9冊目 たまご『鈴鳴草子』

 サークル名:たまごのしろみ

 著者名:たまご

 書名:鈴鳴草子

 書誌データ:文庫版 110ページ


 感想

 暗いところが怖くて夜トイレに行けない。などという状況から卒業して久しいが、それでも夜中に旅先の田舎道を散歩していて、ふと街灯の無い、山の中へと続いていく道の先の黒々とした闇を見つめていると、得体の知れない恐怖に囚われることがある。

 ぷつぷつと嫌な汗が噴き出し、心臓の鼓動が早くなる。

 その時、今すぐこの場から逃げ出したいという、ごく平凡な感情の裏に、もし100パーセント安全が保障されるのであれば是非行ってみたい、という相反する感情が生起するのは筆者だけだろうか。

 と、こんなところで聞いても今すぐ返事がくるわけでもないので、相反する感情が生まれるのは一般的なこととして話を進めるが、まあ考えてみれば「怖いもの見たさ」などという言葉が存在する時点でそこまで特異なことでもないと思う。

 なぜこんなことが起こるのかというと、それは一重に未知のものに対する好奇心からだろう。仕事で下手を打って、それを上司に報告しなければならない時の恐怖には、まったくこんな感情は無い。全力で逃げたいばかりである。未知のものに遭遇した時に恐怖を抱くのは生物の防衛本能だが、好奇心を抱くのも本能なのだろうか。それを既知のものにすることで危険をひとつ減らしていくという観点からすれば立派な防衛であるが、恐怖の方に比べればよほど回りくどい気もする。

 それじゃあ、何なのか。

 むろん防衛の要素もあるかもしれないが、そこには一種の憧れなるものがあるのではないか。科学技術の発達により、今も日進月歩で未知が既知に変わり続けている。もちろん、それでもまだまだ世界の大部分は未知であり、宇宙を見上げれば、ほとんどの部分がダークマターである。しかし、そうした未知の最先端には、学問の世界でこそ接触があるかもしれないが、それとは無縁の日常生活の中で接触する機会はほとんどと言っていいほどない。ぱっと見で分かる圧倒的な未知との遭遇はまず起こり得ない。それは安定した生活を築いていく上で必須条件かもしれないが、やはりそこに一抹の退屈を禁じ得ないくらいには、私たちはこの安定した生活に慣れ過ぎているのではないか。

 そんな時、人はUFОや宇宙人について考えてみたくなったり、都市伝説について調べてみたくなったり、ホラー映画を借りにレンタルビデオショップに向かったりするのだと思う。眉唾だけれど否定しきれない、日常から地続きの未知を求めて。

 本書『鈴鳴草子』は、まさにそうした需要に応えた本であった。収録された四つの短編はどれも、恐怖寄りの不思議が展開する。それは抑えのきいた語り口と相まって、まるでノンフィクションの経験談のように読めてしまう。読み進めていくうちに話は怪しげな方向へと舵を切り出し、やがてゾッとするような恐怖が顔を見せる。

 ああ、これこれ、これだよ。と思う。

 恐怖と共に日常の退屈を紛らわしてくれるオススメの一冊。

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インディーズの窓 著者 @chosya

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