失恋と誓い

 まばゆい夕日を掌で遮り自分の現在地を確認した後、随分と遠くまで分け入ってしまったことに気づいたタクマは大声で弟の名を呼んだ。2人して狩りに夢中になって、途中から別行動のようになっていたのだ。

「兄さん! 珍しいね、1人でこんな奥まで来たなんて」

 普段、狩りをする時は弟の身の安全を考えて、タクマが側で見張っているくらいなのだが、今日は弟のことなどそっちのけで単独行動に出ていたようだ。

「エヤ、ごめん。暗くならないうちに帰ろうか」

「そうだね。で、どれくらい取れた?」

 従者が待機している場所まで戻り、荷物を彼らに預けると、身軽になった王の息子たちは今日の戦績を披露し合った。

「俺は兎を2羽と鴨。鹿も見つけたんだけど、まだ小さいやつだったから逃してやった」

「すごいな。僕は雉1羽だけさ。どうも集中できなくて」

「でも、それだけあれば豪華な食事になるね。明日の夜にでも出してもらおうよ」

 弟が余りにも嬉しそうに言うので、タクマは楽しみだなと返事をしたものの、心から楽しめる気分ではなかった。

 気分の落ち込みは今日に限ったことではない。10日以上前からずっと続いている。

 なぜなら、親善交流の使者として邪馬台国へ赴いた恋人のアシナが、もう50日以上過ぎても狗奴国へ帰還する気配がなかったからだ。

 父親に尋ねてみても、もしかしたら歓待されていて滞在が伸びているのかもしれないという答えしか返ってこない。だとしたら、至急の伝達係がやってきて事情を説明するのが筋ではないか。

 邪馬台国で何かあったのかもしれない。タクマはずっと胸騒ぎがしていた。弟のエヤにその思いを話したが、いまいちピンとこないらしく、タクマは少し苛ついたりもした。

 エヤは優しい子なので、兄がどうも楽しそうな顔をしていないと気づき、今日、狩りに誘い出してくれたのだが、やはり集中もできなかったし、心から楽しいとも思えなかった。

 アシナは本当に美しい娘だと、タクマは信じていた。だが、それは他の男にもそう見えるのであって、不安材料にしかならない。邪馬台国でアシナの美しさに心を奪われた若者に口説き落とされ、自分のことなど忘れてしまったのではないかという何の根拠もない想像をしては嫉妬に身を焦がされる。

 想いを通わせるようになってから、こんなに長い間、アシナを抱いていないことなど今までなかった。アシナが恋しくてたまらない。

 狩りからの帰り道、エヤがあれこれと話し掛けてきたことは覚えているが、何を話したのかはほとんど記憶になかった。

 そして、王の集落に近づくと、環濠の橋を渡りこちらに駆けてくる兵士がいた。その兵士はタクマ一行を出迎え、邪馬台国から使者が来ていると告げた。

「邪馬台国から!?」

 アシナが帰ってきたのだと、喜びに震えたタクマは、弟や従者たちを置いて1人で走り出していた。ようやくアシナの美しく愛らしい姿をたっぷり眺めて、その柔らかな体を抱き締めることができる――。

 一応、身なりを整えて、使者が接待されている集会所に駆け込み、横に並んで座っている高官たちの後ろを通って前方へ進んだ。使者からの用事は済み、今は歓迎の宴の最中のため、集会所はほどよい喧騒に包まれている。タクマは息子の登場に気づいていない父王の傍へ寄り、父上と声を掛けた。

「おう、来ていたのか」

「はい。狩りに夢中になって帰りが遅くなってしまいました」

「話は聞いたか? 邪馬台国からの使者のキキリ殿だ。女王からの賜り物を持ってきてくださったのだよ」

 王の手前の席に座っていた青年は、杯を床に置くと丁寧に頭を下げた。これと言って特徴のない見かけであるが、実直さは伝わってくる。

(女王? あの国の王はじいさんじゃなかったっけ?)

「どうした、タクマ? 落ち着きがないな」

 使者に挨拶をし、向かい合いながらも視線を別の場所へ彷徨わせている息子に気づいたイザリはとうとう息子にアシナの行く末を語らなければならないことを覚悟した。息子がどんな反応をするのかもだいたい想像がつく。息子が自分を信頼してくれるのも、あとわずかな時間のみなのだろう。

「父上、あの、邪馬台国からの使者が来たということはアシナも一緒に戻ってきたのですよね?」

「それについては……」

 律儀に自分から説明をしようとしたキキリの言葉を、身振りで制した狗奴国王は息子の瞳を真っ直ぐに見ながら語り出した。

「端的に言おう、タクマ。あの娘は、倭国の王に選ばれた。先ほど私が言った女王のことだ。だから、アシナが私たちの国へ帰ることは永遠にない」

「……え?」

 タクマは眉を寄せて首を傾げた。今の父の言葉は理解してよいものなのだろうか。全く意味のわからない説明を、この父がするものなのだろうか。

「わかったか、息子よ。アシナにはもう会えない。倭国のどの国の王よりも尊い存在となったのだ」

 イザリは一言一言をゆっくりと噛み砕くようにして伝えた。

「何で……? アシナは俺の妃になる女だろ?」

 未だに父の言っている意味が飲み込めない。突然、アシナが王に? 親善交流のために招待されていたから赴いた邪馬台国で、どうしていきなり王になるんだ?

