隠された真実

 この男が将軍であることを失念していた。

 ひ弱な小娘など軽く一振りであの世へ送ってしまうことができるだろう。

 明かりを反射して冷たく硬い刃が二、三度輝く。どうだというように、カイは無言で刃をアシナの傷一つない柔らかい肌に押し付ける。

「ま、待って……」

 全身が恐怖に襲われ、涙すら出てこない。闇に包まれてカイの表情が見えないことが一層不気味さを加えている。

「死にたくなければ食べろ」

「うん」

 かろうじて喘ぐように答えると、その瞬間、体が突き放された。

「ねえ、お願いだからもっと丁寧に扱ってよ。仮にも隣国の王女なのよ!」

 解放された安堵感から咄嗟に文句を言ったが、安心するのは早計に過ぎた。カイは剣を鞘にしまうと立ち上がってアシナを見下ろし、信じられない話をし始めた。

「王女だと? ふん、おまえは本当に何も知らないんだな。おまえなど何者でもない。故郷の王に裏切られただけだと思っていたらおめでたい。もしおまえが狗奴国の王族であれば俺だって敬意を払って壊れ物を触るように接するさ」

「ねえ、それってどういう――」

 しんと静まり返った館中に自分の早鐘を打つ心臓の音が響き渡る。カイの言い方はまるで……。

「確かにおまえは狗奴国の先王の娘として認識されているが、父とも母とも血がつながっていない。なぜなら2人の間には子が生まれなかったからだ。本来、おまえの父が今の王の兄で早く妻を得ている。にもかかわらず、おまえの従兄のタクマの方が年上なのはそういうことだ。なんとしても子がほしかった先王夫妻は他国から密かに赤ん坊を連れてこさせた」

「それが……私なの……?」

 どこか他人事のように感じながら、アシナは恐る恐る口に出していた。

 カイは語りながら歩き回っていたが途中で立ち止まり、アシナの前に戻ってしゃがみ込んだ。視線の高さを同じにするためだ。

「俺はその時、もう物心がついていた年だったからよく覚えている。雪が少し積もった朝、邪馬台国の高官の赤ん坊が人目を避けてこの集落から連れ出された。どうして俺がそれを知っているのか。俺の父が赤ん坊一行の護衛隊長を任されたからだよ。どこへ行くのかこっそり後をつけていったら、その場面に出くわした」

 カイの父は予想外の目撃者に固く口を閉ざすよう命じたのだった。

「俺が事の顛末を詳細に知ったのはつい最近だ。おまえが太占によって新しい倭国王に選ばれて、有力国の合議で俺がおまえの護衛を務めると決まった時、オオガイから全部聞いた。きっとおまえが偽りの人生を歩んできたからだろうよ。新しい王を引き受ける人物は自分の生き方を犠牲にしなければならない。だから、神は既に偽りで塗り固められたおまえに白羽の矢を立てたってわけさ」

 よどみなく言い終えたカイは薄く笑みを浮かべている。一見するととても優しげな眼つきだが、その瞳の奥からは突き放すような哀れみと嘲りが伝わってきた。

 カイはアシナの頭をふわりと撫でた。あまりにも優しい動作だったので勘違いしそうになるが、彼には一切の同情がない。王家の血筋でもなんでもない小娘を護衛しなければならないのだ。護衛だけではない、こうして朝から晩まで身の回りの世話まで請け負わされている。しかも、彼女が倭国の王として君臨している限りずっとだ。

 いくら武人であることに適性を感じていないとはいえ、誇りがないわけではない。こんな小娘の世話係など屈辱でしかない。たとえ倭国の王だとしても、何もかもが偽りではないか。

