はかりごと
王家の少年と少女が恋の世界に浸り、昼過ぎまで共に寝ていたその日、タクマの父である狗奴国王イザリのもとにある知らせが届けられた。使者は分厚い毛皮の外套を館の入り口で脱ぎ、急ぎ足で玉座の前へやってくる。
「寒い中、ご苦労だったな」
顎髭をたくわえ、ガラスの管玉を幾重にも連ねた首飾りをした壮年の男が、少し高い位置から使者に声をかけた。
「はっ。悪いお知らせになりますが、対蘇国王が毒殺されたということです。妃も同じ毒入りの水を飲み、亡くなったと」
「誰の仕業か特定できているのか?」
「確かではありませんが、不呼国からの使者らが滞在している最中だったそうで、おそらく不呼国が関与しているのではと噂されております」
使者の体が寒さで震えているのを見てとったイザリは、それ以上聞くのを止めて使者を下がらせた。この手の情報は今までにも何度も接していて、いずれもどこかの王が死んだということしか確かではなかったので、詳しい話を聞いてもあまり意味がないのだ。
玉座の近くに控えていた側近のユキが険しい顔で王に進言する。
「恐れながら、このまま手をこまねいて成り行きを見守って済む状況ではなくなってきております。ある程度、力のある国々が倭国の王として名乗りを上げてきましたが、それも尽きてきました。先般、投馬国と不弥国が申し入れてきた策を受け入れる時かと……」
「息子が黙ってはいまい」
イザリは眉根を寄せた。自分で言った言葉は息子を言い訳に使っただけで、本当は狗奴国とそして自身の安全を守るためにはユキが言及した申し入れを飲むことが最善の方法であるとわかっていた。
そもそも倭国が全体的に政情不安定になったのは、今まで倭国の王として振る舞っていた伊都国王の後ろ盾がなくなってしまったからだ。倭国は長い間、海を隔てた大陸の漢帝国へ使者と貢物を送り、国として認めてもらっていたのだが、その漢帝国は腐敗と反乱により瓦解してしまった。
威光を失った伊都国は経済力や軍事力こそ保っているが、もはや倭国の王たる地位にとどまることができず、我こそが倭国の王と野心を抱いていた他国の勢力争いが始まって久しい。
大陸もまた3つの大国が覇を競い、戦乱が続いている。最終的に誰が大陸を治めることになるのか見当がつかないため、倭国も朝貢先を定められずにいた。
だが、大陸との繋がりが一切なくなってしまったわけではない。
半島の付け根に位置する遼東郡とその南に設けられた楽浪郡、帯方郡を半ば独立して統治する遼東太守の公孫氏は倭国にとって一番手っ取り早い後見元であり、公孫氏もまた倭国を勢力圏に取り込むため倭国からの使者を受け入れてきた。
そして近年、太守の公孫恭は倭国の真の王を定め、正式に使者を派遣するよう求めるようになった。相変わらず情報は伊都国を介してやりとりされているが、伊都国に駐留する各国の代表者たちの相互監視と牽制により伊都国王が倭国の王を名乗ることはもはや不可能であり、かと言ってすぐに新しい倭国の王が決定されるわけでもなかった。
これまでも有力な国の王たちが自らを倭国の王であるとして、独自に帯方郡へ使節団を派遣しようと試みたが、伊都国の持つ高い航海技術もなければ外交の知見もなく、頓挫してしまった。あるいは、先ほどの知らせのように、王が様々な理由で急死している。
そしてユキが狗奴国王に再考を促したのが、どん詰まりに陥った倭国の苦境を打開しようと、大国である投馬国と不弥国が伊都国に在住している渡来人の知恵を借りて絞り出した策なのである。
「とにかく、ある国の王がその国に留まりながら倭国の王を名乗ることが問題なのです。それでは全体の王という意識が生まれません」
「うむ。もう我々東の諸国も強大化しているというのに、南方の端の国を倭国の代表とはどうにも思えんからな」
ええ、とユキは相槌を打った。今日はよく晴れていて、外では侍女たちの笑い声がしているが、ここは人払いをしているので静謐が保たれている。
「ですから、倭国の王をぐっと東側に住まわせるというわけです」
「それが
邪馬台国は山脈と大きな湖を挟んで狗奴国の西側にある有力国だった。あまり気が進まないが王都の位置としては妥当だろう。
問題は誰を王位に据えるかということだ。
ユキは一層注意深く、周囲に人の気配がないか確認すると、声を潜めてイザリに語った。
「渡来人の術師の太占によれば、その王となる者は我が狗奴国にいると。さらにそれは王家の若い女子……。幸い、タクマ様とエヤ様は男子でいらっしゃいます。差し出すのは必然的にアシナ様しかおりません」
「しかし、アシナは……」
そこで、狗奴国王は口をつぐんだ。しばしの沈黙の意味をユキも共有していると理解したイザリの次の言葉は簡単だった。
今更何を悩む必要があろう。あの娘は兄王の子としても狗奴国王家の一員としても過不足なく育てられてきたではないか。
「差し出そう、アシナを。狗奴国と倭国のために」
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