終編:エニシ
――俺たちは、どちらともなく抱きしめ合った。
それはこれまでの空白を埋めるかのように。
それは強く、互いを壊してしまうかのように、強く。
ジャージ越しにではあるが、エニシの温もりを感じる。それは俺の冷え切った身体だけではなく、心さえも淡く、溶かしていった。次第に力のこもっていた手が、俺の意志に関係なく震え始める。
あぁ、これは少し情けないな――
「――もう、大丈夫だぞ。ユウよ……儂は、ここにいるぞ」
「……あぁっ!」
エニシは、優しく俺の背中を叩いた。
まるで、赤ん坊をあやすかのように。でも、それは比喩でも何でもない。
自然と涙があふれ出していた。呼吸が乱れて、手は震えて、彼女に答えた声も揺れていた。それはもう、最愛の母に再会した子供の姿に相違ないだろう。悩んで、走って、ここまでやってきた。
それが、報われた。
これ以上の幸福など、あってよいのだろうか――
「――ずっと、お主の傍にいる。儂は意外と強欲でな? 絶対に、もう離さぬぞ」
――あっても、いいのかもしれない。
ぐっと、互いに腕の力を強める。互いの存在を確かめ合う。
そう、きっと。これはもう、二度と失われることのない、たしかな絆。俺たちが迷って、間違えて、そして失敗して、それでもやっと手に入れたモノなのだから。
こうして俺と、そしてエニシは、ここに再会を果たした――
◆◇◆
「な、なぁ……エニシ? その格好、寒くないのか?」
「む? どうしたのだ、藪から棒に」
俺とエニシは、あの大きな切り株の上に腰を下ろしていた。
俺たちにとって、この神社の中で最も落ち着く場所はここだったのである。空を見上げれば、もうじき訪れるであろう夜に向けて、ぽっかりと開いた天然の窓が色を変えていた。そして、ここに在った大樹も、今となっては優しく俺たちを見守ってくれている。そんな気がした。
「いや、さ……」
だけども、それではやはり身体的に問題があるというか、何というか――とにかく! エニシの格好は、彼氏の俺にとっては見ていられないモノだった。体調崩したりしたら、駄目だからな!
だから――
「あっ……」
――俺は彼女の手を取って、身を寄せた。
エニシは小さく声を漏らし、ほんの一瞬だけ驚きに身を固めるが、すぐに和らいで身を任せてくる。小さな少女の身体の軽い感触が、伝わってくる。思わず先ほどのように抱きしめてしまいたくなった。
だが、その衝動は必死にこらえる。それをやってしまうと、理性が保てなくなってしまいそうだった。それほどまでに、今、静かに目を閉じて俺の胸に顔を埋めるエニシは愛おしい。でも、だからこそ守らなければならない一線、というモノがあった。
と、俺はそう思っていたのだが――
「――……いくじなし」
「えっ……」
エニシが、ぼそりとそう言った。
俺は、ビックリしてエニシを見る。すると彼女はぷくーっと頬を膨らして、俺をジト目で見つめていた。そしてポカポカと、軽く俺の胸を叩いてくる。
そんな姿もまた可愛らしく思えるのであるが、どうやら俺は彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。それだけは確かだったので、思わず条件反射で――
「――ご、ごめんって。何でもするから、許して……」
そう言ってしまった。
すると、エニシは――キラリ、と。目を輝かせた。
「ほほぅ? 今、『何でもするから』と言ったな……?」
「あっ……!」
そこに至って、俺はハメられたと気付く。
だが、もう今さら発言を撤回しようとしたところで遅かった。俺が声を上げた時にはもう、エニシは俺から離れて、何かを思案している様子。ニヤニヤとしてこちらを見ていた。
これは、もしかしなくても不味い。
エニシの表情を見れば、そこにあるのは意地の悪い笑み――と、思っていたのだが。
「そ、そうだなぁ……」
何やら、空気が変わった。
彼女のニヤケ顔はだんだんと変化していく。頬が少し赤くなり、視線は中空を彷徨っていた。無理にいつも通りの笑みを浮かべようとしているのか、どうなのか。そのどちらかは分からないが、少女の口角はほんの少し引きつっているように思えた。
それを総括して言うと、エニシは――照れている。そう思われた。
俺はポカンとしてしまう。
そんな俺に向かって、意を決したようにエニシは何かをこちらに差し出し――
「――じゃ、じゃあ! これを、受け取ってくれっ!!」
そう言った。
お辞儀をしながら、両手で丁寧に差し出されたのは、綺麗に包装された四角い箱。赤色に黄色のリボンが施されたそれは、受け取ると中で何かがコロコロと音をたてた。
正直なところ、俺は最初、それが何なのかはっきり分からないでいた。
けれども、それを理解した瞬間――
「――――っ!」
頭が沸騰しそうになった。
そうだ。これは、はっきり言わずともバレンタインチョコというやつだ。
しかも見たところ市販の既製品ではない。ラッピングだって、よく見ればところどころがズレている。これは普段、手馴れてない人がやったという動かぬ証拠だった。
その手慣れてない人、というのはつまり――エニシだ。
俺は箱に釘付けだった視線を、彼女へと向ける。
