白の華族

雪が降っていた。永遠に止む事のない雪。

 それは死人に降り注ぐ白い花。棺桶の上に積もり、やがて全てを埋め尽くすだろう。



***


 寒い国に雪が降るのは当たり前の光景だろう。しかし、この国では当たり前が当たり前ではなくなり、異常な光景となっていた。

 雪が永遠に止まず、雪解けがここ最近といったレベルではなく、何年、何十年単位で訪れてはいないのだ。壊れたように結晶が降り積もる凍土は、誰の目にも明らかなように異常だった。


 しんとした世界、それにとても似合う雪。灰色の空から舞い降りる。

 一人の男が雪を掻き分け進んでいた。防寒具は意味をなさず、体は凍えて感覚がない。自分の背丈より高い雪の山によじ登ろうと、体全体を使い懸命に渡っていく。だが途中で止めてしまった。この向こうには街があるのに何故? と問う者、その息すら灰色の世界は凍らせる。

 男は雪を超えるのを諦め地面の上に寝そべった。地面の上にも深く雪が積もっており、雪のベッドに寝そべる形になった。


 ――この世はどうして終わるのだろう。


 問いた。返事はない。


「寒い」


 背中から感覚がなくなる、瞬きをして、疲れて目を開けるのは止めにした。瞼の上に結晶が落ちてくる、冷たいとか、そういうのは感じなかった。


「あんたは、全てを埋め尽くすまで止まないんだろうな――」


 空に差し伸べる手、それは救いを求めるように伸ばされ、やがて深く沈む。

 あと何回か呼吸を繰り返すと、やがて男は静かになった。



***


「貴方は私を導いた、だからきっと私の思う通りに未来が進むのだろう?」

「そう、君の行いは相手の為にしかならないけれど」

「私がそう望んだのだから、後悔はしない」

「人を裏切る事になっても」

「悔いはない」



 一人の少女が空からやってきた。

 雪降るこの国では登録されていない人間、又は周囲に認知されていない人間の存在が見つかった場合、問答無用で捕らえられ城へ連れて行かれる。空から来た少女も例外なく通報され、程なくして役人に捕まった。

 固く閉じた瞳、柔らかな長い髪に華奢な体、か弱い少女が何をしたというか、まるで凶悪犯を囲むようにたくさんの役人が、過剰なくらい何個も何個も少女の手足に拘束具を取り付けた。

 何故少女はここまで警戒されるのか。それは実に単純で、少女は凶悪犯の如く夥しい血に塗れて真っ赤だったからだ。白い衣服は元から赤色だったように、少女の身を包んでいた。

 役人が辺りを見回す。おかしな点に気が付いて口にする、少女の傍に血の原因であろう生き物の姿はなく、また血を引きずった後もないのだ。なのに少女は全身真っ赤に濡れている。少女自身の血ではない、調べてみても、彼女に外傷は一切ない。

 おかしすぎる、雪に血の跡を残さず真白な雪原に座り込んでいるなど、それは不可能な事なのだ、ただ、不可能を可能にする事実があるのを役人達は知っていた。だから冷静で、繰り返しで、またかと肩を落とす。

 誰かが何度目かのように慣れた速度で呟いた


 彼女も"上"から来たのだ――。



 少女は耳を澄ましてみた。目を患っていて、耳で聞き、肌で感じるのが少女なりのやり方だった。役人は初めは納得しなかったが、外見の幼さに同情したのか、少女が盲目なのを信じ、腕に抱いて運ぶ事にした。

 城までの道程、城下町の通りを白い衣で統一された役人が進む。一点の赤は抱えられた少女の赤。

 街人は少女を好奇の目で追う、だが自分の身分を顧みると好奇の目も一瞬で止んだ。彼女は自分達に似ている、全く同じだ。

 やがて役人達は立ち止まる、霞んだ白い霧の先、雪の大地を見下ろすように城が豪然とそびえ立っていた。

 役人達は城に入ると少女を厳重に監視のついた部屋に押しこむ。異能を施した術者が扉越しに見張っている為容易に逃げ出す事は出来ない。少女は黙って床に正座している、暫くすると女性がやってきて着替えを差し出す。着替える前に汚れを落とせと言われ、湯を浴びてから白磁のような肌に衣類を纏う。真っ白なフリルワンピース、足元が冷えぬようにタイツ、最後に髪にリボンを付けようと女性が手を伸ばしたが、少女はいらないと否定した。

