第2話
「いってぇ」
朝、麝香は光の中目を覚ます。眠ったにも関わらず頭痛に襲われている。起き上がると体がごわごわした、それは着用しっぱなしのスーツが原因だった。
「酔っ払いかよ……」
赤い髪の間に指を入れ後頭部を擦りながら立ち上がる。真っ赤なスーツがよれて皺になっている、ほんとに酔ってそのまま寝てしまったサラリーマンのようだ。昨日は確か夜遅くまで、何をしていたっけ?
麝香はとりあえず上着を脱いだ、上着を掛けようとしてぞっとした、床に子供が倒れていたのだ。
「おい」
足の先で突くと銀髪が揺れ小さな指がゆるゆると目を擦る。
「生きてんの、てっきり殺しちまったかと思った」
「ん? おはよです……」
「ああそ、生きてんならいいわ」
「死んじゃったよ……」
夢の続きをまだみていやがると麝香は子供を置き去り洗面所に向かう。顔を洗い髪を整える、ガンガンする頭の痛みに薬を飲もうかと思ったが買わなければない事に気が付いた。
「てめぇいつまで寝てんだよ」
「おきます」
「てか何でうちにいる?」
「遊んでくれるやくそくをしたからです」
麝香はそうだったっけと記憶を探る。子供はむくりと起き上がり眠いのを我慢した顔で麝香を見詰めてくる。
「面倒くさ……ルイの願いじゃなかったらお前なんて追い出してやんのに」
「ゆゆりのことキライですか?」
「嫌いってか面倒くさい」
麝香の主人である
「ホタルんとこ行けよ」
「イヤ!」
「やけに主張すんな」
「虫はゆゆりのことスキだからイヤ!」
ホタル=虫。麝香の朋輩である蛍という女性は累の事が好きだ、偏愛と変質な愛は累にそっくりなゆゆりに毒牙を向ける。捕まったが最後粘着質に愛されると小さいながらにゆゆりは感じとっているのだ。
「じゃあルイのとこ帰れ」
「ルイはつまんない」
「すげーなお前、権能ルイをつまんないとか言えるとか、あの人あれでも」
「はやくてきがえて、行こー、デートコースはかんがえてありますか? ゆゆりは可愛いふくをもってきました!」
「聞いてねーよデートなんて!」
「ふふっ、はやくです!」
ゆゆりは服を着替え瞬く間にオシャレをする。小さいながらに女だ、女は面倒くせーなと麝香は思うのだった。
休日は人が多い。秋も半ばに差し掛かる紅葉の綺麗な街路。朝から引っ張り出され、デートコースなんて考えてあるわけもない麝香は適当にゆゆりを誤魔化して一日を過ごした。
「この蛇口お水がでないですよ!?」
「あ? 水は貴重だからって公共の場からはなくなったんだよ、無償で大勢の人間に提供すんのが勿体なくなったのさ」
「ふぅん」
公園から水は姿を消していた。噴水も、池も、先程の蛇口も錆が目立つだけの銀の部品に過ぎなくなっていた。今一巡では水不足が危惧されている。
「便所からはお水でました!」
ゆゆりがトイレに行きたいと行ったので連れて行くとものの数秒で用を足して来た、訝しんだ麝香はゆゆりが水が出るのか試しに行った事を今の台詞で知る、実に行動的な娘だ。
「ほれ、あれで遊んでこいよ」
麝香はなるべく移動せず苦労せず時間を潰したい、短絡的な思考を読んだか知らずか、ゆゆりはあんなものでは遊びませんと遊具に見向きもしない。
「おようふく見に行きましょ? ゆゆり明日シャコと遊ぶふくがほしいです」
舐めんなカス! と麝香が心で叫んだのは言うまでもない。一つ、女の買い物は長い、二つ、買ってくれる前提で話している、三つ、明日も遊ぶ気でいる、四つ、ジャコウであってシャコではない。
もうこのまま公園に置いてってやろ、俺を探し回って泣きべそかけ、と一瞬考えたが、主人である茅萱のメンツを考慮すると累の頼みを放棄するのは失礼に当たる。必然的にため息と手を出してゆゆりを掴み洋服屋を探す。
