2冊目 今田ずんばあらず『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~ 1』
書名:『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~ 1』
著者名:今田ずんばあらず
サークル名:ドジョウ街道宿場町
書誌データ:文庫版 242ページ
感想
「自分の足で現地を歩き、自分の目で現地を見るために敢えてツアーなどを使わず、個人旅行を選びました」
就職活動の面接時、大学生時代の海外旅行について訊かれると、筆者はまずもってこんな感じで自らをアッピールしていた。物は言い様である。はっきり言って筆者の旅行はその全部が遊び目的だし、ツアーを選ばないのも自分のペースで遊びたいからに過ぎない。けどまあ、右のように言っておけば、少なくともそこそこ感心され、運が良ければさらに面接官との会話も弾ませられる。実に便利な言葉であった。
しかし、軽はずみにそんなことを言うと、そのあと決まってモヤモヤした。というのも、この『自分の目で現地を見る』ということに関しては、口で言うほど簡単なことではないことを実感していたからである。していてなお、軽はずみに言っていた。
まあ、就活だからね。こっちも必死よ。
それはともかく、『自分の目で現地を見る』というのが、どうしてそんなにも難しいのかというと、それは一重に情報の氾濫である。
例えばイタリアに行くとしよう。そしたら通常、人は何をするか。まずはガイドブックの購入というところか。『地球の歩き方シリーズ』が一般的な気はするが、『個人旅行』、『わがまま歩き』、『るるぶ』に『まっぷる』、最近は『ロンリープラネット』の和訳も出ているみたいだから、まあ選り取り見取り。大半の人は買っても一冊だろうが、中には二冊以上購入する研究熱心な方もおられるかもしれない。ともあれ、ガイドブックを読むことでまずかなりの情報が入ってくる。
そしたら次は何か。ブログ巡りか。旅行経験のある方々がその経験をつづり、時にはアドバイスまでしてくれるような親切なブログが今やネットにはゴロゴロある。
ここらで手打ちにする人もいるだろうが、人によっては大使館に赴いたり、近くに住むイタリア人を探し出して話を聞いたりする人もいるだろう。グーグルのストリートビューで、実際の景色を画面越しに見てみる人もいるかもしれない。
だがしかし、このようにして情報を集めれば集めるほどに、その人の目にはバイアスがかかっていくのである。集めた前情報が先入観を醸成し、それが感覚の基準になる。
聞いていた以上にキレイな景色だった、噂通りのおいしい店だった、話と違って混雑していた。すべてが前情報との間で相対化され、固有性・絶対性が失われる。そうするとどうだろう。いざ旅行から帰ってきて振り返ると、それは情報を集めただけうまく立ち回れ、かつ楽しめた旅行だったかもしれないが、意外性や驚異を欠いていたりする。なんとなく調べたところを確認するように回っただけのような気がしてくる。
それでも、いやいや自分は有益な経験をしたんだ、テレビでしか見られないような所に実際行ってきたんだ、と誰にともなく胸を張り、そのせいで何だか余計に惨めな気持ちになったりする。気がついたら「やっぱグローバル化が加速しているからね、都市なんてどこ行っても似たようなもんだよ」とか嘯いている。
辛いことである。
せっかく大枚をはたいて得難い経験をしに行ったのに、結果自らその芽を摘み取っていたのだから。しかし、いざ旅行となれば人間、どうしたって前情報は欲しいし、無視しろと言う方が無理だ。そして前情報に触れたら触れた分だけ自分の目にはバイアスがかかるのである。『自分の目で現地を見る』という行為は斯様にも難しい。
本書『イリエの情景 ~被災地さんぽめぐり~ 1』は、まさにその『自分の目で現地を見る』という点において非常に意識的な作品である。
題材となる土地は東北。いまだ震災のイメージが色濃くつきまとう石巻市と南三陸町である。正直、これだけで相当に難しいはずだ。なぜならその地を題材にしようとする時、東日本大震災というバイアスは避けて通れないのだから。
何も考えずに書けば無神経だし、気を遣ったら今度は他の作品と大同小異のことしか書けない。言い方が悪いかもしれないが、非常に扱いにくいのだ。
それでも敢えて東北を敢えて震災を題材に選んだ動機として、作者は茨城を訪れた際に目撃した津波の爪痕を挙げている。ここでこれなら、東北はどうなんだろう、と。
そして実際に東北の地へ赴き、帰ってきて紀行文を書こうとして、書けない。
『あまりにも衝撃が強すぎた』
作者は後書きでそう述べている。
結局、その衝撃を飲み下し文章にするため、小説という形式を選び、登場人物の『依利江』と『三ツ葉』という代弁者を立てるのだ。
この距離の取り方に、筆者は作者の被災地に対する極めて強い思い入れを感ぜずにはいられない。
どういう思い入れか。
当然、自らが現地で見てきたこと、そしてそれを契機に考えたこと、それらを可能な限りバイアスを取り払って、自分の経験として読者に伝えようという思い入れである。登場人物を、割と何にでも詳しい『三ツ葉』と無知ゆえに無自覚だけど物事を真っすぐ見ることができる『依利江』に分けたことは、その点で非常に効果を上げていると思う。
また、取材に裏打ちされた風景描写は、実際にその土地を歩いているようで、読んでいて心地よい。自分で旅するのも紀行文を読むのも好きな筆者としては、非常に楽しめた一冊であった。2巻も引き続きじっくりと味わいたいと思う。
ちなみに、筆者は震災の半年後くらいに市の催行するボランティアバスツアーなるものに参加し、石巻市へ赴いたが、もとよりこの小説の作者のように思い入れもなかったため、「ボランティア後はしっかり街を楽しんでください。そうしてお金を落とすことが被災地の助けにもなりますので」という市職員の言葉を真摯に受け取り、大いに飲みかつ食らった。当時を思い出して作者の行動と比較し、何となく恥ずかしくなった次第である。
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