 ふと視線を下に向けると、その小娘が肩を震わせて泣いていた。次第に感情が高ぶって、とうとう泣きじゃくるところまでいってしまった。

「わ、わたしっ……。全部、う、そだった……。でもっ、タクマは……タクマは……」

 途切れ途切れに嗚咽を漏らし、アシナは最愛の恋人のことを想った。しかし、賢いアシナは最悪の可能性に気づいてしまう。

「……ううん、タクマの愛情も嘘だったのよ。私が王家の娘で従妹だったから、何の疑いもなく愛することができた。でも、本当の私を知ったら……?」

「がっかりするだろうなあ」

 自分の立てた片足に器用に頬杖をつきながら、カイはにやにやと笑った。ようやくアシナは自分が何者でもないことを悟ったらしい。

 アシナはまだ静かに泣いている。もうどこにも帰ることができない。狗奴国には居場所はないのだ。そういえば、母はアシナを出産後そのまま亡くなったと聞いた。だが、アシナの出生が偽りだったのだからその話も嘘ということになる。では先王の妻はどうしたのだろう。それに、父だと信じていた先王が体調不良を訴えることもなく元気なうちに急逝したことも、おかしな話に思えてくる。

(もしかしたら、叔父様が……父を……)

 考えれば考えるほど疑心暗鬼になる。叔父は姪を何の説明もなしに、その人生をすっかり変えてしまうような道に放り出した張本人だ。順当に行けば先王の跡を継ぐのはアシナだった。そのために先王はアシナを邪馬台国から連れてきて自分の子として育てたのだ。

 しかし、それでは正統な王家の血筋を持つ叔父とその息子タクマに王位は回ってこない。だから、叔父は何らかの手段を講じて早々に実の兄を葬り去り、突然の病と称して国内に知らしめたに違いない。

 アシナは絶望した。今まで、10年と5年にも満たない人生ではあったが、自分の意思で生きてきたと思っていた。ところが、全部、狡猾な叔父の掌の上で転がされていただけだった。

 いつの間にかアシナは泣き止んでいた。ただ目の前に暗闇が広がるばかりである。

 うつむき続けるアシナに、カイはそっと声を掛けた。

「悔しいのか……?」

「………」

「そりゃそうだろう。悔しいと思うことは罪じゃない。俺だって偽りの小娘の護衛やら世話やらを押し付けられて悔しいぞ。でも逃げられない。将軍の責務があるからな。アシナ、悔しいなら……這い上がれ」

 その言葉に、アシナはぴくりと反応した。カイが自分を疎ましく思っていることはわかっている。それでも、カイの言葉はアシナを励ましているようにも聞こえた。

「俺は偽りの女に仕えるのは嫌だ。生きているのに死んだようにただ座った実態のない小娘なんか、俺が守るべき対象にならない。だから、アシナ、狗奴国を憎め。邪馬台国も憎め。そして、倭国の頂点に立って、自分の過去を肯定してみせろ」

「自分の……過去を……」

「ああ、やるなら俺は力を貸そう。本物の女王になれ。嫌なら俺がおまえの命を絶ってやる」

 顔を上げるとカイが真剣な眼差しでアシナを見つめている。カイの本心はわからない。アシナに好意を抱いて励ましてくれているとは到底思えない。絶望したこの世にとどまり続ける意味などないとも思う。

 でも……。

「私、死にたくない。このままいなくなるなんて嫌だ……」

 不思議とまだ生き続けたいという欲求が強く湧いてきた。今、この身が消滅したところで、たぶん誰も嘆いてはくれないだろう。

 アシナはカイの両腕を必至に掴んだ。今はこの若い将軍を頼る他ない。

「助けてくれるの?」

「本物の女王になると誓うならな」

「誓う。私を助けて、カイ。私がちゃんと倭国の王になったら、あなたは倭国の大将軍になれる。そうでしょ?」

「そういうこと」

 じゃあ、さっさと寝ろよと言い残し、カイは王の館を出ていった。その後姿を眺めながら、アシナは目をこすった。もう泣かない。狗奴国のことは忘れよう。叔父のことも、タクマのことも、優しくしてくれた侍女や人々のことも……。

 今はまだ過去のことなんか関係ないと言い切れるほど気持ちの切り替えができているわけではない。それでも、カイの言葉を信じて生きようと思う。

(さようなら、タクマ)

 心の中で呟いて、アシナは邪馬台国に来て初めて深い眠りについた。

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