偶像顕現

 警報が鳴る。警報装置なるものはない世界、故に怒声や窓ガラスの破壊される音、人の足音や雑音がそれの代わりになる。騒音は笑みを浮かべる水鶏くいなの耳にも届く。


「いったいなんなの?」


 白い髪を翻し手短な役人を捕まえると何が起きているか話させる。聞き終わると細い眉が中央に寄る、不機嫌な表情を作る水鶏は歩き出した。

 ――異様な少女を閉じ込め、邪魔な者を排除し、ようやくあの人が帰ってくるのを待つだけでよかったのに。

 心が晴れた余韻を、その先の期待を無粋な輩が邪魔してくれた。苛立ちと共に手にはある物が作られていく、それは女が持って歩くには到底不釣り合いなものだった。

 ――侵入者を見つけたら五体不満足にしてやる。

 水鶏の不機嫌は手に握られたものを目の前の悪に炸裂させる事で発散される。恐らく、それ以外は何も考えずに。



 ミオは白い部屋の中で自己嫌悪していた。少女を守る事も出来ず、また部屋から出してやる事も出来ない。自分はなにをやったって上手くいかない、先ほども見知った声だったにも関わらずそこで死んで行けと言わんばかりに突き放された。

 誰も自分なんて何とも思っていない、だから出たいだなんて口にしても通るはずがない。普通なら諦めずに知り合いだからと何度も哀願してみるものだが、ミオは一度諦めるとそこで何もしなくなった。

 どうせ、誰も。


「ごめんなさい……出して貰えないです」

「そう、仕方ないね」


 ミオは少女をちらちら見る。赤い色が目に着く、肩の出血が収まらない、テーブルクロスを刃物で引き裂いて巻いてあるが、その布も今や血が滲み真っ赤になっていた。

 少女は青ざめた顔をしていた。


「ごめんなさい……」


 無意味に謝らねばならないと感じてミオはそうした。

 謝っていれば自分が卑しめられるだけで済む。最高にネガティブな悪循環、それをミオは改めなかった。

 少女の白が眩しくミオに問いかけてくる。貴方はどうして黒い色なの? と。

 ミオは髪を一房握る。黒い、真っ黒な髪。

 ミオは正当な華矜院家の血を継いでいる筈だった。両親は白い髪であったし、実子であったのも間違いない。なのに白い髪ではなく黒い髪として生まれた。白しか生まれない中から黒が生まれたのは、初めからミオが不完全で場違いな不良品だという神の指摘だ。ならば何故生まれたのか、ミオには未だ解決出来ない。

 髪のように黒い感情がミオの中で形成されたのはある意味必然であったと言える。白い髪の血族に忌み嫌われ、悪いのは黒い自分だと言い聞かせた、仕様がなかった。

 今ここに居るのも別に誰かを殺したわけではない、殺していないわけではないが、今更死の部屋に入れられる理由はない。これも黒い感情の一つ。罪が精算される、死ねばいい、いなくなればいい。一方的に一人の女の嫉妬や利己の為に白い部屋に入れられても抵抗しない。

 漸く不相応の身が白く何もなくなれる、その瞬間は死の後だと信じて疑わなかった。


「しずちゃん……」


 なのに今助けを求めている。

 唯一自分を大事にしてくれた人の名前を呼ぶ。


「しずちゃん怖いよ……死にたいのに怖いよ」


 毒を握っていた指を広げる、瓶が落ち薬が溢れる。部屋の中の仕組みはいつかにシズから聞いた、どう行動しようと、箱の中はやがて空になると。だからこの薬も嫌と言うほど効果を理解している。ただ、理解や行動がそうしようとしても感情だけは付いてきてくれないのだ。

