兄ちゃんとわたしとネギ味噌ラーメン

東江 怜

第1話 アガリ屋のネギ味噌ラーメン

 とにかく料理は自分で作る。外食なんかもってのほかだと思っている。

 だって、自分が作った料理が一番、自分の口に合わせるように作るわけだから、最高に美味しいと思うし、やっぱりできたての料理って美味しいよね。スーパーで自分の目で吟味した素材と調味料も抜かりなし。得体の知れない産地やら大量に作られた決まった調味料じゃなくて、少しの量でいい金額がする調味料。だから、確実に絶対で最強に美味しいんだよ。わたしの料理は。なのに……


「な――の――にぃ――――!!」


 アガリ屋のネギ味噌ラーメンだけは、どうやっても家で作れない。そりゃ客層は土建業の方たちや、痛みまくった金髪のジャージのお姉ちゃん方や、金のネックレスにダボダボのスウェットを着た彼氏に連れられたフリフリ女子、それと地元のじいちゃんやばあちゃんがたまに食べに来ました、みたいな感じで、お世辞にもおしゃれなラーメン屋さんではない。だからわたしみたいに女一人、しかも女子高生で来店する人は……いない。


 でも、でもね! もっのすごく旨いの! 激ウマ!! ちょっと濃い味噌味のスープに、極太麺。たっぷりのもやしの上に唐辛子粉をまぶしてサッと炒めた白ネギがデーンと乗せてあるところはチャームポイント。もうそれだけでごはん三杯はいける! あ、もうすでにラーメンがご飯なんだけど。しかもアガリ屋はラーメン一杯に味ご飯という名の、醤油と山菜で色の付いた薄味の炊き込みご飯がついてくるのだけど、やわらかく炊いた味のうすいご飯が濃い味の味噌ラーメンにこれまた合う。ご飯が固くない分、スープと馴染んで喉越しが最高なの! わたしはこのお店の味ご飯を食べて「ご飯は飲み物だ」と思ったぐらい。


 いつもいつも味に満足してしまうのと、わたしは一人客なのでカウンターに座ってしまい、隣のおっさんが咳払いしながら漫画を読んでたりするところで食べているので、落ち着いて味の分析や研究が出来ていない。だから、家でアガリ屋のネギ味噌ラーメンを再現できないんだわ。


 だから今日はどうにかその味をわたしの……モノにしたい!


「ということで、付き合ってほしいの」

「はぁ?」

 青年マガズンを読んでいた兄ちゃんに、わたしはたぶん三千回めぐらいの『一生のお願い』をする。


「やだよ、妹とメシ食いに行くなんて恥ずかしいわ」

「そ、そこをなんとか!! わ、わたしが今回はおごるし!!」

「餃子と生ビールも、な?」

「うう、え……い、いいわよ……今回だけね」



 ……よし、ついに来た。決戦の地に。

 わたしは国道沿いにあるアガリ屋の前に立っている。今日こそは一人じゃないから、ボックス席に座って落ち着いてラーメンの味に専念できるはず。隣に咳払いおじさんもいないし、安心である。


 土曜の昼前十一時。十二時近くなるとものすごく混んでしまい、席に座るのですら待ってしまうので、コツとしては早めに来るのが一番である。だが……昼前なのにボックス席と座敷の席は満杯。カウンターですら空席が一つという混みようだった。


「ゴールデンウィークだから混むなぁ。県外ナンバーも相当多いぜ」

 金髪をなびかせて兄ちゃんはわたしのあとからやってきた。家からアガリ屋までは近くて、徒歩五分。兄ちゃんは仕事中ですら立ち仕事なのに、なんで歩くのが遅いんだろう。ひょっとして飲んできたのかな? と左手を見ると、引っさげている缶に『Budweicer』って書いてある。そのわたしの視線に兄ちゃんは気づいたのか、悪びれもなく言う。

「休みの醍醐味つったら、昼間っからの酒だろうが」

 こんの飲んべぇ兄貴め!! 目を離したらすぐに飲みやがる!!


