女王への道

 目が覚めた時、アシナの頭はすっきりと冴え渡っていた。信じてきたものを全て否定するような真実が明かされたことは言葉にならないほどの衝撃だったし、気持ちにケリがついたわけでもないが、もうどうでもいいやという半ば前向き半ば自棄糞な気分になっていた。

 半身を起こして、護衛の姿を探していると館の入口からその人が現れた。

「おお、やっと起きたか、小娘」

 外は眩しいほどの明るさで、早朝とは呼べない時間帯のようだ。

 アシナが邪馬台国へ連れてこられてから散々に振り回されて、疲労も極度に溜まっているはずなのに、カイはてきぱきと朝食の準備を始めた。並べられた器を見ると、海藻やアサリが入った熱々の汁物に米が少し混ぜられている。絶食状態に近かったので、汁物を出してくれたのはありがたい。

 本能というのは素直なもので、アシナのお腹は何度目かの音を上げた。

「慌てなくていい」

「うん。いただきます」

 久しぶりに口にした米や海藻は涙が出るほど美味しかった。薄い塩味がほかほかと心を満たしていく。

一心不乱に食を進めているうちに、アシナは急に手を止めてカイに視線を向けた。

 今までの自分の素行を思い出すとものすごい恥ずかしい。余すところなくお転婆娘ぶりを披露し、タクマにすら見せたことのないような泣き顔だって晒してしまった。

 相変わらず感情の読めない雰囲気であるが、少なくともアシナに対する怒りは持ち合わせてないように見え、アシナはほっと胸をなでおろした。

 食事が上の空になっていることに気づいたカイが怪訝そうに言う。

「おい、どうした。また意地張って食わねえとか言い出すんじゃ――」

「ち、違うの。ごめんなさい。私みたいな馬鹿な娘が来てしまって……申し訳なくて……カイはちゃんとご飯食べてる? ずっと私に付き切りで世話してくれてたから。ちゃんとお休みしてね」

 散々迷惑をかけたのだからこの武人から好かれているとは思っていないが、それでも謝罪はしたかったし、彼が元気でいてくれなくては困るのだ。

 いきなり神妙な心優しい少女のような態度に変わったアシナに面喰ったが、カイは冷徹な表情のまま答えた。

「おまえが……いや、アシナ様が心配されることではありません。食事を含め自分の体調管理はきっちり行っていますので」

「そう。それならいいわ」

 急に初めの頃のような臣下らしい言葉遣いに変わったことで、アシナはカイが本当に彼女を主人として扱う気になったのだということを理解した。くだけた口調の方が兄が側にいるように思えるのだが、やはりそれでは緊張感に欠けてしまうだろう。だから、カイの判断はアシナにとっても賢明なことだった。

 器がきれいに空になったことを見届けると、次にカイはこれからの予定を告げた。

 早朝のうちに、オオガイ以下の高官にはアシナの決心が固まったことを報告していたので、祭祀区画では大慌てで即位の準備が段取りに従って進められているだろう。

 儀式は月のない今夜実行される。

アシナの倭国王としての即位は当然のことながら前例がなかった。亡くなった先王の地位をそのまま引き継ぐという類のものではなく、全く新しく倭国の王が誕生する。だから即位の方法も、一般的な即位式を参照にしつつも、有力国の術師らが話し合って決めた。

 日の入りを過ぎて、アシナはカイの先導によって王の居住区を出た。闇が迫りくる予感と粘り強い太陽の光の間で一定間隔に兵士が並び、アシナが進むごとに跪いていく。

 左手に曲がると、祭祀区画が設けられている。大型の高床式の建物が2棟の楼閣に挟まれているのが見えた。だが、カイは祭祀区画への道を曲がらず、集落の外に向かって進んでいった。

 一番手前の環濠を渡り、そこで人工的に作られた斜面を下る。

「ここです、アシナ様。足元にお気をつけて」

 もともと存在していた川の畔に小屋が建っている。小屋というよりも衝立で四方を囲まれた空間という方が正しいかもしれない。小屋の前で控えていた侍女2人が戸を開け、アシナを中へと促す。侍女も内部に消えてしまうと、カイは見張りのためにその前に立った。

