言動くらいは制限されたくない。

 そう思ってアシナは恐る恐る将軍の様子を窺った。きっと言語道断だとばかりに反対するに違いない――。

「まあ、そのくらいは許されるべきだな」

 予想外の言葉が返ってきたため、一瞬、やっぱり駄目よねと頭の中でつぶやいたアシナは、目を丸くして声が降ってきた方を見上げた。

「何ですか? 私だって始終堅苦しい雰囲気で働くより、多少気を抜いてあなたと接したいと思ってますよ。ただでさえ、あなたの護衛と世話で疲れますからね」

「ああ、そういうこと」

 アシナはカイの本音に頬を膨らませて拗ねたが、そもそもこういうやりとりが自然にできることこそが自分には必要なのだと気づき、カイには悟られないようにこっそり口元を緩めた。

 夜になり、カイが宮殿内部の結灯台に火を入れて回る。昼間から日が落ちるまで、アシナはナツメから倭国内の国々の情報を教えてもらっていた。ナツメは既に退出していて、今はアシナは寝台の上で膝を抱えて考え事をしている。

 遼東太守への朝貢に関しては専門家に任せればよいが、アシナが当面やるべきことは2つあった。

(私が邪馬台国で即位したところで、そのことを倭国中が知って認めてくれないと意味がない……)

 アシナを王に据えようとした投馬国と不弥国、それに狗奴国といった有力国は始めからアシナに従っているのと同然だが、その他の中小国を取り込む必要がある。

 膝頭に触れていた額を離し、ほの暗い室内の祭壇に顔を向けると、昼間に受け取ったばかりの大刀が目に入った。やたらと重かったが、切れ味はどうなのだろう。錦の包みは取り外され、黒光りする鞘がむき出しになっている。

(……そうか。つまり、私が遼東太守から大刀をもらったように、それぞれの王に私から何かを贈って貢物を差し出させればいいんじゃない?)

 だが、邪馬台国にはあの大刀のような優れた刀剣を大量に生産するだけの力はない。少なくとも今すぐにはできない。比較的楽に用意することができて、貴重な品は何か。

 色々と考えてみたものの、これだと思う下賜品に思い至らない。やはりナツメがいなくては先に進まないようだ。

「まだお休みにならないのですか」

 不意に声を掛けられ、アシナはそこにカイが控えていたことを思い出した。カイに相談してみるのも悪くはないだろうが、そろそろ思考が鈍くなってきた。もうすぐ女王第1日目が終わる。長い1日だった。

 アシナは寝台に横になろうとして、止めた。そして、カイに体の正面を向けて訊いてみた。

「あなたのほしいものって何?」

 彼女の思考の中ではこの質問は先ほどの延長上にあったのだが、脈絡もなく尋ねられたカイは戸惑いながら答えを探っている。

 王の顔つきが真面目なので、あまり適当に茶化した返答はしない方が良さそうだ。カイは短く自分のほしいものを告げた。

「平和。平穏です」

「そうなったら、カイは失職するわね」

 返ってきたのは淡々とした言葉だった。

 暗くても夜目がきくカイにはアシナの美しい顔がよく見えた。しかし、その表情からは何を考えているのかはわからない。小娘だと思っていると、ふとした時に、妙に大人びた雰囲気を纏っていることがある。両親とも故郷とも、恋人とも断絶することを余儀なくされた少女の体にはどれほどの悲しみが詰まっているのだろう。

 同情する義理はないが、何も感じずにこの娘と接することはとても難しい。特に2人だけとなると心が落ち着かなくなる。

「そのような失職は本望です」

 それは偽りのない気持ちである。アシナに彼女の存在に関する真実を暴き半ば強制的に邪馬台国の地に留めようと仕向け、王位に就かせたのは、カイの最も望むものが倭国の平和であったからだ。

 彼女が絶大な力を奮って倭国をまとめ上げることができた暁には、大軍を指揮する将軍など不要になるし、そうであってほしい。最高の武人の名誉を享受する時間がほんの一時であっても、平和のために失職するならそれも惜しくはない。

 上から視線を感じたので、カイは顔を上げて主君を見返した。

「私の答えではご不満でしょうか?」

「ううん。ちゃんと答えてくれてありがとう。今度はナツメにも訊いてみる。……おやすみなさい」

 桜色の柔らかい唇が何か言いたそうにも見えたが、アシナは寝台に横たわって掛け布を引き被ってしまった。ほどなく小さな寝息が聞こえ始めたので、カイは静かにその場を立ち去り、宮殿の裏手に与えられた自分の住居へ戻った。

 そして、倭国の女王は深い眠りの後、何度か夢を見ていた。

 暖かく、鮮やかで、軽やかな音楽が聞こえてくる不思議な景色は、以前にも見たことがあった。即位の儀式の最中に見た夢とほとんど同じ。広大な集落を散歩するように視点が移動し、途中で途切れてしまう。しばらくして、また別の視点で夢が再開される。

 アシナはある建物の前に立っていた。今の宮殿よりもずっと大きな高床の建物で、屋根の位置は高すぎてアシナの身長では頂点まで見ることができない。建物は武装した兵士たちによってぐるりと周囲を守られている。

 直感的に、私の宮殿だとアシナは理解した。女王の国の都はここだ――。

「女王、探しましたよ」

 不意に呼び掛けられて振り向くと、その人物は一瞬にして光に包まれてしまった。

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