第4話

ゆゆりに外出禁止令が言い渡されたのは言うまでもない。元気溌剌、見るもの全てに好奇心を向けるゆゆり(八歳!)にとって室内生活は苦痛以外のなんでもない。

出歩けない、遊べない、デートできない(!?)事がどれだけゆゆりに不満を与えるかは想像に容易いが、麝香は慈悲を見せ室内から出すつもりはない。学校や家庭教師には累の方から連絡がいっている、しばらくゆゆりは軟禁生活確定だ。


「おなかすいたです」

「うるせぇ勝手に食え」


 不機嫌なのは麝香も同じ。叱られたゆゆりはしょんぼりと冷蔵庫や棚を漁ってみるが、食材となるものやインスタント食品、缶詰や残り物もどこにも見当たらない。喉が乾いても甘い果汁飲料もない。


「シャコいつもなに食べてるのですか?」

「外食」


 簡易なベッド、真新しいソファー、使われないキッチン、掃除がされていなくて少し埃っぽい家。片付けが嫌いな男の部屋が奇跡的に広々としたスペースを維持しているのは、家主が此処で生活していないからだ。

 つまるところ、梳理茅萱の屋敷は広い。なのでそちらに寝泊まりしていた方がメイドや使用人が何でもしてくれるので楽なのだ。麝香は外食しかしない、しない日は作ってもらう、そうして贅沢に怠慢に暮らしている。

 ので、自宅に引き籠るのはゆゆりと同じくほぼ初めてだ、自分で料理を作ることも知らないし買いに行く気分にもならない。不貞腐れて寝る。ゆゆりも床で寝た。お昼寝が始まる。



 日が暮れると街にはぽつぽつと光が灯り始める。白昼の喧騒から静かながらも音を奏でる夜の世界が始まる。家族連れの多い飲食店からは人が絶え間なく出入りし、通りを見渡せば若者が煩く騒ぎ出し、仕事人がちらほら怠そうに鞄を抱えている。

 一般的に賑わう平凡な区域の先、少し高級感のあるドレスを身にまとう中年の女性が集まると、身の丈に合った外観の料理店へ消えていく。更に進めば歩く者の出で立ちも更に変化してくる。

 『止まり木』という名のBARがあるのはそんな草臥れた夜の先だった。

 飛ぶのに疲れた鳥たちが安らげる場所を、という意味でオーナーの考えた名前。コンセプトも落ち着いた、心に余裕を持てる場所を目安に作られている。店内は暖かな木造で、揺れる光は心を落ち着けてくれる橙色。カウンターは広々としており、客の前にはバーテンダー、その向こうには色鮮やかな酒の瓶が棚に並べられている。ステンドグラスのように美しい酒瓶を見ているそれだけでも楽しい。

 こじんまりとした広さだが、内装も働く従業員もまた洗練されている、そんなBARだった。

 客の好みに合わせ酒を出すバーテンダーは一日の疲れを吐き出す口の相手をする。バーテンダーの一人であるこの青年も、赤い髪の人物の話し相手を努めていた。


「今日は一段とお疲れみたいですね」

「逆だよ、寝すぎて頭痛いんだよ」

「大丈夫ですか?」


 バーテンダーの青年は心配そうに覗き込む。黒ずんだ茶髪の癖毛、髪型は襟足だけが長く首から流されている。持ち前の穏やかな表情は敵を作らず、誰からも慕われる優しさを垣間見せる。バイトの学生であるにも関わらず、一連の動きに礼節と品を兼ね備えている、まるで何処かの教養を受けているかのようだった。