 何故異様な人物にこれ程までの待遇をするのか不気味だ。

 役人や城の住人、高貴な立場であろう者と同じ白い衣を着せようとする、血に濡れた少女にだ、彼等は狂っているのだろうか、いや、狂ってなんていなくて、狂っているのは少女の方だろうか。


「手を繋いで行きましょう?」


 女性は手を差し出す、少女は黙って女性に従う。罪を裁き罰を与える為、上層から直接尋問と判断が下されるらしい。


「見えないからわからないかもしれないでしょうけど」

「ううん、見えなくなったのは最近だから……言葉にしてくれれば景色は想像出来ます」

「そっか」


 会話を続ける「城の内装は壁も天井も、毛の長い柔らかな絨毯もみんな白。傷一つない床は潔癖なまでに美しく、人の姿が映り込んでいる。窓もカーテンも、全部白なのよ」満足そうに説明する。

 ここまで白に拘る理由が異常に思える程徹底されていると、少女は感想を抱いた。何か偏執的なものすら感じる。


「安心して? 大丈夫ですよ、貴女は特別だから。いい子にしていれば何もされないわ、普通なら尋問もされずにある場所に放り込まれるの」


 そこは白い壁で出来ていて、白いテーブルクロスの掛かった白いテーブルがある。

 最後の晩餐でもするのか、そして食事の後に罪を裁かれ殺されるのか。

 穏やかではない、少女はそう思った。女性の足は止まっていた。


 少女は高位職の女性の元に差し出された。

 女性は美しく長い髪が腰まで届き、透き通る白い肌に長い睫毛、星を吸い込んだような金の瞳をしていた。

 知的な風貌でいて、しかし威厳を持ってその場に立っている女性、周りにはやはり白い衣の列。

 少女の命運が決定されようとしていた。


「お前は誰をどう殺した?」


 第一声は毅然として傲岸、周りの男女より一際美しい白い衣が尚更彼女の傲慢さを写し出していた。


「……」


 黙る少女。手に纏わり付く拘束具が痛む、緊張と不安という電流。厳粛な場の空気が少女を傷めつける。


「状況が飲み込めてないのね? ならば早々に理解しなさい、頭の悪い奴は嫌いだから」


 ストレートの白髪を掻き上げ、薄めの色が塗られた唇が開いた。


一巡いちめぐりから堕落し二夜に落ち、そこでまた人を殺す、するとどうなるか、此処まで並べてあげれば後は想像に難しくはないわよね?」

「それは……」


 少女は息を呑む。

 考えうる限り一番想像に容易いのは、二夜で誰もが一度は疑った――その恐ろしくも一番有り得る答えを口にする。


「此処は三つ目の、世界」

「そ。この世界は"三世"、此処に来るまでに一巡、そして二夜で最低でも二人は殺さなければならない――つまり、お前は今危険人物とされているの。誰をどのように殺したか、異能まで全て答えなければ危険人物のまま私達はお前を然るべき処置に配しなければならない。解る? だからお前の返答次第では苦痛。言い分によっては特別に許されるの」


 女は含みのある笑顔で膝を付き、少女の髪を掬った。


「お前は特別だから、素直にしていればこの髪のように綺麗な色のままいられるわ」

「わたしは……」

「ああ」

「わたしは」


 少女は求められる答えを、真実を話すべきか考える。そして


「――を、殺しました」


 素直に答えた。と、同時に左右から火薬が爆発するようなざわめきが起こった。


「奴を殺せる娘が居るのか! 信じられない……」「誰も勝てなかった! あの人物は不死身だ」「この娘は頭がおかしくなっているのではないか!?」


 少女の証言を乱れた白い列が騒ぎ立てる。


「静かにしなさい!」


 女は珍しく怒鳴り声を上げた。


「どういう事? あいつは二夜において誰も敵う事のない異能を有していた、我等ですら、誰も太刀打ち出来なかった。お前のような子供にあいつを殺せた理由はなに?」


 女は動揺した。流石の毅然さも"最強の男を殺した少女"の前では恐縮する。


「あの人は油断していました……。弱っていて更に意表をつかれたら、いくら強くても死ぬと思います。私に着いていた血はあの人のものです、何度も刺しました、信じてください」