そんな感じでいつもの軽い喧嘩をやっているうちに、わたしたちの席が空いたようで、ボックス席に通される。ひさしぶりに座るボックス席だけど、悪くはない。そして、わたしはメニュー表を見なくても注文が出来る。というか、注文するものが決まっているから、見る必要がないだけなんだけどね。


「ネギ味噌ラーメンふたつと、餃子一枚」

「それと生中一つね」

 くそ、知らん振りして生ビールを注文しない予定だったのに、兄ちゃんは抜かりなく店員さんに生ビールを注文する。そしてわたしを見てドヤ顔をする。なのですぐに運ばれてきたビールを気持ちよさそうに飲む兄ちゃんに、わたしは呪詛の言葉を投げる。そんなわたしのジトッとした目を、いつも軽く兄ちゃんはかわすのだ。まあいい、このおごりをネタにして、また兄ちゃんを半年はこき使う予定なんだから! 覚えておけよ?


 そんな兄ちゃんは最近やっと彼女が出来たらしくて、恥ずかしげもなくうちの家族全員に彼女を紹介していた。その彼女はなんとわたしより年下の高校一年生で、でもしっかりしていて……なにより可愛かった。今まではずっと家族のために仕事して、たまにいかがわしいお店になんか行ってたらしいけど、それも仕事の接待だったから結局は家族のためだった。


 ……あれ? なんか鼻が急にズビズビしてきた。そんなわたしを、兄ちゃんはぽかんとした顔をして見る。


「おまたせしました! 餃子一枚ね」

 絶妙なタイミングで店員さんが頼んだ餃子を持ってきた。わたしはラーメンが来ないと餃子も食べないけど、兄ちゃんは生ビールのおつまみに食べるから、わたしは無言で餃子のタレを作る。餃子のお皿の三日月型になったところに、酢がちょっと多め、醤油とアガリ屋特製の練唐辛子を入れて混ぜる。ラー油もあるけど、ここはあえて練唐辛子なのが、御影家流である。練唐辛子とは、ちょっと荒目の唐辛子にゴマ油を入れ、熱したアガリ屋自家製ラー油を作ったあまりのものである。味のイメージで言うなら、さっぱりとしたラー油の味噌みたいな感じ。しょっぱくなくて辛いだけなんだけどね。

 わたしと兄ちゃんは必ず家族でアガリ屋に来るときには、一枚の餃子を半分に分けて食べる。それは小さなときから変わっていない。……だから、今日も普通に餃子一枚を兄ちゃんと分ける。


「兄ちゃん、先に食べてよ」

 あれ、思ったよりもわたしは詰まった声になっていた。その声を聞いた兄ちゃんは口を開いてなにか言いかけたが、再びのちょうどいいタイミングで、本命のネギ味噌ラーメンがやってきた。


「さ! 食べるよ!」

 テーブルに備え付けのティッシュでわたしは思いっきり鼻をかみ、ついでに微妙に濡れていたまぶたも拭ってラーメンに対して気合を入れ直す。今日の本来の目的は、このネギ味噌ラーメンの味の秘密を探るのだ。それを忘れてはいけない。さっき餃子のタレを作ったときに使用した割り箸をそのままわたしはラーメンに突っ込み、ネギの牙城を崩し全体的にラーメンスープが行き渡るように丁寧に混ぜる。これは美味しくネギ味噌ラーメンを食べるときの儀式である。その混ぜをしばらく真剣にやっていたら、よだれがじゅるっと出てきた。


 早く、食べたい。


 運命の一口目、麺をズズッと吸い込んだあたりで、味ご飯が来るのもお約束で、そのままわたしと兄ちゃんは無言でラーメンを堪能した。餃子の食べるタイミングが一緒で、兄ちゃんがビールを飲まなかったときは交互に餃子を食べていたけど、今日、兄ちゃんはビールを頼んだのに、わたしと餃子を食べるタイミングが一緒だった。


 ちょっと小さな頃を思い出して、わたしは少しだけ、ほんっの少しだけだけど、嬉しかった。


「あぁ~、ごっそさん!」

 一足先に食べ終わるのも、いつものわたしと兄ちゃんだった。

「うふふ、兄ちゃんさぁ、ビール飲んでるのになんでいつも食べるの、早いの?」

「さあな、身体がでけーし、今日はアガリ屋って気分だったからな」

 わたしは知っている。昨日も兄ちゃんの同級生の男子とアガリ屋でネギ味噌ラーメンを食べたことを。

「今日は、じゃなくて今日も、でしょ?」

「うん、まあ和哉とだからなぁ。めんどくせぇからいつもここだ」

 和哉さんっていうのは、兄ちゃんの同級生。仕事上あれこれ一緒になることが多いらしくて、仲良くしているみたい。


 そんな会話を兄ちゃんとしながら、わたしはラーメンを完食した。……うん、今日も美味しかった。また来月、お小遣いでここに来よう。たまらん。そう思って、箸をラーメンのどんぶりの縁に置いたとき、わたしは重大な事実に気がついてしまった。