 バーテンダーの青年は相手の好きな甘いカクテルを渡す、毒や不満を吐き出させ易いよう会話を受ける姿勢を続ける。


「あーもう……帰りたくねぇ」

「珍しいですね、そこまで駄々をこねるなんて」

「聞くか?」


 粗雑そうな外見に似合わず赤い髪の人物は甘いカクテルを好む、一口煽ると会話が繋がっていく。


「クソガキを預からなきゃならなくなった、しかも命を狙われている」

「それは、また……」

「幼女だよ幼女、くそうるせぇしデートだデートだと騒ぎやがって」


 幼女を預かりデートをしている男……、バーテンダーの青年は危なっかしいなと思いつつもまずは話の腰を折らぬよう務める。


「どっかに捨てらんねぇ?」

「駄目ですよ、それだと警察のお世話にならなければならなくなります。もうこうやって話すことも出来なくなりますよ」

「なんとかしてくれんだろ……」

「あまり家に迷惑を掛けてはいけません」

「やる事やってる分見返りくれたっていいだろ……、毎回頭痛がするってのに」


 赤い髪の人物は息継ぎのようにカクテルを呷る。


「はーあ……帰ってもくっだらねーし、ここで寝てく」

「お客様、それは」

「嘘だよ嘘。なぁ、あれやっていい?」


 グラスから離れた指の先とバーテンダーの青年の目が辿り着いたのは同じ円型の的だった。止まり木はダーツバーなのでダーツセットが完備してある。


「ルールとか今はなし、一本のみ投げる、ブルを取った方が勝ち。俺が負けたらもう一杯頼むわ」

「その言い草からして、誰かと勝負をお望みですか?」


 赤い髪の人物はにやりと笑って答える。


「もちろん、草糸とに決まってんだろ――?」



 朱墨草糸しゅずみそうしは梳理麝香の親友だ。麝香は親友がバイトしているから止まり木に飲みに来る。バーテンダーではなくダーツの相手となった朱墨は先に麝香に投げさせる。

 麝香はクローズドスタンスを取り、肘を曲げ、赤い目の中にしっかり的を映し狙う。酔いもまだ回っていない、真剣勝負だ。一呼吸ついてからダーツを摘む腕が振られる、幾度か投げたダーツもまた、幾度目かのように刺さる。


「ちっ」

「いい線いったな、だが」


 朱墨が投げる。スタンダートスタンスからのスロー、完璧な肘の動きが華麗な軌跡を描き、ごく自然にダーツがブルに刺さる。思わずBARの客が拍手を鳴らす。

 見物客が証明となり、それ故に言い訳も出来ない麝香は完全に負けを認めた。


「お前ほんっと射撃の腕いいよな」

「ダーツの話ならね」


 朱墨は笑顔を整える。


「やるならルールに則って競うべきだった、そうすればスコアに運が絡まる」

「俺が運悪いの知ってて言うか」

「幼女を狙撃から守らなきゃならないっていう、既に不幸の真っ只中な奴が何を言う」

「あーそうだった、嫌な事思い出した、責任取れ」

「では私がこの店で一番美味しいカクテルをご用意致しましょう、貴方の敗北の一杯に」


 キザったらしく朱墨はバーテンダーの顔に戻った。麝香は飲み、やがて寝た。



 酒に弱くない親友が眠ったのは疲れやストレスが原因であろう。朱墨は親友の腕を肩に回し引きずるようにしてBARを後にした。朱墨のバイトが終わるのは翌日の0時だ、つまりは深夜の帰宅であった。