「……よもやあいつが殺されるとはね、俄には信じられない。で、貴女の異能は?」


 女は催促する、最強の男を殺した少女が異能を隠していた場合、もしかしたら自分達ではどうにもできない相手かもしれない。いくら拘束具に毒や麻酔、異能が込められた仕掛けがあったとしても安心材料としては不安だった。

 一度目に答えなかったのは、少女の異能が秘密にしたい程強力なものか、或いは城から逃げ出す為に切り札にするつもりなのかもしれない。

 女は怜悧な視線を落とす。二度目はない。言わねば殺すと少女に無言の圧力をかけた。


「わたしに……異能はないです」


 少女はあくまで愚かな選択をとり続ける。

 女は嘘か本当かも解らぬまま、眉をひそめて決断を下した。


「もういいわ、危険人物は明日にでも」

「わたしに異能はありませんでしたが、兄や友達にはありました」


 少女は愚かさを封じず愚直さを貫く。


「わたしは最後に手を下しただけで後は何もしてないです……、異能なんてないです。家族がいたから、だから我武者羅に、無我夢中に、殺しました。強いのは異能なんかじゃなくて……それは」

「ああ、愛の力ね」


 女は淡々と纏めた。続けて嘲笑う


「人殺しが愛を語るとはね、恥を知りなさいな」

「罪人に、愛や家族を得る資格はないですか?」

「だって人を殺したのでしょう? 悪い事をしたのに自分は幸せでいるってのは、虫が良すぎね? そんな奴がいたら私ならブチ殺すわ」

「だったら貴女は」と、利口な少女は言わなかった。


「名前は? 何というの」


 女はふと面白い事を思い付いたとペンと紙を探す。


「ここに書いてみなさいよ、名前」


 少女はペンを握らされる、瞼を閉じていても文字は書ける。少女は女のいたずらっぽい余興に付き合いインクを滑らせる。直ぐにペンを離し紙を突き出す。


「……ふふっ、ははは。ほんと素直な娘ね」


 書き上がった文字を見て女は少女に興味を抱いた。


「なんと書かれていたのですか?」

「貴方様を侮辱する文面ならば直ちに処分を!」


 白い列から内容を知りたがる声。一歩前に足を踏み出し、浮足立つ列に向かい女が答える。


「殺人者」

「なっ」

「殺人者とだけ書いてあるわ、それがこの子の名前? それともこの私の事? 笑いが止まらないわ」

「娘ッ!」


 女に一番近い、歳を重ねた中年の男が歩み出る。


「無礼であろう! 彼女は華矜院水鶏(かきょういんくいな)様だぞ?」

「華矜院……?」

「知らぬわけがあるまい? 娘、"お前も華矜院なのだからな"」


 水鶏は示すように少女の白い髪をゆっくり撫でる。


 白は、特別なのだ。

 白は華矜院にのみに生まれる、華族の証なのだから――。



***


(とんだスキャンダルだ……、おかしい)


 ただ一人少女は笑った。

 人を殺し、更に殺し、そうすれば三度目の地獄に落ちるらしい。そこには一巡に居る筈の白の華族が住んでいて、自分達を殺人者の環組から外し断罪者に回る。


(梳理に売ったら、どうなるのかな。華矜院は終わりかな)


 笑える、笑うしかない。一巡の大貴族が人殺しの果てに城を築き他者を裁いているのだから。


(貴方達"は"人殺しでしょ?)


 少女は白い牢獄の中で笑った。




***


恨めしかった。

 居場所のない自分、何かの変わりに生まれてきた自分。

 存在を必要とされなかった、とても悲しむべき事を悲しいと思う事が出来ない。心が歪んでいた。生きる意味を問う心はあっても、人を慈しむ心はいつまで経っても生まれないのだ。

 浮いていた、空にたゆたう雲のように、人からも世界からも。足がなくて、心もなくて、きっとそれは悲しむべき事なのだろうけど、その悲しみすらないのだから、第三者の目線で語るしかない。

 恐らくきっと、自分は悲しい存在なのだろう。

 人としての当たり前を人に生まれながら持ってはいなかった。

 そんな悲しい自分は悲しいと思う事もなくいつか死を選ぶのだと思っていた。

 死を選んだ時に消えてなくなれるのだと思った。

 だが、望み通り死は訪れなかった。死ではなく、よりによって一番辛く苦しいものを見つけてしまったからだ。

 それは愛情。

 愛に触れ愛を知った、そして、愛を失った時

 ――この世から全てが失われた。


***


 白い壁は染み一つなかった。四方を囲まれた部屋にドアはなく、窓もないので匂いが篭っていた。唯一あるのは白いテーブルクロスの掛かった長方形のテーブル、それから誰かの異能で輝く壁に取り付けられた照明器具だけ。