 ここは祭祀を執り行う前に使用する潔斎場である。全ての衣を脱ぎ、川の清らかな流れに身を浸す。当然、温められていないので冷たい水だ。

 足の爪先を川につけるとそれだけで体の中心が凍り付いてしまいそうだった。しかし、肩まで水に浸からない限り潔斎場から出ることができない。つまり、即位もできないということになる。

 侍女は無言だが心配そうな目つきでアシナを見守っていた。なんだか一緒にいるのが申し訳なくて、アシナは意を決して膝を折り、徐々に身を水面に沈めていく。無駄に体を強張らせても感じる温度などは変わらないのだが、そうでもしなければ冷たい冷たいと叫んでしまいそうだった。

 やっとのことで潔斎を済ませると、侍女たちが丁寧に体を拭き、新しい衣を着せにかかる。髪の毛もゆったりと結い上げてもらい、その髪を碧玉製の小玉を連ねた紐でくくり、大きな翡翠の勾玉を胸元に飾った。

 小屋の外に出ると、いつの間にか朱で塗られた輿が待機していた。カイと視線が合うと力強く頷いてくれた。

 輿に乗り、しばらく進む。ゆらゆらと不安定な輿が地面にしっかりと着地した感覚を受け、軋む音とともに輿の扉が開かれた。地面に下りるとすぐに目に飛び込んできたのは祭祀区画の中央奥に建てられた大型の高床建物である。

 狗奴国にも同じような建物があるのでアシナが驚くことはなかったが、中に入って儀式に参加するのは生まれて初めてかもしれない。

 建物の前で控えていたオオガイと護衛のカイを従え、アシナは中央に設けられた出入口から建物の内部へ足を踏み入れた。かなりの広さにも関わらず、床も柱も壁もきれいに磨き上げられ、塵ひとつ見当たらない。

 右手に向かって進むと、最奥には手の込んだ祭壇が設けられている。様々な捧げ物が並び、祭壇の左右には1枚ずつ銅鏡が掲げられていた。

 アシナは事前にカイから言われたとおり、祭壇の前に胡座をかいて座った。左斜め後方にカイが控えるのを確認すると、背筋を正し、そっと目を閉じる。

 それからオオガイが外から建物の扉をしっかりと閉めてしまうと、少しざわついていた外の音が遮断され静かになった。鐘の音が聞こえるまでは言葉を交わしても良いらしいので、この状態に少しだけ不安になったアシナはカイを呼んでみた。

「ねえ、カイ?」

「ここにおります。何か……?」

 普段は武人らしくよく通る声なのだが、今は周囲の静寂に合わせて囁くような柔らかい話し方だ。

「ううん、何でもない。ちょっと呼んでみただけよ」

 アシナの声もいつもより控えめでやや掠れている。少しの沈黙を経て、次に言葉を発したのはカイだった。

「アシナ様、本当にあの男でよろしいのですか?」

「もちろん。王になることを受け入れる代わりに、私は私が選んだ者をもう一人の側近にする。それが私の中で決めた条件だから」

「わかりました」

 静かな会話が終わり、アシナは今度こそ瞑想に集中した。隣接する楼閣に備え付けられた鐘が厳かに鳴り響くのが聞こえた。両脇に建てられた楼閣には術師が上がり込み、銅鏡を使って倭国全体から守護霊を呼び集める儀式を行うことになっている。

 アシナは祭壇の前でひたすら瞑想し、全身の神経を研ぎすませて守護霊の声を聞く。そんなことができるのだろうかと疑問に思うが、ともかくやらなければならないのだ。

 暗闇の中で微動だにせずにいると、時間の感覚が失われていく。

 そして、ふとした瞬間に自分の肉体が消滅し、魂だけが浮遊しているような気分になるのだ。

(ここはどこだろう。私は……私は何なのだろう……。そうだ、王になるのだ。私は王。どこの王? ……全てを従える王に。倭国を統べるのはこの私――)

 また鐘の音がかすかに漏れ聞こえた気がする。

 ぼんやりと闇の中を漂っていたアシナは、ついにどさっという衝撃とともに床に倒れた。

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