狗奴国の王女
手を振り返してくれるタクマたちの姿が完全に見えなくなると、アシナは前方を向いて座り、ユキに話しかけた。ユキの年齢はよくわからない。父や叔父が若い頃から付き従っているらしいので中年なのだろうが、見た目では青年のように見える。ユキは身軽で、王の指示でどこにでも出掛けていくような人物だ。
「邪馬台国ってどんなところ? ユキは知り合いがいるの?」
「ええ、何度か訪問したことがありますから王宮の人たちとは顔馴染みですよ。四方を山に囲まれた広い窪地の真ん中あたりでしょうか、そこに王宮があるのです。狗奴国にはない珍しい装飾のついた楼閣が建っているのが特徴ですね。行ってみればわかりますが、たくさんの人で賑わっていますよ」
ユキは説明しながらアシナの横顔を眺めた。希望に満ちた可愛らしい少女だと思う。
だからこそ、ユキの心は痛んだ。今回の任務はアシナの未来を大きく捻じ曲げてしまうものであり、その計画を知った時、果たしてこの少女は絶望に心身を破壊されまいか。
有力国の合意に基づき、一人の王家の女子を新たな倭国の王とする。
なぜ狗奴国の娘なのか。そう問いかけても答えはあるようでない。何度試しても、太占の結果がそのように出るから。密かに狗奴国の術者にも占わせたがやはり新たな王はアシナだった。
ユキは神の意思に戦慄を覚えた。
全て初めから決められていたことなのだ。アシナが生まれ、狗奴国の王のもとで大切に育てられ、そして、まるで王家の男たちを無傷で守るように神に選ばれた。そうでなければ、他国の王のようにイザリが暗殺されるか、その息子のどちらかが犠牲になるかという道しかなかったのだ。
昼頃、船は対岸に到着し、少しの休息を挟んで沿岸を南下した。日が沈む頃になってようやく陸地に上がり、集落で一夜を過ごした。実はこの辺りまでは狗奴国の支配下に置かれているのだった。
道中、アシナはよくしゃべった。本当に王の息子のことを好いているということが伝わるほど、彼の話題が大半を占めている。
おそらく、アシナとタクマは二度と顔を合わせることはないだろう。
アシナは倭国の王となり、邪馬台国の新しい宮殿に君臨する。そして、タクマはゆくゆくは父の跡を継いで狗奴国王としてアシナの配下に甘んじなければならない。
これが残酷でない運命などとは言えない。
せめてもの償いとして、ユキはアシナを最大限丁重に扱い、過保護といえるほど世話をしてやった。集落の外に出たことがない少女が山を越えるのは想像を絶する苦痛だったに違いないが、アシナは黙ってユキに手を引かれひたすら歩いた。山脈の途中の集落で1日休み、それから再び邪馬台国へ向かって進んだ。
谷間の川沿いを歩いていき視界が開けると、ユキが話していたように広大な窪地が広がっていた。見渡す限り山がそびえている。
「うわあ!」
思わず声を上げたアシナは疲れも忘れて駆け出した。
「本当に海のない国があったのね」
「アシナ様、危ないですよ」
ユキは苦笑してアシナを追った。付近の集落に入り、狗奴国から来たことを告げるとあらかじめ用意されていた貴人用の輿が出され、アシナはそれに乗せられることになった。
「王宮はあの高台にあります。わかりますか、楼閣が見えるでしょう?」
だいぶ輿に揺られた後、途中でユキがアシナに言った。そして、ユキの指し示す方を向くと、確かに渦巻のような飾りのついた楼閣が見える。
王宮は狗奴国と同じように何重もの環濠で守られていた。中央部に到着すると、迎えの一行が待っていた。
「ようこそ邪馬台国へ」
恭しく挨拶を申し出たのは邪馬台国の王の側近オオガイであった。オオガイは薄っすらと笑みを浮かべているが、ヒキガエルのようにねとねとして見える。オオガイはちらとアシナを見ただけで、後はユキと話を始めてしまった。
輿の上に座ったまま取り残されたアシナは、周りを見回した。すると、背の高い若い男が大股で近寄ってきた。
その男はタクマよりも少しだけ年上に見えたが、体の作りがだいぶ違う。むき出しの肩や腕は筋肉で引き締まっており、目つきも鋭い。
彼と視線を交わした時、アシナは胸を射抜かれたような気持ちになった。なんだか怖い。でも目が離せない。味わったことのない感覚に胸がどきどきしている。
「アシナ様ですね。私はカイと申します。御身の護衛を仰せつかっております。さあ、行きましょう」
何か返事をしようと思ったのに、口の中が乾いてしまって言葉が出てこない。
カイの口調は取り付く島もないほどそっけなかった。オオガイのような愛想笑いすらなく、歓迎されているのかどうか全く読み取れない。ただ与えられた役目を果たすためにアシナの前を歩いているようだ。
(親善のお祭りだっていうのに、全然楽しそうじゃないわね……)
連れてこられたのは集落の中のさらに柵で囲われた場所、つまり王の住居そのものだった。等間隔に兵士らが立ち並び、厳重に警護されている。
邪馬台国の王に会うのだとわかると、アシナは緊張した。横目で様子を伺うも、相変わらずカイは無言だ。
ところが、王の館に辿り着くもその中には誰もいなかった。
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