シュガーとソルトの卵焼き論

石動なつめ

シュガーとソルトの卵焼き論


「甘い卵焼きは邪道だと思うんだ」


 唐突に、幼馴染の明彦君がそんな事を言い出した。


「なぜ」


 私は向かいに座って無表情で卵焼きを食べている彼にそう尋ねる。

 明彦君は真面目な顔で私を見ると、


「邪道だと思うんだ」


 と繰り返した。理由を話せ。

 そう思いながら、私もまた卵焼きを食べた。

 塩辛かった。


                  ***


 皆さんは卵焼きという料理を食べた事があるだろうか。

 おそらく「ない」という人の方が少ないと思うのだが、卵焼きとは卵を割って、かき混ぜて、焼くという工程で出来上がる、言葉だけ聞くと簡単な料理である。

 だがその焼き加減や、巻き方は大変難しく「卵焼き作っちゃおっかな!」などと軽い気持ちで取り掛かると数十分後に挫折を味わう料理である。

 私の場合は最終的にスクランブルエッグになった。むしろ収拾がつかなかったのでした、、

 そんな話を幼馴染の明彦君にしたら、


「それなら僕が作ってやろうか?」


 などと自信満々に言ってのけた。

 その時のイヤミったらしい表情ったらない。思い出すだけでもちょっと腹が立つ。

 卵焼きくらい作れないの、という副音声が聞こえてくるかのような顔だった。

 思い出しても腹が立って来たが、そういう感じである。

 なので私は、


「あら、ぜひとも」


 などと、こちらも「作れるもんなら作ってみなさいよ」というニュアンスを込めて言った。

 しっかり伝わったようで、明彦君は顔をひきつらせながら笑顔で請け負ってくれた。

 そうして出来上がったのが目の前の「これ」だ。

 何故かやたらと塩辛い卵焼きである。

 私は甘い卵焼きが一番好きなのだが、それ以外の味も食べられない事はない。

 なのでこの塩辛い卵焼きも食べられる。

 だがこれが美味しいかと言われると、微妙なところだ。

 とにかく塩辛い。食べているとだんだん苦行になって来る。だがしかし、残すと言う選択肢はもったいない。食材と料理を作ってくれた人に対して失礼だ。

 なので私はこの卵焼きを食べきる義務がある。

 だがしかし、緑茶だけではどうにも辛いので、私は甘いものを用意する事にした。


「ホットミルクをいれてきますが、いかがですか?」


 思わず丁寧な口調になってしまった。

 明彦君は私を見上げ、ゆっくりと頷いた。なぜそんなに重大な決断をするような雰囲気で頷く。


「角砂糖を、三つ」


 そんな洒落たものはうちにはない。

 あるのは普通の砂糖と塩だけだ。私はシュガーと書かれた入れ物に手を伸ばす。

 とりあえず明彦君のミルクにはスプーン三杯分を入れてレンジでチンする事にした。

 ミルク自体が甘いので、私は砂糖を入れるのはやめておいた。


                 ***


 甘いホットミルクを飲みながら、私と明彦君は目の前の卵焼きを見ていた。


「甘い卵焼きは邪道だと思うんだ」


 そして明彦君は再びそう言った。

 その発言は三度目である。そろそろ新しい言葉を発現に含めて頂きたい。


「邪道とは?」

「邪な道と書いて邪道と読む」


 誰もそんな事は聞いていない。

 だが明彦君は至極真面目にそう答えてくれた。

 確か彼は頭が良かったはずだ。学校の成績でも上から数えた方が早いくらいだ。

 しかし今の彼からはそんな頭の良さは微塵も感じられない。

 壊れかけのサウンドプレイヤーのように、同じ言葉をリピートしている。

 もしかしたら聞き方が悪かったのかもしれない。なので私は頭を捻って、何とか上手い聞き方を考えた。


「僭越ながら、なぜ甘い卵焼きが邪な道に入っているのか教えて頂けると幸いです」


 思わずビジネスメールのような口調になってしまった。

 明彦君は「良かろう」と頷いた。

 なぜ彼はこうも偉そうなのか教えて頂きたい。


「卵焼きを甘くするという事は、そこに砂糖が入るという事と同意語だ」

「それはまぁ、そうだね」


