第3話

「何でもっとさっさと食えねーんだ、見ろよ空が暗い」

「ゆゆりはゆっくり食べたかったのです! おんなのこのぺーすに合わせるのがおとこのこですよ! すまーとじゃないですシャコは」

「うるせぇよ俺はいつでも俺のペースで進む、悔しかったらついてきなクソゆゆり!」

「あ、まって!」


 麝香は大人気なく本気で走る、ゆゆりを巻くように路地裏へ周り、ゆゆりが気付かず通り過ぎると小さな背中に笑い掛ける。


「迷子になって彷徨い歩いた挙句涙でぐちゃぐちゃの顔になって俺を見付けてごめんなさいって縋り付いてきたら許してやるよ」


 非常に質が悪い。この男、永遠に子育てや女性のエスコートは不可能だろう。



「まっくら、です……」


 星空は乏しい光でゆゆりを照らす、迷い込んだ路地裏に長く黒い影が伸びる。ガサッとゴミ箱を漁る音、びくっとして体を縮めると、ゴミ箱が転倒。


「ふぇッ!」


 倒れたゴミ箱から中身が散らばる音と共に駆け出す、路地裏の更に裏へ小さな両足で走って行く。


「シャコのバカ!」


 八歳の、ゆゆりの心はいくら強気といってもか細くて、どこかも分からぬ土地と風の吹き抜ける声に精神を削られていく。このままではもっと迷い込んでしまう、気が付いた時両手をぎゅっと胸に当て方向転換する、帰らなければ、麝香の元へ。

 甘ったるく丸い顔がきょろきょろする、青い目が心細そうに道を探す。


「どこ? わからないです……シャコ……シャコ……」



 よくよく考えてみる。考えなくても解る。使えている主人の懇意にしている人物の娘、多少違うが例えとして簡単に説明するならそんな感じだ。その娘を大人気なく巻いた挙句泣かせようとして笑っている。


「もしかしなくても最悪じゃねーか」


 やった後気が付いても遅い、だが麝香とはそういう人間だ、主人と懇意にしている人物の間に繋がりがなければ麝香はゆゆりを放置して家路につく。主人の体面を気にして知りもしない子供の後を追いかける方が稀有なのだ。

 麝香はカフェの周りからもう一度捜索していく、自分の巻いた種がゆゆりを見付からなくしている事にほんの少しばかり後悔しながら足を進める。



 ゆゆりは涙を流しそうになりながら暗闇の中を歩く。いつもふわふわ浮いていた髪はしょんぼりと垂れ下がっている、瞼も落ち、怖くて足取りも重い。それでも強気なゆゆりはしゃがみ込んで泣いたりせず前を向いて歩く。

 ――歩く、ゆゆりの前に人。


「あ……」


 振り向いた相手の、銀の髪が月光に照らされる。綺麗だった――、女神か何かのように、色のない瞳、透き通った髪、真っ黒なマントを翻し、銀髪の人物は夜の中に佇んでいる。

 いや、その人物は佇んでいるのではないとゆゆりは知っていた。


「みた?」


 銀髪の人物はゆっくりと歩いてくる、同時にマントの裏から背の高い人物が抜ける。


「お嬢さん、みたの?」


 ゆゆりは銀髪の、銀髪だから同じ権能の人間と警戒はしなかった。相手はちゃんとしゃがみ込んでゆゆりに視線を合わせてから問い掛ける、ゆゆりはぼーっと見惚れる、近くで見ると本当にき綺麗な顔をしていた。銀の髪は細い糸のように流れ、光の入らない瞳はそれでも済んだ水より透明で、色素の薄い白哲の指がゆゆりの肩に添えられると、それだけで緊張した。

 ゆゆりは小さな口を開く、見たものを言わなければ。


「ちゅーしてました」

「うん」

「黒い人と」

「うん……。何でだと思う?」

「スキだから?」


 答えさせておいて、正解は言わない。銀髪の人物は立ち上がった。マントが風に吹かれ闇を作る。闇がゆゆりを取り込む。


「おねー、ちゃん?」

「……」


 影が伸びる、閉じられた五指がゆゆりの頭上に晒される。そして――足音がした。銀髪の人物は腕を下ろす。


「……誰にも言うな、今見た事を誰かに言えば貴方を殺す、どこからでも狙撃する」

「……わかったです、いわないのです」

「よろしい」


 銀髪の人物はマントを畳み闇の向こうへ去る。ゆゆりはぼーっとその姿を見送った。

 すれ違うように麝香が来た、ゆゆりの後ろから頭をペシっと叩く。


「べそかいてんの?」

「いえ、まったくです」


 振り向いたゆゆりは至って平気な顔をしていた、大人の逢瀬を目撃し、銀の美しい女性にうっとりとしていたのだ。


「つまんねーガキだな」

「今ね、銀髪のおねーちゃんと黒い人が」

「あ?」

「ちゅーしてました!」


 ゆゆりは子供だ。約束を破るつもりはなかったが麝香には伝えたかった、見たもの、言われた事、ドキドキした事を逐一話す。麝香だからだ、そうでなければ口を固くした。


「狙撃ねぇ……、お前、ほんと迷惑だな」

「?」


 黒は桐生、銀は権能。両家は思っているほど仲睦まじくない、なにより四家は他の四家とは交わってはならない掟がある、もしその掟を破るのならば、拘束するか抹殺するか……。つまり、ゆゆりの見た二人は禁忌を犯そうとしている、非常にデリケートで、非常にアンラッキーな場面だったのだ。


「相手もガキが秘密を守り続けるとは思ってねぇだろう、お前、口封じに消されるわ」

「ゆゆり死んじゃうの?」

「たぶん」

「……」


 ゆゆりは笑っていた。


「はあ? ふざけんなよ」

「シャコが守ってくれるね! あしたはゴリラ見に行くのですよね!」

「んなはずねーだろ累に全部明かしててめぇなんてポイだ、後は権能でなんとかしろ!」



 と、そう上手くもいかないものだ。


『そんな事態になったのは元はと言えば貴様の所為だろうが。大人気なく子供を一人夜道に放り出すなど非常識にも程がある、恥を知れ』

『というわけで貴方が責任を取ってください、ゆゆりは貸してあげますので、貴方がゆゆりを脅した者も禁忌を犯そうとしている者も捕まえるか殺してください』

『いや、それだとマジで狙撃されるんで』

『狙撃すると読めるなら状況を上手く利用して犯人を捕まえてください』

『……ちっ、てめぇら、腐ってるぜ』

『ゆゆりを置き去りにした者が何を言うか、ゆゆりは貴様が責任を持って守れ、その上で"ゆゆりを囮に使え"』

『お前ら、ガキが死んでもほんとはどうでもいいんだろ』

『ゆゆりが助かればそれでよし、ゆゆりが死ねば梳理が落ち度を謝罪するように目一杯非を鳴らしてあげますね』

『不利益は全部こっちじゃねーか』

『何事も不運な方へ向かう貴方らしいですね、ま、身から出た錆、ゆゆりを大事にしてあげてくださいね、なんならお嫁さんに』

『しねーよ!』


 権能累と祁答院はそうやって麝香とゆゆりを返した。それは無慈悲で無情な宣告だったかもしれない、だが、権能とは未来を見、時の流れを見守っていくもの。どう転がろうが、彼らは運命を運命としか呼ばないだろう。

 最も――


「累は確実に知っているんだろう」


 帰宅し、ゆゆりを寝かせ窓辺から外を見上げる。

 ゆゆりが自由に外を出歩けるようになる為にも、麝香は累の未来から起動を逸らすことは出来ない。

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