(あり得ない。今、父上は邪馬台国の王じゃなくて倭国の王と言ってた。倭国の王はこれまで誰とも決められていなかったのに、急にアシナが選ばれるなんておかしい)

「確かに、アシナはおまえの妻となる可能性はあった。だが、どうしようもないことなんだよ。天がにわかにそう定められたのだからね」

 息子にたっぷりと同情を示したイザリであったが、深く考え込んでしまっているタクマには毫も響いていないようだ。

 しかし、タクマは父の言葉を聞いていないわけではなかった。

「天が、定めた……」

「ああ、そうだ」

 キキリは訪問先の王と王子の会話を、じっと見守っていた。彼らのやりとりからすると、王子はアシナが邪馬台国へ連れてこられた理由を知らないらしい。しかも、彼は女王と結婚するつもりだったようだ。気の毒だとは思うが、自分がお節介を焼いて王子に肩入れするわけにはいかない。

 酒を口につけようと、キキリが杯に手を伸ばした時、王子の口から予想外の言葉が発せられた。

「……アシナは俺たちの王になったんだね。天の導きなら、俺の妻になれなくても仕方がないよね」

 キキリの目には、ぎこちなくも微笑んで狗奴国王を見つめ返す王子が映った。王も意外と物分りの良い息子の言葉に、驚きつつ安堵しているように見えた。

「私はおまえのような賢い息子に恵まれて幸せだ。アシナの、いや新しい女王のためにも、狗奴国も誠意を尽くして支えていかねばな」

 罵られ、絶縁すら言い放たれることも予想していたイザリは、息子の大人の判断にほっと胸を撫で下ろし、失恋した形になってしまった息子の肩を愛情を込めて叩いてやった。

 タクマはそうだねと震える声で答えると、立ち上がった。

「少し、頭を冷やしてくるよ……」

「ああ、そうしなさい」

 本来、こうした宴には王子も参加して使者を接待したり、自国の高官と会話に興じるものなのだが、今回ばかりは一人にさせてやるべきだと考えたイザリは息子の退出を許した。愛しい娘を失って一粒の涙を見せなかった息子には、強靭な精神力が宿っているに違いない。

 集会所を去ったタクマは一心不乱に走った。

走って走って、見張りの兵士すらいないような集落の暗闇に辿り着くと、タクマの体は大きく崩れて地面に転がった。少し湿った草がまとわりつくのも構わず、タクマは溜め込んでいた感情を転がりながら撒き散らした。

 最愛の娘の名前を叫び、怒りにならない怒りを涙で外に押し出す。大地に生えた湿った草を無造作にむしっては投げ捨て、拳を地面に叩きつけているうちに、タクマは集会所で父の話を呆然と聞いていた時には存在しなかった感情が生まれていることに気づいた。

(殺してやる……! いつか、俺の手であいつを殺してやる)

 善人のような顔をして、親族の娘を騙してその命を倭国の王という地位に一生捧げさせた男――狗奴国王であり、タクマと同じ血を持つ父親であるその人を、この世から葬り去らねばならない。

 イザリはアシナが急に王に選ばれたかのように言っていたが、タクマには真実とは思えなかった。あまりにも話ができすぎているではないか。親善交流という名目の祭りなど、端から嘘で、初めからアシナを倭国の王とやらに据えるつもりで邪馬台国へ送り出したに違いなかった。

 父を何の疑いもなく信じていた自分が滑稽だ。父はアシナを姪であっても自分の子と同じように愛し、いずれはタクマとアシナの結婚が暖かく認められるものだと信じていたのに。

 アシナは今どうしているのだろう。彼女が真実を知った上で邪馬台国へ出掛けていったとは到底考えられない。無邪気に親善交流を楽しみにしていたし、得意な機織りを他国の人たちに披露するのだと言っていた。あの心からの笑顔が何よりの証拠だ。

 だとしたら、アシナは強制的に邪馬台国の人々によって王位に縛り付けられたことになる。たくさん泣いただろう。自分を想って、今この瞬間にでも狗奴国へ戻りたいと願っているだろう。

 そんなことを考えていると、アシナの苦痛がひしひしと感じられ、タクマは再び慟哭した。

 狗奴国王は命をもって、彼女に償うべきだ。邪馬台国の王の館の奥に閉じ込められ、王としての務めを強要されている美しい少女は、絶対に解放されなければならない。

 そしてそれを実行するのは、タクマでなければならない。

 気の済むまで泣き喚いたタクマは、最後の涙を落としきってしまうと、復讐を誓った。父とこの計画に関わった全ての人と、アシナが王となった倭国そのものに。

 無数に星が瞬く夜空の下、狗奴国の王子が絶望を身に纏って立ち上がった。

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