 他にも何か方法があるかもしれないが、私が知っている甘い卵焼きの作り方は砂糖を入れる事である。

 なのでそこには同意しておく。


「つまり、砂糖だ。シュガーだ」

「何で英語?」


 もしかして彼は頭の良さをアピールしたつもりなのだろうか。

 逆に残念になってしまっている事実をつきつけようか迷っていると、明彦君は続ける。


「シュガーの摂り過ぎは体に悪い」


 それゆえに邪道だと明彦君は言った。当たり前の事を極めて真面目な顔で。

 彼はきっと馬鹿なのだろうと私は思った。


「……明彦君、ちなみにそのホットミルクに入っているものは?」

「砂糖だ」


 なぜ呼び方を砂糖に戻した。

 明彦君はマグカップを持ち上げると、す、と優雅な動作でホットミルクを飲んだ。

 それなりに顔が良いので絵になるのがムカつ……多少、腹が立つ。


「砂糖、つまりシュガーの摂り過ぎは体に悪いのでは?」

「一体感の違いによる」


 一体感とはこれいかに。

 どうやら明彦君曰く、砂糖が入っていても認められるものと、認められないものには「一体感」という違いがあるらしい。 

 解せぬ。


「分からないか?」

「分からないので説明を求めたいですが」

「つまり、こうだ。このミルクティーを飲んでみるといい。初めからそこに砂糖という存在と一つだったかのようにさえ錯覚するまろやかな甘みがあるだろう?」


 あなたのホットミルクそれにはスプーン大盛り三杯ほどの砂糖が入っているわけですが、そこは何とお考えなのか。

 一体感どころか、明らかに砂糖が存在を主張するかのように、マグカップの底に残ると思う。

 だが明彦君には気にならないようだ。


「このザリザリとした底の砂糖……名残雪のような切なさを感じるじゃないか」


 明彦君が言っている事が高度過ぎて、だんだん理解が追いつかなくなっている。

 だが、まぁ、良い。そこは良い。

 そこは個人の感性の違いだ。あと私が砂糖を入れ過ぎたせいでもあるだろう。そこは後で謝ろう。

 それよりも先に、砂糖の一体感の違いのついて聞かなければ。


「では卵焼きにはその一体感がないと」

「ああ、そうだ。この卵焼きを食べてみてくれ。そして想像するんだ、これがシュガーだったら、と」


 ……ん?

 何か引っかかりを感じるが、とりあえず今は明彦君の言うように、これが砂糖だったら、と思い浮かべてみよう。

 とりあえず一口。

 塩辛い卵焼きを口の中に放り込み、その辛さを甘味に脳内に変換する。

 たぶん、極甘くらいだろうか?


「甘いよね」

「だろう?」


 食べているこれは塩辛いが、確かにこれが甘い卵焼きだったら、と想像するとちょっと甘過ぎだ。

 出来れば私はもっと控えめなくらいの甘さが良い。


「でも、まぁ、一体感は感じるけど」

「嘆かわしい、それでもお前は僕の幼馴染か」


 率直な感想を言っただけなのに嘆かれた。解せぬ。


「それでも私はあなたの幼馴染だけども」

「あなた……」


 なぜか明彦君がちょっと照れたよに目を逸らした。

 何だろうか、この反応は。やはりホットミルクに砂糖三杯は入れ過ぎだっただろうか。

 そんな事を考えながら、私が明彦君をじっと見ていると、彼は少し慌てたように首を振った。


「ま、まぁ、そこは良い。良いとして……その甘い卵焼きにシュガーが固形で入っていたらどう思う?」

「しんどい」

「だろう? つまりはそういう事だ!」


 そういう事だと言われも。

 卵焼きに固形で残るくらい砂糖を入れるのは相当の事だし、そもそもこの塩辛い卵焼きには固形の塩なんて残っていない。

 どう反応をしたら良いのか悩んでいると、明彦君は頷きながら卵焼きを頬張る。


「卵焼きにはソルト、これが宿命なのだよ」

「え、これ、そんなに重大な事なの?」

「重大でなければ何だと言うんだ?」

「いや、私は甘い卵焼きが好きなので、砂糖の方が嬉しいなって」

「それは知っている」


 明彦君は当たり前のように頷いた。

 あれ、そうだったっけ?

