王の館

「ねえ、カイ。どういうこと?」

「とりあえず、そちらに座ってください。お疲れでしょうから食事などを持ってこさせます」

「で、でも……」

 座れと言われた空間はまさに玉座ではないか。アシナがどうしたものかと躊躇っていると、カイは失礼と言うや否やアシナの体を抱き上げて玉座まで運び、全身を硬直させているアシナをその場に下ろした。

(何なの!?)

 激しく動揺したアシナを尻目に、カイは一礼して館を出て行ってしまう。

 カイの両腕は熱く、タクマのすらりとした肉質とは全く異なっていた。あれが武人というものなのか。ほんの少しの間、抱きかかえられただけだったが、アシナは自分の頬が火照っていることに気づいてさらに動揺した。

 心を落ち着けようと目を閉じて深呼吸を繰り返しているうちに、館の中にたくさんの人が入ってきた。ほとんどが女で、何かしら食べ物や道具を手に持っている。

 じっとしているうちにアシナの目の前には上等な食事が用意されてしまった。

(これが邪馬台国流のもてなし方なのかしら)

 ごゆっくりお召し上がりくださいと言って、年かさの侍女が出ていくと、アシナはまたカイと2人だけになった。

「いただきます……」

 空腹には勝てず、アシナの手は皿の上の焼き魚に伸ばされた。美味しい。次から次へと食べ物を口に放り込み、満腹感を覚える頃、やっとアシナは忘れていたことに思い至った。

「あ、そういえば、ユキはどうしたの?」

 カイは水差しから杯に水を注ぎ、アシナの右手付近に置いた。食事の世話は全部、カイがやってくれている。

「ユキ? アシナ様の従者ですか? その者なら別の館で休んでおりますのでお気になさらず」

「そう、それならいいわ。ところで、他の人たちはいないの? うちの国では侍女がいるんだけど。それに、ここって王の館でしょう? 王にご挨拶しなくていいのかしら」

「他の者は別にやることがございますので、アシナ様の世話は私のみです」

「ああ、お祭りの準備で忙しいのね」

 きっと邪馬台国の王も客人らに会う余裕がないに違いない。アシナはそう考えて納得した。ユキもちゃんと休んでいるのなら問題はない。

 ところが、カイはアシナの発言を訝しんだ。

(祭り……? 何を言ってるんだこの女は。もしかして、何も聞かされていないのか)

 一瞬そのことをアシナに問い質そうとしたが、思いとどまった。

たぶんこの少女は自分が邪馬台国へ連れられてきた本当の理由を知らないのだろう。だからこんなに楽しげに食事を済ませ、安心した様子で鎮座している。

(俺が黙っていても、いずれ、いや明日にでもわかる話だ。今はつかの間の平穏を与えてやるべきか……)

 その後、アシナは自分の国のことを話したり、祭りのことを訊いてきたりした。存在しない祭りのことなど答えようがないので、カイは適当に話をでっちあげて語った。

「では私はこれで。少し離れた詰所におりますので、用があれば声をかけてください」

「わかった。お休みなさい」

 とろんとした表情で床に座ったアシナはカイを見上げている。

明かりの火を消し、アシナが床に就いたことを確認するとカイは詰所に向かった。

 そして、集落が寝静まった真夜中、月明かりの下で2つの影が近づいた。アシナの様子を見に来たユキとカイがアシナの眠る館の前で立ち止まる。ユキは同伴してきた侍女や従者を連れ、夜明け前に邪馬台国を去り、狗奴国へ引き上げることになっている。

「話が違うじゃねえか」

 音量を抑えつつも怒気を含んだ声を出したのはカイだった。

「話が違うとは?」

「あの娘は何も知らされてねえってことだろ」

「正直に話したところで納得してくれるはずがないでしょう。ああ見えて、従順ではありませんからね。あなたが勝手に王としての自覚を持った娘が来ると思っていただけです。いずれにしても、我々狗奴国は役目を果たしました。後はお任せします」

 微笑みながら一方的に言うと、ユキは一礼をしてカイに背を向けた。日が昇るにはまだ早い時刻だが、そろそろ出立しなければならない。

「ああ、もちろん、狗奴国にできることは協力いたしますよ。新生倭国の仲間ではありますので……」

 ユキは振り返らずに付け足すと、そのまま闇の中に消えていった。

「くそっ」

 言葉にならない怒りを抱えたカイは館の前を行ったり来たりしていたが、やがて詰所へ戻った。

 翌日、朝食を終えたアシナがカイに訊ねた。

「私、夢を見てたのかもしれないんだけど、夜中にここに来た? なんか話し声が聞こえた気がして」

「……そうですか。私はずっと詰所におりましたが」

「やっぱりそうよね。それで、今日は邪馬台国の王にお会いできるの? お祭りの準備があるなら私も何か手伝えればいいんだけど」

 アシナは無邪気にも身を乗り出して、カイに笑顔を向けてくる。

今すぐにでも真実を告げるべきか。いや、だがそうすればこの娘は護衛を振り切って、帰路についているユキを全力で追いかけて狗奴国へ帰ろうとするだろう。それは駄目だ。カイも邪馬台国の武人として命じられてアシナの護衛と世話役を勤めているのだ。不憫だからという理由で、倭国の未来をぶち壊すわけにはいかない。

 アシナが倭国の王となるのはまだ少し先の夜だ。それまでアシナを王の居住区から外に出してはならない。特に祭祀場は即位の儀式のための準備が行われている。その意味では祭りなのだが、アシナが想像している祭りとは似ても似つかないものだ。

「アシナ様はここで待機していてください。祭りのために潔斎が必要なのです。ですから、極力人に接触してはなりません」

「だから、私の世話をしてくれるのはカイだけなの?」

「はい」

 短く返答すると、アシナはどこか腑に落ちないようだったが、女の人がいいんだけどなと言ったきりそれ以上は何も言わなかった。

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