濃厚な生クリームとほろ苦いカカオの香り

 秋は人肌恋しくなる季節だ、と最初に言いだしたのはいったい誰なのだろう。


 台風の通過によって日本の厳しい夏の暑さが絡めとられ、少しずつ冷たい空気に入れ替わっていく中で、季節の変わり目に感じる肌寒さを人肌の温もりへの希求だと捉える。それは確かに文学的で情緒に溢れる表現だと思うけれど、その一方で、これは危険な感性だとも感じる。人肌恋しいということは即ち『寂しい』のである。そして、寂しさは大概ロクでもないことばかり引き起こす。


 それは、麻梨丫がずっと傍にいて、日がな一日人肌に触れているはずの僕にとっても同様であった。

 観測史上に残る猛暑となった2040年も、11月ともなるとさすがに最高気温が20度を超える日は減り、夏の暑さとのギャップも相俟って、朝晩の冷え込みが身に沁みるようになってきた。それに伴い、と言うと弁解じみて聞こえるかもしれないが、先日愛芽璃の夢を見て以降、彼女が頻繁に夢に出てくるようになったのだ。

 決して円満な別れ方ではなかったし、別れた当時は未練がなかったとは言えない。しかし、あれからもう五年以上が経っている。今更になって何故こうも彼女のことを思い出してしまうのか。秋は寂しさと共に郷愁、ノスタルジーを誘う季節でもある。それでは理由にならないだろうか?

 別に、麻梨丫が最近冷たいとか、上手くいっていないとか、そういうわけでもない。些細な喧嘩もなくはないが、いずれもその日のうちに仲直りできてしまうような他愛のないものばかりである。彼女に対する不満もない。セックスの回数がもし指標になるならば、クソ暑かった夏場よりは増えているからむしろ改善されたと答えられる。

 夢は無意識の体験。とはいえ、潜在意識と全く無関係とも言い切れないところに、問題の根深さがあるように思う。いったいぜんたい、僕はどうしてしまったのだろう。

 そんなことを恐らく知る由もなく、普段通りに接してくれる麻梨丫に対して、僕は密かに罪悪感を覚えている。彼女もこんな風に、かつての誰かの夢を見ているのだろうか。



!i!i!i!i!i!i!i!i



 日用品の買い出しのため外に出た僕たちは、その帰りに喫茶店に寄った。久しぶりの外食。月に一度あるかないかの贅沢である。

 令和の初頭、東京オリンピックの後に、時の首相の名を冠した経済政策の失敗によるリスクが顕在化し、世界的不況の中で日本の財政危機が取り沙汰されて以降、物価は急激に上昇し始めた。その後、社会保障費の大幅削減を目玉にした財政再建策の導入によりどうにか円の暴落は収束した。だが、輸入に頼らざるを得ない食料品、特に嗜好品の価格は、可処分所得の減少も相俟って、十年以上経過した今でも高止まりしたままだ。僕が子供だった頃は何気なくふらっと立ち寄れたはずの喫茶店での軽食を贅沢と形容したのは、そういう事情による。


 麻梨丫が注文したのはコーヒーとチョコレートパフェで、僕はパンケーキとロイヤルミルクティーだった。しばらくして注文したものが運ばれてくると、僕たちは思わず目を疑った。メニュー表の写真から抱いていたイメージより、実物は一回り、いや二回りは大きかったからだ。

 特に調べたわけでもなく、何となく入った店だったから、これは嬉しいハプニングだった。

 元々辛党で甘いものをあまり好まなかった麻梨丫だが、僕と味覚を共有するようになってからだいぶ感化されてきたらしく、最近ではご覧の通り、彼女のコンパクトな顔より大きいチョコレートパフェもぺろりと平らげてしまう。


 ところで、味覚を共有している僕たちには、一つ便利な点がある。それはつまり、一人分の胃袋で二人分の食事ができるということだ。僕が食べるパンケーキとミルクティーの味はそのまま麻梨丫に伝わるし、彼女が食べるパフェとコーヒーの味も、僕はそのまま知覚することができる。わざわざ半分ずつ分ける必要がないのだ。二人同時に口に含むと味が混じってしまうので、食事に少し時間がかかることだけが難点ではあるが。

 だから、チョコレートパフェに一口も手を付けずとも芳醇なカカオの香りを楽しむことができたし、雲のようにふっくらと柔らかく滑らかなパンケーキの舌触りも、きっと彼女に伝わっているだろう。


 しかし、お互いにパンケーキとチョコレートパフェを食べ終え、ミルクティーとコーヒーを飲み干して、席を立とうとしたその瞬間だった。


「八雲……?」


 と、僕の名を呼ぶ女の声がしたのは。

 麻梨丫の声ではない。もう少し若くて高い声。そして、ああ、とても懐かしい。

 視界がぐるりと回転し、麻梨丫が後ろを振り返る。


 見間違うはずもない。長かった髪はショートボブになったし、メイクの雰囲気もだいぶ変わっているが、白いコートを着てそこに立っていた女性は、たしかに亜芽璃だった。

 僕は思わず我が目を疑った、という慣用句を用いたいところだが、実際に亜芽璃を見ているのは麻梨丫の目だから、この状況にはそぐわないだろう。麻梨丫の目はまじまじと亜芽璃の顔を見つめていたが、亜芽璃の視線はずれていた。方向的に、おそらく僕の方を注視しているのだ。

 亜芽璃は驚いたような、戸惑っているような、喜んでいるような、恐れているような、判断の難しい複雑な表情を浮かべながら、ふらふらとこちらへ近付いてきて、僕たちのテーブルのすぐ傍に立ち、もう一度言った。


「八雲、だよね……?」


 この状況でどう返答すべきなのか、模範解答があるなら教えて欲しいところだが、生憎検索して調べる暇もない。僕は、昔の恋人ではなく、旧い友達と再会したような何気ない口調で、


「お久しぶり」


 とだけ返した。僕の返事の素っ気なさに腹が立ったのだろう、亜芽璃は何か言いかけたが、その時ようやく気付いたという様子で、麻梨丫と視線がぶつかった。

 亜芽璃はまったくの無表情でじっと麻梨丫を見る。麻梨丫がどんな表情をしているのか確認できないのが怖かったが、それを察することができないようでは恋人失格だろう。口調によるカモフラージュはどうやら無意味だったらしい。何故なら、微かに瞳を震わせた亜芽璃は、ただの旧友と出会ったようにはとても見えなかったからだ。


 最近亜芽璃が夢に出てくるようになったのは、これを予期していたのかもしれない。虫の知らせというやつだ。

 そしてありがたいことに、現状を表すのにうってつけの言葉が、日本語には存在する。


 修羅場、という単語である。

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僕たちはウインクができない 浦登 みっひ @urado_mich

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