 少女が血を流すのを見て痛みに恐怖した、始めて毒に触れ死の怖さが伝わってきた、足が震えて、これから死ぬと……いざという時毒が開けられなかった。


「大丈夫?」


 少女が顔を上げた。


「死にたいの?」


 きっともうすぐ出られるよと慰めでも言うものだろうが、少女は全く違う希望を口にし始めた。


「死んだら嫌な事全部忘れられるよ、死は人々を救ってくれる。辛い時、苦しい時、どうにもならない時、諦めた時。死は全ての人々に優しく語り掛けてくださる」

「それは、そうだけど……でも」

「生きたいの? 生きたいのならここから出なくては。さっきの人は人を殺したから消えた、今のうちは恐らく誰も殺しには走らない、怯えてる感じがするし」


 目の見えない少女は気配で人の位置を推測する。確かにそこには死を肌に感じ意気消沈する罪人達の姿。


「生きたいならまた言わなきゃ、出たいって。知り合いなんでしょ? 試す価値はあるよ」

「でも僕は、黒いから……」

「白とか黒とか関係あるの? 貴方だから知り合いだと思われてるんでしょ?」

「嫌われてるから出られないよ、それに罪人だし」

「人殺しをしたの?」

「ここに居るからね……みんなそう、人を殺した、自分の為に」

「そう」


 二夜を辿ってきただろう目の前の少女も人殺しの経験がある。……はずなのに、誰も殺めていないような綺麗な色をしているのは何故か。まるで無罪のまま流れてきたような、落ちてきてしまったような。

 だからかはわからない、ミオは少女に話しをしようと思った。誰を殺したのかとか、自分がどれ程生きていてはいけない人間なのかを。



***


 城内の白に鮮やかな色が加わる。赤は血の色、その赤が壁に飛び散る。


「どいて」


 廊下を駆け抜ける者が役人を突き飛ばし先へ進んだ。その者は上手い具合に役人の包囲網の隙間を潜り、また立ちはだかるものには手を振り傷を付けた。爪の先が優雅に流れるだけで役人たちは切り裂かれ細い血を流す、長い髪が舞うだけで目がそれを追って、後に視界が霞んでふわりと浮いた。

 ――青。

 役人達の前に美しい異世界が広がった、夜空も大地も透明な水に囲まれた、二夜に似た、けれど全く違う未知の情景。

 耳を済ますと自然な水音が聞こえてきた、とても心が安らぐ、そのまま目を閉じると水に沈んだように体が軽くなった。

 子供の頃揺すられた揺り籠のようだ、優しく包まれて頬を緩ませながら眠りに就く。生まれる前の命が母胎の中で感じる安心感とでもいうような、まどろみに身を任せる。

 凄く気持ちよくて、現実なんて忘れてしまえそうだ。

 役人達は瞳を閉じる。――耳障りな声が聞こえる。

 ――しっかりしろ!

 ――起きろ!


「死にたいのかッッ!?」

「うるさい……」

「このッバカものどもがっ!」


 顔面に衝撃が走り、驚いて目を覚ました。

 頬を赤くしながら痛みの報復先を探すと、役人の中でも年長者が必死な形相をし激昂を飛ばしていた。役人達ははっとして武器を握り返した、――なんという事だ。

 辺りを見回す、優しい揺り籠も水の音も景色もない。三世という世界の華矜院の城の中、その現実にだけ足を付けて立っている。

 意識を囚われていた!? 完全に遊離していた事実にいつでもやられていたという死を感じ取り、瞬間、彼等は冷や汗を掻き武器を握りしめた。


「何が起こった?」


 年長者は侵入者を先へ進めまいと槍を突き出し威嚇する、その間に仲間に状況を聞く。


「解らないです、気が付いた時には……」

「異能の解析急げ。あれでいく」


 年長者は相手の力量を不確定とし、慎重に見定め警戒態勢を敷くよう努めた。手際よく侵入者を囲む命を出し、前衛には槍の部隊、後衛には異能の部隊を配置する。

 精鋭部隊が包囲網を敷いたまま固まる、誰も動き出そうとしない、いや、動けなかったのだ。


「天使か……」


 その姿を見た誰かが漏らした。目の前の畏怖と美の天使は肯定を含め微笑む。

 長い髪、白く靡く衣、それらはまさに死を与えようと降臨した幻想の君だった。


「くっ、天使とは神々の使いだと知るが……それは信仰対象としての偶像だ、なのにお前は、貴方は偶像でも天使に違いない」


 見た事もない綺麗な髪が流れる、それが広がると羽に見えた。青い瞳は澄んだ水を映し、優美な指先は風を描く。

 天使は微笑みのまま偶像から抜け出した、白い内装がより一層天使を神聖に見せた。

 美しい――故に誰も攻撃出来ない、攻撃してしまえば天使に傷を付けてしまう、もうその姿を見る事は叶わなくなる。いや……恐ろしいのだ。足を持つ天使が空ではなく地を一歩ずつ進んでくる、それが恐ろしいのだ。