 照明器具の白い光が、眩しすぎる程部屋を白くしていた。


「ごフッ!」


 壁に鮮血が飛び散る。吐血と共に男は崩れる。やがて息をしなくなり死に至る。最初は何が起こったか分からなかったが、やがて観衆から悲鳴が上がる。


「ひっ!」

「キャアー!」

「やりやがった!」

「なぜッこんな目にッ!」


 我に帰り騒然とした。悲鳴が悲鳴を呼ぶ。混乱が狂気を掻き乱し増幅させていく。本来ならば逃げ惑う筈の行動も、ドアのない四角い部屋の中では壁に背を貼り付け距離を取るまでしか出来ない。逃げ場を失った人々は身を寄せて人殺しを威嚇する、こっちに来るなと、新鮮な血液の滴る刃に向かい一生懸命頼りない強気を見せる。

 殺人者は構わず群れの中から次なる標的を探す、血走った目、誰でもいい、震える手を止める為に次なる殺人をしなければ。見渡す、誰もが特徴もなくて、中々刃が定まらない。

 ふと後ろに目が行く。


(ッ!)


 不運としか言いようがない。凶器を持った男の目には少年か少女か曖昧な、か弱そうな黒髪の人物の姿が映る。目と目は引き合うのだ、恋ではなく、殺人者と引かれ合ってしまった事実は少年の最大の不幸だ。

 目に引かれるまま、殺人者はじりじりと少年に近付く。人を刺したばかりの包丁が先端を突き付け歩んでくる。


「どうせ死ぬんならいくらでもやってやるよ!?」


 瞳孔が開き切り目が揺れていた。殺人者は自棄になりながら包丁を脇に構える。自分でももう何をしているか解っていないのだろう、一人目を殺した時に男は狂える亡者になった。

 白い部屋に、亡者は血の滴る包丁をギラつかせた。


「やめて……」


 少年は、ミオは頭を抱え膝を丸めた。


「やめて……っ」

「ギャアぁぁぁ!」


 悲鳴が上がった。断末魔を漏らしたのは、縦に一閃、背中を斬られた殺人者の男だった。

 男はミオを殺そうとした格好のまま前に倒れた。床に叩きつけられた衝撃でバウンドし、鈍い音を立て頭が転がる。

 ミオの全身から血の気が失せる。顔に飛び散った血を拭うと、温かくて、ぬるっとした、それは、倒れた男から溢れて、ミオの足元に流れてきた。

 死んだ男の背後から薙刀を手にした荒い息の男が現れた。この男が包丁を持った男を不意打ちし、止めに首を切った。薙刀の先から温かい血液を零しながら、第二の殺人者が茫然自失となり立ち尽くしていた。その瞳は、どんな色も宿さず、ミオを見下ろしていた。


「やだ……」


 ミオは涙を堪える。


「何でこんな……ッ」


 現実から逃げたい、だから立ち上がる、なのに腰が抜けて立ち上がれない。

 湯気の上がる薙刀がそっと振り上げられる。誰も正気でなんていられない。白い出口のない部屋が、人を狂気へ変えていく。


「止めてください」


 そんな時、ミオを抱きしめ守ろうとする少女が現れる。


「だ、れ?」


 ミオは驚き目を開く。ミオより幼い体躯、白く長い髪に硬く瞳を閉じている。このような少女が、狂気の中ミオを心配し薙刀の男に訴えたのだ。

 ミオは少女の行動があまりにも理解出来なくて戸惑った。殺人者への訴えは、特にこのような密閉空間での狂気の連鎖で出来上がった殺人者には、説得とは殺してくださいという愚かさにあたる。少女が次に何をされるか想像出来た時、既に薙刀は振り下ろされていた。


