側近はあなた

 布の仕切りを介さず直接、その男と対面したのはアシナが王となることを決意したすぐあとのことだった。

 つらつらと即位式の内容をカイが述べ終わり、何か質問はと尋ねられると、アシナはしばし考えてから首を傾げた。

「式の流れはわかったけど……、そもそも何で私が倭国の王になるんだっけ?」

「あなたは馬鹿なのですか!?」

 まさかそんな根本問題が飛び出すとは思っておらず、カイは苦虫を噛み潰したように吼えた。

「えー、だってあの時は勢いで言っちゃったけど、未だに事情がわかってないのよ。私、ずっとまつりごとの世界からは疎遠なところで暮らしてたし……」

 理解度が足りないのは当然だと半ば開き直ったように反論をしてきたので、カイはこれみよがしに溜息を吐いた。

「では、会っていただきたい者がおります。潔斎までの短い間になりますが、少々お待ちを」

 こうしてカイによって連行されてきたのがナツメだった。

 2人の青年は陰と陽のように正反対の気質が特徴的である。カイは愛想がなく、武人として鋭い目つきや重厚な体格から威圧感が滲み出ている。その上、側近としてはきちんと丁寧な言動をとるが、上から目線の心持ちが端々に表れているのだ。

 他方、ナツメは快活そのもので、常に笑顔を作り口調も優しい。おそらく邪馬台国で最も背が高く、彫の深い顔立ちの美男子といって差し支えない。

 それもそのはず、ナツメは倭国の南西に位置するかつては強大な王が君臨していた伊都国出身で、父親は大陸の人であった。曹操に仕えていた父親が倭国に派遣され、伊都国高官の娘と夫婦となってナツメが生まれた。そのためナツメは大陸の言葉もそれなりに使えるし、父親の役職を継ぐ教育を受けてきたので外国の事情にも通じるようになった。

 老いた父の代わりに邪馬台国へ連れてこられたナツメに期待された役割は外交顧問である。王の側近というよりは、臨時で政に参画する立場だ。顧問に任じられ、社交的なナツメは形式的に邪馬台国の将軍に挨拶をしてからというもの、個人的にもカイに声を掛け、赴任地の人々や風土に順応しようと努力していた。

 カイの本音を言えば、あまり他人とつるむのは性に合わないが、見たところナツメの見識は高く、それゆえ話が面白いことと、こちらが嫌と思う言動は避けていることを考えれば、味方にしておいて損はない人物である。

 アシナもまたナツメは信用するに値する青年だと直感的に思った。彼女を値踏みするような視線を向けていないという点だけでも、驚くべきことだ。

 ただ、アシナはまだ10代前半の少女であり、カイほどには人を見る目や洞察力に成熟しているわけではなく、小娘なりの本能として自分には害はないと判断しただけだった。カイにも言えることだが、ナツメの本心がどうなのかについては本人しかわからない。

 ともあれ、ナツメは姿勢を正してこちらを見つめている小さな女王候補が次々と繰り出す素朴な疑問に丁寧に答えていった。

 大陸は3つの勢力に分断され戦っていること、倭国に近い遼東郡の太守が倭国を配下に置こうとしていること、倭国に正式な王がいないということは大陸の国が交渉する相手が不在であることを意味し、下等な国として見なされてしまう恐れがあること。このまま倭国内が不安定になり、戦乱が各地で勃発するようになれば倭国全体が衰退し、大陸のいずれかの国が乗り込んでくる場合もあり得ること――。

 簡潔に説明してくれたお蔭で、アシナはやっと自信をもって私が王位に就かなければならないと思えるようになった。

「じゃあ、私たちは今は遼東太守に認めてもらって、大陸の強くなりそうな勢力がどこか見極めればいいのね」

「おっしゃるとおり。ただ、私の祖国だからというわけではありませんが、地理的に考えると曹丞相を後ろ盾にすることを追及すべきでしょう。もちろん、趨勢など最終的にはどうなるかわかりません。諸葛亮とかいう軍師中郎将の存在も気になりますし」

「わかった。1つのことに固執し過ぎないようにする。もう私は目の前の景色を疑いなく信じることはしたくないし、できない。与えられた境遇だけが全てじゃないって身をもって知ったから……」

 真面目に耳を傾けて、随分と大人びた思慮をする少女に、ナツメは微笑んだ。カイからは我儘できかん気な小娘だぞという評価を聞いていたのだが、物覚えは良いし頭の回転も悪くはない。これは案外、逸材を手に入れたのではないか。

 それほど新しい王に期待していなかった反動で、アシナに為政者としての片鱗を見たナツメの胸のうちに小さな野心が芽生えてしまった。父と同じく骨を埋めるつもりのこの国を、大陸に伍する勢力に成長させる。それは大それた目標だが、素地を作っていくくらいならできなくはない。

 自分よりも若い将軍と共に、さらに年下の女王を倭国の頂点に据えて大陸と渡り合うことを想像すると、自然と気分が高揚していく。衰退していく伊都国で居場所がなくなりつつあり、請われるままに邪馬台国へとやってきたが、やるべきことが降ってきたように思えた。

「なあに? 私どこかおかしい?」

 気づかぬうちに少女を凝視していたらしい。ナツメはかぶりを振って謝る。

「いいえ。失礼いたしました。その代わりに……、アシナ様を最高の王にして差し上げることをお約束しましょう。先ほど、目の前の景色を疑いなく信じることはしないとおっしゃいましたが、私とその男だけは何があっても信じてください。それがお約束の条件です。いいですね?」

 臣下からの提案だったが、有無を言わせぬ響きがあった。

 アシナは力強くも柔らかく微笑みを浮かべている青年の瞳をしっかり見据え、こっくりと頷いてみせた。

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