 槍が震えて構えが乱れる、役人は慄き無意識に足を引く。

 開けなければ――道を。


「惑わされるな!」


 女の叱咤と同時だ、大きな爆音が上がったのは。



***



「情けないな、あれくらいの幻術にやられてどうするの?」


 激しく鳴り響いた爆音と煙は天使の居た場所で巻き上がっていた。

 畏怖の天使が神をも恐れぬ人間により爆撃された、黒煙に巻かれている様を咳き込みながら見詰める役人達の、誰もが呆気にとられていた。

 煙は共に破壊された窓から空へ登り始める。役人達は黒煙の中に何が起こったのか、やがて天使を爆撃した不届き者が誰なのかを知る。

 年長者は自分の肌が裂け破片が突き刺さった様子に強張っていたが、やがて気持ちを押し込め背筋を伸ばす。煙を吸い込み、顔に破片の傷が出来ていても彼女の前では調教された奴隷のように行動しなければならない。

 華矜院として律せられた精神は部下にも伝わり、役人達は爆発に巻き込まれた事実があったとしても全員が爆薬を放った主に忠誠を示した。


 華矜院クイナの元に白い衣の列が従う。

 その姿勢のままみな天使の正体を食い入るように見つめる。それはこの爆発でも生き残る程の、しかしそれだけの普通の少年の姿だった。

 天使などいない。

 惑わされていた事実を部下に指摘しながら自分もまんまと術中にはまっていた、面目なさを恥じ、年長者は気を引き締めた。


「あの天使は幻というわけか」


 ただの少年に問う。


「それが、強ち幻でもないのさッ」


 侵入者の少年は素早く行動に移る。話の途中に攻撃するのも卑怯ではないと手前の年長者に切りかかる。


「ぬんっ」


 年長者の槍が少年の手を弾く。振り上げられた槍はそのまま払いへ転じ、少年は長く伸びる槍の先を腹の前で躱しながら次の行動に出る。


「天使は存在している」

「天使なんているわけないじゃない」


 少年の断言をクイナが否定し、妄想をあざ笑うよう爆薬を投げつける。赤い火花を散らし塊が激しく爆発する。城の壁を粉砕する程の威力が少年にピンポイントで投げ込まれるが、少年はバラバラになる事はなく煙の中から現れた。


「なんて女だ、そのまま殺してしまったらどうする」

「殺さないわ、死なない程度に加減してしるもの」


 煙を払う少年にクイナは冷笑する。クイナは手足を吹き飛ばす程度の量しか火薬を作り出していない。彼女は爆薬を作り出す異能を、恐らく爆撃系の異能使いの誰よりも上手く使いこなしている。

 年長者が私がやりますとクイナを下がらせようとするがクイナは聞く耳持たず前に出る。クイナの動機はこうだ、もう直ぐ帰還する、敬愛する人物に会える期待を前に少年に邪魔をされた。二人の時間を、静かに帰還を迎えたかったという願いを壊された。だから苛立つのも不思議ではない、その苛立ちが少しばかり手足を吹き飛ばしても構わないという、苛烈な感情に繋がっても。


「初めて見る顔ね、それにその髪、どういう事か知らないけれど消えて頂戴」

「取り返したいもんがある、退いてくれるなら直ぐ消えるが?」


 爆風が吹き荒れる。少年の事情を最後まで聞く事なくクイナは爆薬を投げた。早く手足をもいで白い部屋に入れて中の人間に食わせればいい、それくらいしか考えていない。

 少年は爆撃が自分だけを憎み投げ込まれるのを感じながらも前に出る。話し合いが受け入れられないなら強行突破しかあるまい。爪の先が流れるだけで切り裂くように見えていた先ほどと違って、今の少年の手元には金属の輝きが見て取れた。年長者はクイナに金属が届かないよう槍を振るいクイナの盾となった。