 私が首を傾げていると、明彦君は懐かしそうに目を細める。


「小学校の時の遠足で、甘い卵焼きをお裾分けしてくれただろう?」

「あー、レンゲ畑に行った時の?」

「ああ。レンゲの蜜より甘いから美味しいよ、と言っていたじゃないか」


 言われてみれば、言った気がする。

 レンゲの花って、花弁を抜いて吸うと、ほんのりと甘いんだよね。


「あの時、レンゲの蜜が甘いって教えてくれたの、明彦君だったよねぇ」

「ああ。そう教えたら、すぐにレンゲに飛びついたんだったな。その頃から甘い卵焼きが好きだっただろう?」

「良く覚えてるねぇ」

「まぁ、そりゃあ……」


 言われるまでおぼろげだった私と比べて、明彦君はしっかりと覚えているようだ。

 素直に褒めたら、明彦君が何やらごにょごにょと小さな声で呟いている。

 よく聞こえないので分からないが、たぶん喜んでいるのだろう。


「でも、それなら何で甘い卵焼きは邪道だって言うの?」

「え? あ、ああ、それは……だな」


 私が甘い卵焼きが好きだって知っているのに、この仕打ち。ちょっとひどくはなかろうか。

 明彦君とは幼馴染で、小さな頃からよく一緒に遊んだし、喧嘩もしたけど、嫌われているとは思わなかった。

 ちょっとショックだ。

 そんな事を思っったら、何だかしょんぼりとした気持ちになって来た。


「明彦君、何か、ごめんね。いつも、付き合わせちゃって……」

「え?」

「卵焼きは私が責任もって食べるから大丈夫だよ。明彦君が嫌だって思ってるのに、気付かなくてごめん」


 謝っていたら無性に悲しくなってきた。

 涙はしょっぱいと言うけれど、この卵焼きくらい塩辛いのだろうか。

 だが今は泣くまいと堪えていると、明彦君がぎょっとした様子で首を横に振った。


「違う違う! 僕は最初から甘い卵焼きを作ろうと思ったんだ!」

「え? 邪道なのに?」

「それは……気を遣ったっていうか……作った手前引けなかったっていうか……」


 明彦君はしばらく唸った後に、ジト目になって私を見た。

 そして言い辛そうに口を開いた。


「……お前の家の台所、砂糖と塩の入れ物が逆だったぞ」

「えっ」

「だからシュガーとソルトと言って、さり気なく教えただろう」


 言いながら、明彦君は空になったマグカップを指差した。

 …………つまり私は、ホットミルクに三杯分の塩を入れて、明彦君に出していたという事だ。

 それはつまり、大変塩辛いという事で。

 私は顔がサーッと青ざめるという感覚を初めて知った。血の気が引くというか、頭のてっぺんから降りるようなものに近い。

 私は大慌てで明彦君に謝る。


「ご、ごごごごごめん、すぐに入れ直す!」

「いや、いい。さすがにお腹いっぱいだ。それより……」


 明彦君は首を横に振ると、少しだけ視線を彷徨わせる。

 そしてほんの僅かに顔を赤くしながら、


「…………甘い卵焼きを持って、レンゲ畑に遊びに行かないか?」


 と言って目を逸らした。


「甘いので良いの?」

「ああ。それで、出来れば――――作ってくれると、嬉しい、のだけど」


 明彦君はちらちらと私を見て言った。先ほどよりも顔が赤い気がする。

 何だか私もつられて顔が熱くなってくる。

 気恥ずかしくなって思わず頷くと明彦君は、小学生の頃にレンゲ畑で見せてくれたのと同じ、嬉しそうな笑顔になった。

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