「だめっ」


 言葉も虚しく、白い体から吹き出るのは血。ミオを庇い狂気に貫かれたこれが少女の結末。

 ミオは血の海に沈む少女に目を落とした、視界が赤く染まる。

 狂いそうだった。

 ――そこで幻は消えた、そういう未来もあるのだと恐怖が見せた幻。

 ミオは黒髪に隠れた金の瞳を潤ませる、肺の底から息を吐き、手足が凍りつくのを感じる。 ミオの胸の中の少女、長い白髪が床に散らばる、少女はまだ生きていた。

 ミオは少女を助けた。幻覚は幻覚であって、ミオが咄嗟に少女を胸に抱き床に転げた事実が現実であった。


「ボクっ、ボク……ッ」


 ミオは瞠若した、咄嗟とはいえ一歩間違えば二人して斬られていた中、少女を庇い転がった。少女を抱く手が震えている、未だかつてない戦慄、恐ろし過ぎて背筋が凍る。

 薙刀を持った男が泡を飛ばし口を開いた。


「はっ、はは……! どうせ殺しちまった、なら、他も死ねばいいんだ!」


 人格を失い錯乱した男は善悪や道理を判断出来ない。皮肉にも今自分が正義から殺した男の結末と同じ道を行く。

 次に殺すのは誰か、そしてまた殺されるのは――。

 永遠の連鎖。全身を蠕動させながら奇怪な鳴き声と共に薙刀が下ろされる。

 下ろされた薙刀がミオ――ではなく少女の肩に埋まる。白い髪が血に染まり、少女は声を殺し呻く。ミオは自分を庇った少女の、あまりの残酷な現実についに理性を失った。


「やだ! もういやだ! なんでこんな事になるの!? なんでこんな部屋を作ったの!? もういやだ! わかんないっ、助けてよ!」


 ミオは少女を抱きしめ瞳の端から涙を零した。

 ミオはいつもいつまでも、役立たずの弱者でしかなかった。



***


 白い髪を指で弄びながら美しい才女は口の端を釣り上げていた。


「ふふっ」


 余程楽しい事があったのか、知的な彼女の無表情は剥がれ、さながら闇の中で薄ら笑う悪女のようになっていた。

 彼女は憂鬱が晴れた心に胸を高鳴らせ、これから作り上げていくだろう障害のいなくなった未来に笑いを零した。自分がした事にとても満足している、反省や後悔も一切ない。ただ、一遍の恐怖があった。その恐怖に勝るくらい、期待も大きかった。

 彼女はある人物が帰るのを待っていた、彼女が崇拝する、白の血族の高貴な華だった。



***


「出して……出してください」


 床から涙ぐんだ声がする。二人の牢番は顔を見合わせ今声が聞こえたか? と確かめ合う。耳を床に付けてみる、やはり声がする。


「出してくださいッ!」


 次は張り上げるような声だった。そして聞き覚えのある声だった。


「ミオ?」


 牢番の一人が床に話し掛ける。


「ミオですっ」

「まさか」

「出してください、お願いしますっ」


 異能で厳重に施錠された地下に知り合いのミオが入れられている。牢番は驚いた、だが続ける言葉は知り合いに掛ける慈悲の言葉ではなかった。


「出せません」

「なんでっ」

「誰も出してはいけないからです」

「ここへ入った者はこの世に害悪しか齎さない者、だから一度入れたら絶対に出してはならないんです」

「そんな、ボクだよ……ミオだから……出して」


 知り合いのミオはいつも気弱。合う度手を胸の前で組み、怯えるように俯いた顔から目を覗かせる。そのミオが声を張り上げ地下の底から出たいと申し出ている、奇跡だ、しかし牢番は無慈悲にもミオの勇気を無に返す。


「怖くないように、毒薬を使ってください」

「白き世界で安らかに死ねますように」


 牢番はミオの居る地下を足で踏み、再び直立不動に戻った。彼等の拳は、強く強く握りしめられていた。



 ミオは死刑宣告をされたように絶望し部屋の隅に小さく丸まった。

 白い壁は美しく、地下の牢屋と言われても誰も信じやしないだろう。美しい部屋には白い照明が並ぶ、染み一つなく清潔な壁。白いテーブルクロスの上には食器類、ではなく刃物が並べられていた。

 此処は白の血族が生み出した断罪の場所。

 それは死刑の場所。

 一巡でも、二夜でも三世でも、人を殺した者はやがて己も消えてしまう。それはつまり罪人を裁くべき死刑執行人に誰もなりたがらないという事。死ぬべき大悪党を殺せず生かしておく、白の血族はそんな生半可を許せずこの部屋を作った。

 罪には罰を。大罪人には大罪人の血を。

 刃物は殺し合う為に。毒薬は自殺する為に。何もないテーブルは餓死する為に。


 ――ミオのいるこの箱の中は、最後には何もなくなるように決められている。

 

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