第2話 巨大戦艦

 この辺一帯に広がっている森は、かの名高きトイトブルクの森であるはずだ。約七〇年前にゲルマニア諸部族相手にローマが大敗してしまった戦いがあった。ローマは昔から、ゲルマニア相手にはなかなか手を焼いている。

 ローマは最近、ゲルマニアのキウィリス将領に手痛い敗北を喫した。キウィリスはかつて、二〇年以上、ローマ軍に従属していたことがあるので、ローマ軍の長所も短所も知悉している。だがその後はローマ軍が地力の差で盛り返していて、キウィリスを追い詰めつつある。

 ローマ軍勝利の栄光を確実にするには、ゲルマニア諸部族のもう一つの求心力となっている巫女と交渉し、和平への道を作らなければならない。それが不可能な最悪の場合は……巫女を排除しなければならない。

 ローマ帝国第十四軍団ケリアリス司令官からの伝言を、プブリウスは心の中だけで復唱して前進を再開した。

 ほぼ獣道に近い草の深い道を虫刺されに苦労しながら進み、ほどなく川には到達できたが。

「なんなんだこの小舟の数は?」

 辺境のトイトブルクの森の中である。往来する者は多くない。せいぜいたまにアエスティーの琥珀を取引する北方の行商人やヒスパニアの吝嗇な冒険商人が行き交ったり狩人を見かけたりするくらいだろうと思っていた。

 ルピア川では、何艘もの小舟が流れを遡って東に向かっていた。

 一時の驚きから落ち着いて思考整理すると、これらの小舟は、一年に一度の儀式を見るために聖なる巫女の塔に向かっていると容易に想像がついた。トイトブルクの森の南寄りはブルクテリ族の勢力範囲だと事前に調査してある。ということは、かなり多数が集結する大規模な集会だ。

「なるほど。ブルクテリ族にとっては指導者である巫女の影響力は多大ということか。だから帝国は、というかケリアリス司令官やアグリコラ補佐は巫女を怖れて、和平か排除かの必要性を感じたわけか」

 大雑把に考えれば、諸々の役割には差があるようだがガリアにおけるドルイドの巫女と似たようなものかもしれない。

 大きな力を持った巫女の出現が、キウィリス将領の叛乱と同時期に発生したというのが、ローマにとっては問題の厄介度を高くしていた。

 森を抜けるのは苦労した。人の気配を感じることもあった。大抵は巫女の塔を目指しているゲルマニア人のようだった。プブリウスは身を潜めてやり過ごし、可能な限り接触を避けながら進んだ。

 いつしか木が疎らになって、小さな水溜まりや沼が幾つもある湿地帯に入ってきた。背の高い草が生い茂っているので人目につくことはないが、足下がぬかるんで不快だった。そしてようやく、ひときわ大きく水が居座っている場所に到達した。

「これがルピア湖か」

 幾つもある沼を大きくしたような感じで、特に景色を見ても感慨は無かった。現在プブリウスが立つ南岸から眺めると、湖面には幾つも小舟が浮かんでいるのが見える。

 塔は周囲には見あたらない。湖岸を移動して探すしかない。

 背の高い草が茂った湿地帯であり、湖だけではなく、池や沼のようなものや小さな水溜まりにいたるまで諸所に存在し、歩き難い場所だ。岩場や浅瀬を伝いながら数本の川を渡り前進を続けたが、泥濘に足をとられることも幾度かあり、苛立ちばかりが募った。

 視界が開けた時に一番最初にプブリウスの目に入ったものは、塔ではなかった。

「な、なんでこんな所に三段櫂船があるんだ?」

 湖には小舟が何艘も浮かんでいた。その中に混じって一艘だけ飛び抜けて巨大な、勇壮な軍船が浮かんでいる。

 その名の通り、船の舷側には縦に三段に並んだ層があり、そこから長い楡製の櫂が列をなして飛び出ている船だ。今は帆は張られていないものの、高い二本の帆柱もある。もちろん水面下に隠れているが、船首には敵の船底に穴を空けるための鋭い衝角も付いているはずだ。

 三段櫂船は多数建造されており、地中海を縦横無尽に駆け回って沿岸地帯を征服し、ローマ帝国の威光を広く敷衍させてきた主力戦艦である。プブリウスもまた、地元のナルボンヌスの港で、この型の船を幾度も見たことがある。

 ゲルマニアの蛮族に、斯様に大きく立派な三段櫂船を製造するような技術は無いはずだ。ゲルマニアも、ローマから拿捕した船を参考にして建造したと思われる二段櫂船なら幾つも持っていて、かなり大規模な艦隊も有している。だが、目の前にある三段櫂船はゲルマニア自前のものではなく、ローマから拿捕した船であることは間違いないだろう。

 海からレーヌス川を遡り、途中で支流のルピア川に入り込み、ここまで曳航して運んできたのだ。

 水量の豊富なルピア川といえども、急激に曲がりくねった難所や、浅瀬や急湍も途中にあるはずだ。優秀な測鉛手が必要な危険箇所をどう乗り越えてこの上流にまで到達できたというのか。

 目を陸地に転じてみると、湖岸からは随分と距離が開いてはいるが、噂の塔と思われる物が見えた。塔の周囲は森だったようだが、木が伐採されていて人が多く居る広場になっている。


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