「邪魔、しないでくれない?」

「なに?」


 年長者の耳元に邪険の言葉が囁かれる。後ろから耳に息を吹きかけられたような寒気に彼は一時的に固まった、しかし惑わしの術には二度と嵌まらないと恥じたばかりであったので直ぐ様態勢を立て直す。天使の声を振り払う。


「そのまやかしには最早掛からん、違う手があるならそれも俺にぶつけてみよ、早々に打ち破ってやる」

「いやいやオジサン、天使様は後ろに居るって」

「ふざけ――」


 振り向いて思わず槍を振るった。惑わしにはもう掛からないと言ったばかりなのに、みっとも無くひっかかり半分に切れた天使に笑われる。


「いい加減にっ」

「オキノ、少し待ちなさい」


 クイナが手を広げ静止を促していた。


「天使とやらはどうやら本当に居るらしいわ」

「そんなまさか」


 爆薬が天使の存在を証明する為に投げ込まれる。少年を守る様に衝撃が逸らされる。


「何か居るわね」

「くそっ、未知の異能は毎回厄介ですな。解析急げ」

「はいっ」

「"オトハ"は居ないの?」

「すみません、あれは今日もサボりで」

「そう、厄介なのは味方内にも居るようね」


 城がまた壊れる。クイナの投げた爆薬の塊が容赦なく熱を巻き上げる、これだけで終わる大人しいクイナではないので追加で更に爆薬が投げ込まれる。

 いくつもの爆薬が同時に爆発する様は目も耳も塞ぎたくなる、腹の底にまで音が伝わると思わず全身に力が入った。

 余りの衝撃に城が揺れ役人達を震撼させる。オレンジ色の火花が黒煙に混じり轟々と立ち上り、城の骨組みが剥き出しになり、砕けた天井の欠片がバラバラと落ちてくる。

 年長者は隣の女を一瞥する。

 普段は大人しいクイナだが一度怒りの熱を燃やすと過激になる。止めなくては、と思っても助言の後に返る彼女の反応が自分の立場を悪くするものだと分かっている為、保身を考えると怖気づき、結果強く出られない。いつもの事だ。

 もしクイナがこのままエスカレートし周りが見えなくなったら城くらいは一撃の元木端微塵になる。年長者は同じ白い髪の女の事が怖くなる、だから前を向いて少年の生死を確認する事にした。

 廊下は熱が充満し、少年の居た辺りは景色が揺らめいていた。立ち込める煙で何も見えない先を集中し見続けていても少年は出てこない。死んでしまっただろうか、それとも動けなくなったか。又は後ろへ逃げたか窓から飛び降りたか。

 様々な憶測を立てながら年長者は煙が窓から流れていく時間を待つ。

 ――突然、クイナの髪がふわりと巻き上がった。

 次の瞬間裏手の役人が悲鳴を上げて蹲った。

 次に年長者が目をカッと開く、槍を構え数本の金属は弾いたものの弾き損ねた金属が容赦なく体に突き刺さる。年長者は小さく声を上げながら刺さった金属を抜いて捨てた。


「あれでまだ動けるのかッ」

「少し洒落にならないかもしれないわね」


 通り過ぎた風が金属の抜けた軌跡だと気付いたクイナは少なからず冷や汗を流していた。冷静なふりをしていても内心珍しく焦っている。お陰で怒りの熱は一瞬にして蒸発してしまった。


「この子も上から来た新参者だと思うけれど、これだけ動ける子が二人も落ちてくるなんて、上では一体何があったというのかしら」

「あの少女は話しませんでしたか?」

「聞く前に入れてしまったの、ごめんなさいね」

「いえ……、しかし二夜では一体何が」

「――教えてやろうか」


 割って入ったのはあの少年の声。黒煙から現れた傷一つない姿、ただその顔はどこか影が落ちていた。

 少年は声を絞り出した。


「二夜は、滅びたんだよ――」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風已みて 秋風 @cartagra00

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る