するとその少女は、きゅーっと小さくなり、ジャージの裾を両手で掴んでうつむいていた。長い黒髪が前に垂れて、顔はよく見えない。だけど、耳が真っ赤だった。寒さのせいか、羞恥心のせいか――おそらくは後者であろうと、そう思われた。
「エニシ……その、ありがとう」
「ひゃ、ひゃいっ!」
俺が礼を口にすると、彼女は可愛らしい悲鳴で答える。
その滑稽さに思わず吹き出しそうになるが、どうにかこらえた。そうしながら、俺は手渡された箱を開封していく。そうしていくと、エニシがチラチラとこちらを見ているのが分かった。
なので一度、あえて少女へと視線をやると――
「――――――っ!?」
やはりというか、何というか。
彼女は思い切り肩をビクつかせて、先ほどと同じ姿勢に戻った。しかし、今度は頭から湯気が出ているような、そんな気がするほどの赤面だった。
俺はもう少し、そんな可愛いエニシを堪能したい欲に駆られるが、今はやめておこうと思う。それよりも優先すべきは、手元にある。
一つそっと深呼吸をしてから箱を開けた。
すると中にあったのは、どれも一つひとつ形の違う、言ってしまえばいびつなチョコレート。それでもがんばって作られたのだろう、どれも俺には美味しそうに見えた。
「それじゃ……いただきます――」
――一度、俺はエニシにそう声をかけてから一つ、チョコを口にいれる。
その様子を、彼女は固唾を呑んで見守っていた。どこか不安げに、されどもどこか期待するように。やや前のめりに、上目づかいでこちらを見つめるその姿は、反則級の可愛さだ。
さて。そうして、二つ目を食そうとした――その時だった。
「な、なぁ……ユウ? その……それ、おいしい、か?」
エニシが、おずおずとした仕草で口元を隠しながら、そう尋ねてきたのは。
俺は静かに、ややぶっきら棒に、こう返答した。
「それなら、自分で確かめてみればいいじゃないか」
「えっ? ――で、でもそれはお主の……」
するとエニシは、悲しげに言ってうつむいてしまう。
彼女が言いたいのはつまり、これはもう俺のモノだから、ということだろう。だから、俺以外にその味を評価できるものはいない、と。
でも、俺はその方法を思いついていた。
だから――
「――……じゃあ、確かめさせてやるよ」
俺はそう言って、エニシのことを抱き寄せた。
そして――
「な、ユウ……んっ!」
――もう、限界だった。
こんなに可愛らしい彼女を目の前に、あんな表情をされたら、理性なんてどこかへ行ってしまう。でも、俺にはもうそれでいいと、そう思えた。
俺が、エニシから貰ったチョコレート。
それは、とても
◆◇◆
――それから、どれだけの時間が経っただろう。
俺とエニシはあの後、ただ手を繋いで色の変わりゆく空を眺めていた。
冬の夜は早い。もうじきに、星々のきらめく時間に変わっていくだろう。ただそれを待つ。本当にただそれだけなのに、この上なく心地良い。
そうしていると不意に、エニシがこう口を開いた。
「あの二人も、今頃こうしているのだろうか」――と。
それはきっと、先ほど縁を結んだあの男女の話をしているのだろう。
「どう、だろうな。ただ――」
俺は繋いだ手に少しだけ力をこめて言った。
「――幸せに、なってくれるといいな」
「あぁ……」
こつん、と。
俺の肩に頭を乗せて、静かに笑った。
そんな彼女の充実感に満ちた表情に、俺は誇らしくなる。俺の彼女は、大きなことを成し遂げたのだから。それを手伝えただけで、俺も嬉しいのだ。
そして、そんな気持ちを胸にもう一度、空を見上げた時だった。
「あ、雪……」
声を発したのはエニシ。
ひらり、と。
俺たちの前に、純白の羽が舞い落ちる。
今年はもう何度も見たそれではあったが、今ばかりは特別なモノに感じられた。そして、それを見て思う。俺とエニシの縁を結ぶのに、関わった友人たち――アンジェリカと、雄山のことを。
俺はあの日、雄山にアンジェリカの連絡先を教えた。
だがしかし、いざとなったら弱気になったのか、まだ連絡を取ることは出来ていないらしい。
アンジェリカからさえ、『いつかかってくるデス?』などと、呆れたような催促の電話があったりもした。それでも、今日は覚悟を決めていたようなので、もしかしたら――今頃は二人で会話を楽しんでいるのかも、しれない。
そして、そんな彼らにも――この雪は見えているのだろうか。
アンジェリカはドイツだから分からないけど、あっちの冬は寒いから、あり得ない話ではないだろう。そうであれば、どんなに良いだろうか。そう俺は思った。
そして今、心から思う。
――すべての人々に、素晴らしき縁を、と。
――すべての人々に、幸多からんことを、と。
そう思えるようになったのはきっと、この隣に座る少女との『縁』のおかげかもしれない。彼女と出会うことが出来なければ、俺はきっと今でも弱いままの俺だった。
だから、大切にしよう。
彼女――エニシを。
すべての――『縁』を。
「さて――帰るとしますか!」
「うむっ!」
俺はそう言って立ち上がった。
エニシもゆっくりとうなずいて、俺の差し出した手を取った。
さぁ、帰ろう。我が家へ――
――……愛しき(廃)神様を連れて。
愛しき我が家の(廃)神様! ~バレンタイン特別編~ あざね @sennami0406
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