「はいはい、上がりますよー」


 自宅ではなく親友の自宅故に朱墨は一応の礼節としてノックと挨拶を施しておく。肩に寄りかかる親友が返事をするわけもなく朱墨は勝手に玄関を抜ける。

 男の一人暮らしにしては物が散らかっていないのは家主がこの家を使っていないからだ。だというのに、今だけは家主以外にも人の気配がした。

 ――幼女が床に倒れていた。朱墨は慌てて親友を投げ捨て幼女に近寄る。


「大丈夫か!?」

「ん……」


 幼女はパジャマにも着替えずベッドにも寝かされず床の上で目を擦る。もしかして病気で倒れたのではないかと朱墨は本気で心配し幼女を抱き起こす。


「しゃこ……?」


 可愛らしい瞼が開かれ幼女が朱墨を見付ける。


「はっ!」


 目の前に知らない大人が居る、それだけで幼女は大げさなリアクションを取り逃げ出す。

 朱墨は一先ず安心した。幼女は元気なようだ、眠気から瞼がとろんとしているが深夜帯だ、子供には当たり前に夢の中の時間だから仕方がない。

 さらさらの銀髪を肩の辺りで切り揃え、黒いシャツに白いスカートを穿いている。ブルーの深い瞳が朱墨を捉える。この幼女が狙撃手に狙われている悲劇のヒロイン。

 紳士であり温厚な顔が敵を作らない事を自負している朱墨は、幼女を怖がらせないようまずは離れた位置に膝を付く、同じ目線からの優しい微笑みに幼女は恐る恐る様子を伺う。


「はじめまして、麝香の親友の朱墨です」


 年齢が離れていても淑女を扱うように跪く。

 幼女は名前を名乗られたなら自分も返さなければならないという常識を教育されていたので、見知らぬ男相手にもその常識を取り出す。


「権能ゆゆり、です」


 ――やはりか。銀の一族の姓を出されてもとりあえずは狼狽えないでおく。

 幼女は隙を見せないよう朱墨の誠実な態度の裏を探る。小さな女の子の無意識で本能的な警戒に朱墨は忍耐強く耐える。手を出さず、大きな体で圧迫しないよう最低限の笑顔で幼女を安心させる、やがて幼女の銀の髪がふわふわと浮き出す。


「お兄ちゃんが酔って寝てしまったので運んで来たんだ。よければ寝かせるのを手伝ってくれないかな?」


 ここが押し所と、朱墨は優しい声色でそっと手を伸ばしてゆゆりを誘った。ゆゆりが返事をするまで落ち着いて待機する。

 ゆゆりは朱墨に慣れてきている、朱墨と床に転がる麝香の顔をちらちらと見比べる。


「うん……」


 ついに幼女は大好きな麝香を寝かせる手伝いがしたいと小さな足で朱墨の元へトコトコと歩いてきた。

 ようやく触れ合えた二人は協力して迷惑な男の始末を始める。ゆゆりと朱墨の二人で一緒に上着を脱がせネクタイを緩めていく。


「ゆゆりちゃんは一人で留守番をしていたの?」

「うん、シャコがでてったらだめって言ったので、まっていたのです……」

「ご飯はちゃんと食べた?」


 ゆゆりはもじもじしてから腹を押さえる。


「ううん」


 このクソ野郎が――っ。朱墨はとんでもない男が居たものだと襟首を掴みぶん投げたくなる。壁に頭でも打ち付けろ。


「待っていて、こいつ寝かせたら何か作ってあげるから」

「でも冷蔵庫なにもない」

「……まさか、飲み物も」

「水のんだの」


 朱墨は二度目、今度こそ本気でカス野郎をぶん投げたくなった。



 朱墨は急いで近くの深夜営業している店に駆け込みサンドウィッチとミルクを購入する。帰宅するとミルクを温めゆゆりに渡す。


「あったかいの、オイシイ」

「よかった」


 ゆゆりはすっかり朱墨と仲良くなっていた。ベッドを使ったら嫌われるからと床に寝ていたにも関わらず、麝香の方を確認してからミルクを口に含む。幼女でなければ献身的な幼妻だ、麝香とゆゆりの関係をクソの亭主と健気な妻に捉えてしまい朱墨は不憫になる。自分ももう寝なければ睡眠不足で学校に顔を出す事になる、誰にでも好かれる、優しくて誠実な青年が隈を描いて出て行ってみろ、周りが波のように押し寄せ、潮騒の如く騒ぎ立てる。

 人に好かれ心配されるのもある意味一手間掛かるなと思う。朱墨はそんな環境に満足するようにふっと微笑む。


「しゅしゅみふにゃっと笑うの」

「ん?」

「しゅじゅ、しゅしゆ、み……」


 幼女は舌が絡まり上手く発音できなくてもがく。出来るまで眉を寄せ頑張って舌を動かす。可愛らしいなと思った瞬間、朱墨はいつ寝られるのかなど頭から抜け落ちていた。



 朝。麝香が目覚めるとゆゆりが隣で横になっていた。ハートの柄の付いたパジャマを着てすやすやと眠っている。


「……」


 麝香は怒らなかった。

 麝香は起き上がり洗面所に向かう、親友の居なくなった空間と深夜の言葉を思い出す。


(もっと優しくしろ――)


 その一言と、横たわる幼女を見つめ直した。

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綾 ―あや― 秋風 @cartagra00

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