邪馬台国へ
いつの間にか、再び鳥のさえずりが集落の中に聞こえるようになった。
まだまだ水も風も冷たいが、確実に日の光は暖かくなってきているし、大地には柔らかな新しい草が芽吹きつつある。
タクマとアシナは2人並んで小高い丘の斜面に座り込んでいた。乾燥させた胡桃を麻の袋から摘み出してはかりかりと齧る。噛みしめるとほんのりと甘くて、程よい具合に塩気がきいていて、止められない。
「美味しいね」
「うん」
「食べ続けたら太るね」
「気にするな」
狗奴国は西側と南側の大半が海に面している。南はどこまでも水平線が見えるが、西は遠くに山脈が臨め、ほとんど内海のような穏やかな波間をかき分けて、いくつもの船が往来していた。
アシナは腰に下げている薄い布で手先の汚れを拭き取ると、タクマの両手を取って同じように汚れを拭った。そして、座る位置を更にタクマに近づけ、上半身を傾けてタクマの肩にもたれかかった。
「あの山の向こうはどうなってるのかな」
「邪馬台国があるって、父上が言ってた。でも、うちの国の方がきっと立派だよ。邪馬台国には海がないらしいし、そもそも広さが全然違うってさ」
タクマは自分の国が一番豊かだと信じていた。だから、自分の国を語る時はいつでも誇らしかったし、いずれ自分のものになるということに心を躍らせていた。もっとも、父が長生きして、まだまだ息子には王位は譲らないと頑張る可能性もあるが、それでも息子としてできることはあるに違いない。
「ふうん。邪馬台国以外の国もあるんでしょ?」
アシナの艶めく黒髪をゆっくりと撫でていると、アシナは気持ちよさそうに目を細めてタクマの手を握ってきた。
「ユキは投馬国には行ったことがあるって言ってたよ。海があって大きくて暖かくて、うちの国みたいなんだって」
アシナは倭国の王が定まらず、混乱を招いているという状況を知らない。タクマは父王からその辺りの事情は折に触れて教えられてきたが、アシナは何も知らなかった。だが、タクマもまた、事態の収拾のためにアシナが差し出されるという父王の決定については聞かされていない。
「なんだか悔しい。ねえ、狗奴国を倭国で一番強くて豊かな国にしましょうよ」
「え?」
「タクマが王になったら私も一緒に手伝うわ。私、一生懸命、機織りを頑張る。機織りの工房を任せてもらえるように……。それくらいしかできないけど」
力いっぱい笑ってみせるアシナの瞳には、自分との未来が映っている。そのことを感じたタクマは一層、この従妹に愛おしさを覚えた。
「アシナは欲張りだなあ」
「そうよ。あの山脈から東側は全部、狗奴国のものってことにしない? もっと東にある国々を仲間にすればいいわ」
「いっそのこと、君が狗奴国の王になってもいいかもね」
「それは無理よ。王はタクマじゃなきゃ意味がないでしょ」
愛する娘からこれ以上ないほどの肯定をもらい、タクマはアシナとなら何だってできそうな気がした。
それから、どこもかしこも新緑で覆われる季節になり、狗奴国と外部との人の行き来が増加し、集落内での交易も活気が戻ってきた。
王宮にも様々な貢物が届けられ、アシナは侍女たちと共に装飾品を選んでいた。
すると別の侍女が足早にやってきて、王がアシナを呼んでいると告げた。貢物の中から気に入った炎のように赤い玉で作られた腕輪を身につけると、アシナは館へ向かった。
「何かご用でしょうか?」
王に手招きされたアシナは、館の中へ入り敷物の上にちょこんと座った。
「お前に頼みがある。邪馬台国で催される親善の祭りというのがあってな、それに出てほしいのだ」
「お祭りですか?」
「そうだ。周辺の国から王族を招いて、交流を深めるためのものだ。お前の機織りの腕前は狗奴国の財産だからな。ぜひ工房の者を何人か引き連れて、狗奴国の技術を他国に知らしめてほしい」
今まで親善の祭りが行われていたことなど知らなかったが、アシナは王に自分の技能を認めてもらったことが素直に嬉しかった。これは、タクマと一緒に狗奴国を倭国で一番強く豊かにするための第一歩なのではないか。
狗奴国の素晴らしさを他国に知ってもらえれば、今よりももっと交易が進むに違いない。政治に関わることがなくとも聡明なアシナは祭りの意義を素早く理解した。
「わかりました。あの、タクマも一緒に行っては駄目ですか?」
そこが肝心なところだが、王は首を横に振った。
「あいつにもいずれは外の世界を見せねばなるまいが、今は別にやるべきことがあるからな。先日、北方から武人に来てもらったところなのだ。タクマとエヤに武術の鍛錬をつけてもらうことになっている」
「それなら仕方ありませんね」
「だが、ユキを共に行かせよう」
叔父王が微笑むと、アシナは安心して、はいと返事をした。
数日後、アシナとユキの一行は集落を出て邪馬台国へ向かった。船団というほどではないが、何艘もの船が用意され、アシナとユキは最も大きくて丈夫な船に乗り込んだ。
海岸まではタクマと弟のエヤも見送りにきてくれた。
「気を付けてね。僕たちの分まで楽しんでくるといいよ」
「うん。タクマもエヤも鍛錬頑張ってね」
アシナにとって、これが初めての旅だ。不安はあるし、タクマとしばらくの間、離れ離れになるのはとても寂しい。けれども、タクマはアシナを抱き締めながら明るく励ましてくれたのだ。狗奴国のためにアシナは必要なんだよと。
だから、アシナは船の上から元気よく手を振った。穏やかな朝日も潮風も、この旅を応援してくれているように思えた。
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