ルピア湖畔の巫女 ~ヴェレダの歌~

kanegon

第1話 ゲルマニア潜入任務

●起


 そればかりか、ゲルマニアの者は、女には神聖で予言者的なあるものが内在すると考える。(中略)。我々は大ウェスパシアヌス帝の治世当時、ゲルマニアの多くの者たちから長い間、神のごとく崇められた【巫女】のことを知っている。


                                   タキトゥス『ゲルマニア』より




「ルピア川? そったら名前の川なんて無いぞ」

 訛りの強い声で地元の男に言われて、プブリウスは思わず息をのんだ。目的の場所はルピア川の畔にあると聞いていたので、まずは川を目指していたのだ。

「お、おかしいなあ。川の畔に塔があって、そこに住んでいると俺は聞いたんだけど」

「塔だと? おい兄ちゃん、聖なる巫女の塔のことか? 一年に一回の儀式を観に行くのか?」

 ゲルマニアの地が広いといえども、塔が幾つも存在するとは思えない。緩く縮れている短めの灰色の髪を軽く手で整えながらプブリウスは肯定した。

「なんだよリッペ川のことだったんか。ルピア川なんて言うから分からなかったぞ。リッペ川は真っ直ぐ北に行けばすぐだ。でも塔があるのはもっと東の上流にある湖沼地帯だぞ。ここからだったら、まだかなり距離がある」

 学の広いプブリウスではあるが、リッペ川という名前を聞いたことは無かった。リッペとルピア、この近辺の方言による差異か。

「それはそうと、一年に一回の儀式って何ですか? 民会じゃないんですか?」

 単純な疑問を口に出した。が、それを聞いて、地元の者がプブリウスを見る目が厳しい色を帯びた。

「あんた、儀式を見に来たんじゃないなら、この時期にわざわざ何をしに来たんだ? そもそもどこの部族の者だ? まさか、ローマ人じゃないだろうな?」

 ローマ人は辺境であるゲルマニアの民を蛮族と見下している。そのせいもあってであろう、対ローマ叛乱を起こしたゲルマニアの者たちは、ローマ人に対して強烈な敵愾心を抱いている。

「お、俺はバタウィー族のゲルマニア人ですよ。槍だって、ローマの折れ曲がり易い槍じゃなくて、ちゃんとしたフラメアです。コロニエ・アグリッピナから来たんですよ」

 プブリウスがバタウィー族の者というのは嘘だが、葡萄畑に囲まれたコロニエ・アグリッピナ出身であり幼少時はそこで育ったのは事実だった。

 槍と短剣を持ち、服装に関してはゲルマニア人が着るようなものを用いているが、短い髪の色は地毛の灰色のままだ。ゲルマニア人は長い金髪が多いので、その部分では怪しまれてしまう可能性は高い。だが、他の要素に関しては、プブリウスの高く筋の通った鼻梁、知性を宿した鈍い空色の目は、ローマ人といってもゲルマニア人といっても通じる容姿だ。まだ二〇代前半の若さの青年であるため、髭があまり伸びてこないが、今は少し無精髭がある。

「……コロニエ? ケョルンのことか?」

 ケョルンという言い方も、プブリウスにとっては初耳だった。しかも発音しにくそうな言い方だ。

「ケョルンっていうのは、元々ウビイー族の小村だったのを、ローマが勝手に名前を変更して植民市だとか属州だとか言い張って街を建設しているんじゃなかったか? それにバタウィー族は、ゲルマニアの中でもローマに服従している部族じゃないか」

「確かにかつてはバタウィー族はローマに服属していましたが、今は違うじゃないですか。ローマ帝国のネロ皇帝が亡くなって以降叛乱軍を率いているキウィリス将領だって、ゲルマニアで最も武勇に優れたバタウィー族出身だからこそ、ブルクテリ族とか多数の部族の協力を得ているんじゃないですか」

 建国以来八〇〇年の歴史を持つとされるローマは、この時期には地中海沿岸一帯を広く支配する史上空前の巨大帝国にまで育っていた。しかし絢爛たる繁栄は、成熟の果ての頽廃への序章でもあった。

 暴君として名高かったネロ皇帝が死んで、ローマ帝国は陰謀と野心が顕在化し、簒奪と権力闘争の内訌により麻のように乱れた。

 その隙を利用する形で、ローマに反感を抱いていたゲルマニアの諸部族が糾合して叛乱を起こした。

 今、諸部族を纏め上げて対ローマ叛乱を主導しているのは、バタウィー族出身のキウィリス将領と、ブルクテリ族出身の巫女であると言われている。

「しかし、あんたの言葉は訛りがきついじゃないか。ローマ人が使うラテン語混じりなんじゃないのか?」

 訛っているのは蛮族のそっちだろう、と言いたいところだったが、プブリウスは賢明にその発言を控えた。

「ローマの属州出身なので、訛りがあるのは仕方ないんですよ。ゲルマニアの言葉とラテン語が変な風に混ざっちゃって」

 この言い訳は嘘ではないが、これ以上会話を続けていては綻びが出てしまいそうで危険だ。プブリウスは地元民に軽くお礼を言って、逃げ込むようにして森を北へ向かった。


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