「うわ――――!! 味を分析するの、すっかり忘れてた!!」

 お店にまだ人がたくさんいたので、わたしは叫びそうになったけど、まだ普通の会話ぐらいのボリュームで兄ちゃんにだけ、今回のミッション、ラーメンの秘密を調べることを失敗したのを伝える。

「なんだよそのミッションって」

「だってさ、兄ちゃんはしょっちゅうアガリ屋に来てるけど、家でも食べられるようになれば、いつも家に帰ってくるじゃん……」


 ……そうか、わたしがなんでアガリ屋のネギ味噌ラーメンの味の秘密を知りたがっていたのか、本当の理由を今ぽろっと言ってしまった。でもここまでラーメンに固執していたのは、ネギ味噌ラーメンが旨いというだけじゃなかったということを、わたし自身が今気づいたからしょうがないよ。

「な、なんだよ。俺がしょっちゅうここに来てるのにヤキモチを焼いていたのかよ」


 そして兄ちゃんはしょうがねぇな、と言って伝票を持って席を立つ。

「俺がおごってやるよ、仕方がねぇ、楓のためだ」

 またまた出てきた、目からの液体。お、おかしいなぁ、そんなに感動するほど、今日のネギ味噌ラーメン、美味しかったっけ。わたしは結局、今日のネギ味噌ラーメンの味をすっかり覚えていなかった。


 アガリ屋を出て、兄ちゃんと二人で歩く。帰り道でコンビニがあったので、兄ちゃんは「寄ろうぜ」と言った。そしてわたしにジャージィ牛乳ソフトクリームを買ってくれた。これ、230円もする高いアイスなのに。

「おまえさ、いつもラーメンのあとにアイス! アイス! って騒ぐだろ? だからよ、今日ぐれーは俺様がおごってやるよ。で、なにが言いてぇんだ、楓」


 そうか、兄ちゃんの前で泣いたのなんて、小学校以来だったからこんなに優しくしてくれるんだ。だったら、わたしも素直に今の気持ちを兄ちゃんに話そう。

「あのね、兄ちゃんが彼女を連れてきたとき、わたし、ちょっと悲しかったんだよね。あ、もちろん嬉しいって気持ちは大きかったけど、ほんのちょっとだけね」


 そうなのだ。なんだか兄ちゃんを彼女に取られた気がして、わたしは悲しかったんだ。それで兄ちゃんに少しでも近づきたくて、なけなしのお小遣いを全額、アガリ屋につぎ込んでいたのだ。

「そんでさ、兄ちゃんが彼女とすぐにけ、結婚とかしちゃってさ、わたしの前からいなくなっちゃうかと思って不安になってたんだと思う」


 ソフトクリームの甘さがわたしを素直にさせてくれた、そう思おう。だってこんなことを兄ちゃんに話すなんて恥ずかしいもん。


「ばーか。そんなすぐ結婚するかよ。でもまあ……たまにまた二人でアガリ屋のネギ味噌ラーメン、食いにこようぜ」

 わたしはその兄ちゃんの言葉に「うん」とだけ頷いた。そんな兄ちゃんを見るとやっぱり『Budweicer』をあおっていた。時計を見るとちょうど十二時。どんだけ昼間から酒、飲んでんだよ!!


「あほ兄ちゃん。そんなに酒飲んでたら彼女に嫌われるよ!」

「う、うるせぇな。恵奈の前じゃ飲まねぇし、いいだろよ」

「ふふーん、今度うちに恵奈さん来たら、わたしがチクるからね。だからお酒はほどほどにしなよ」

 チッ、と兄ちゃんは舌打ちしたけど、お互いまんざらじゃない顔をしながら家へと向かった。



 また、兄ちゃんとアガリ屋に来よう。

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