「何で入ってこないのです?」
通りに面した洋服屋の前で麝香は金をゆゆりに握らせた、しかも子供に握らせるような額ではない、ゆゆりの手からはこれみよがしに大金が飛び出している。
「俺が入れるような雰囲気じゃねーよ」
ショーウィンドウやガラスの扉から覗き込んでみれば分かる、店内は白とピンク、可愛い小物やフリフリした洋服、女性しか存在しない空間に男が入れるわけがない。だからといって子供に大金を隠しもせず握らせる麝香の非常識さは店とは無関係だ。
ゆゆりはムスッと頬を膨らませたが、洋服が欲しかったのか鞄に大金を詰め込んで店の中に入っていった。
ゆゆりを待つ間麝香は店の壁に背を預けた。真っ赤な髪と真っ赤な服を見て通りの人々が恐る恐る前を過ぎる。誰もが目を閉じ、又は視線を不自然なまでに前方にのみ向け歩いていく。
「どこ行ってもかわんねーな」
腕を組み目を閉じる。赤い目がなくなると通りに平穏が戻る、それでいい。暇を潰す時間が、気怠い。
「ひとりで来たの? ってきかれたので、カレシが恥ずかしがってお店にはいらないといいました!」
「誰が彼氏だクソが」
ゆゆりはうふふっと笑って紙袋から買った洋服を取り出す。麝香は先手を打つ
「可愛いとか言わねーよばーか」
「ゆゆりが着たらかわいくなるよ」
「ゴリラにでも見せてろ」
「ゴリラは動物園にいますか? 明日いきたいです!」
「余計なコト言ったわ……」
麝香は紙袋に服を仕舞わせ手を繋ぐ。空はすっかり夕焼けに包まれていた。
いよいよデートも最終段階だ。兼ねてから立ち寄る予定だった一件の店へゆゆりを連れ込んだ。
「いらっしゃいま……」
カランカランーー。来客を伝えるベルの音と店員の声が止まるのは同時だった。
「あ、」
従業員の女性は口を開けたまま青ざめていく、麝香は目もくれずカウンター席に向かう。
「女ばっかじゃん……」
ゆゆりが背の高い隣の椅子をよじ登る。
「おんなのひとに人気なカフェなんですよ!」
「ああそうなの」
店内見回してみても確かに九割が女性だ、残り一割の男性は麝香のようにカウンターで一人新聞を読んでいたが、麝香が傍に腰を降ろすと一気にコーヒーを飲み干し出ていった。
「露骨すぎんだろ」
「ん?」
「嫌われモンだな」
ははっと笑って麝香は肘を付き頬を乗せる。
「ルイに聞いたがここお前のお気に入りのカフェなんだって? なんで朝は駄目だったの」
「ゆうぐれのふんいきがスキだからです! ゆゆりは今がよかったのです」
ゆゆりが気に入っている店があるからと累に伝えられていた、デートコースにたった一つだけ入っていた確定プランだ。ここにだけは立ち寄ってやれと累に言われていた通り、ゆゆりは通い慣れた様子でお気に入りのカフェオレと夕食時であったのでオムライスを頼んだ。
甘ったるく丸い顔がオムライスを美味しそうに頬張る、ケチャップを口につけスプーンで赤いライスを掬う。麝香も今ばかりは眉間の皺を緩ませていた、コーヒーを飲みながら味わい深い香りと落ち着いた店内に洒落込む。
そして――その顔には狂気が現れていた。口元がカップの中で横に開く。
(ルイと関わってただで済むとは思ってねーよ。誰か死ぬんだろうな、俺の知り合いが)
ゆゆりは何も知らない、死神と呼ばれる預言者の存在する意味を。ゆゆりを預けた意味を、麝香は知らない無知ではない。
コーヒーを飲み干し目の色を変える。ゆゆりの手を引く。
さあ、死神の視た赤い夜がやってくる――。
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