旅人の声
あれ。
昨日買って冷蔵庫に保存していたはずのチョコレートがなくなっているのに気づいたのは、購入から10時間かそこらしか経っていない、朝のことだった。
あいつめ。
小学生が登校中にチョコレートを食べるのは、如何なものか。許すべきではないのだろうが、咎めるにも息子は今頃学校で給食を頬張っている頃だろう。あいつが食べ物を食べる顔は、これ以上ないくらいの幸福を滲ませている。家に帰ってきてから怒るのもなんだか野暮に思えて、いつも今日だけは許してやろうという結論に至る。というのを今月だけでも3回は繰り返しているのだから、叱る資格があるのかすら危うく思えてくる。
息子が小学四年生になったばかりの頃に、二分の一成人式なるものが開催された。成人の半分の年齢となる十歳になった子どもたちが、合唱などの出し物や拙い手紙で、日頃の感謝を両親に伝えようという催し物だ。
こういう時は、普段は見せない恥じらいや戸惑いが垣間見えるものではないのだろうか。少なくともほかの子どもたちは予想通りの微笑ましさを伴った発表をしていた。ところが息子はと言うと 、隣の友達に話しかけてはぎゃあぎゃあ笑って先生に注意され、手紙に書かれた感謝は最後のあ、り、が、と、う、の五文字だけで、あとはお小遣いが少ないだとか、すぐ怒るだと言ったような文句がダラダラと述べられているだけだった。これだけ前半で文句を連ねれば、後半はそれを覆すような感謝が述べられることだろうと、少しでも期待した私が馬鹿だった。
夕方。息子ともに家に帰ると、二分の一成人式には仕事で出席できなかった夫が早上がりで帰れたのか、腕を奮った料理がテーブルに並べられていた。キッチンから漂う香りにドアを開ける前から気づいて足をバタバタとさせていた息子が、私が靴を脱いだ時にはもうテーブルについていたものだから、小学校にいた時に感じた居心地の悪さはすっとどこかへ飛んでいってしまった。
おかえり。
夫の声は、私も息子も大好きだった。低すぎなくて、平べったい声。一般的には男性の声は低い方がいいのかもしれないけど、私はこの声が好きだ。低くて丸く、飽和した声に比べ、芯の通った平べったい声は、寄り道することなく真っ直ぐ相手の心に響く。
これまでに何度、彼のこの声に励まされたことか。悲しみや怒りに震える私を無理に落ち着けようとするのではなく、彼はいつも静かに話を聞いてくれた。そして、最後に一言、心にすとんと落ちる言葉をくれる。今思えば、言葉なんてなんでもよかったのかもしれない。
最近では悲しみや怒りを感じても、時間をかけて受け入れることができるようになった。他愛のない会話が殆どになってしまったが、どんな時でも彼の声は、私や息子の心を震わせる。
声だけが理由ではないと思うが、息子は夫が好きだった。父親なのだから当然なのかもしれないが、私よりも夫の方に懐いているように思える。
三人で出かけても、いつも二人は男同士で手を繋いで私より前を楽しそうに進んでいく。その背中が少し羨ましい。それでもやはり、三人は三角に繋がれて、一つなのだから幸せだ。
普段はあまり食卓に並ばないような豪華な料理が並んだ食事を終えると、息子はリビングのソファに座ってうつらうつらしていた。夫が風呂を洗い終え、椅子に座って本を読む。私が食器を洗う。いつもの光景。変わらない、幸せのかたち。
かたちは、変わるのかな。
本をたたんで夫が零す。私の考えていたことが盗まれたような気がした。盗まれて、壊すとまではいかないものの、違和感を感じる形に歪められたような感覚。かたちは、変わらない。それが私の考え方。かたちは、変わるのかもしれない。それが彼の考え方。
変わらないよ。
そう答える私の声は、弱々しく落下していく紙飛行機のようだった。
突然どうしたの。
人とは違うものの見方をする人だから、突然不思議な疑問を口にすることは度々あった。だから今回も特別心配することもなく、そう尋ねた。
なんでもないよ。
嫌いな答え。どんな入口からどんな入り方をしても、彼はいつも出口をしっかりと見つける。ゴールとはまた違う、到達点としての出口。そして私は、彼の思考の旅に、置いていかれないように必死についていく。苦しくはなかった。彼の見る世界をもっと見れるような気がして、楽しかった。なんでもないと言われてしまったら、同じ入口を通ることさえ許されないような感覚になってしまう。それが何より悲しい。
少しでも不機嫌なのが伝わればいいと思い、息子の座るソファの前にあるテレビの電源をつける。
速報、というテロップの向こうで、ニュースキャスターの男性が少し興奮した様子でたった今届いたニュースを伝えていた。
人類滅亡。
なんだそれ。またデマの噂が流されているのか。くだらない。ただでさえ悪かった機嫌が余計に悪くなっていく予感がした。実際にはそうなる直前に、彼の声がそれを止めたのだが。
これだよ。
なにが?と苛立つ声で返すと、
かたち、変わるのかな。
少し前に聞いたばかりの疑問が、もう一度投げかけられる。
確かに、人類が滅亡するのであれば、私たちのかたちは変わる。変わるというか、もはや跡形もなく消えてしまうのだろう。でもこの手の噂はいつも杞憂に終わるし、仮に現実に起きたとして、私たちに出来ることはないのではないだろうか。原因が何なのかはわからないが、自然災害のように備えてどうにかなる話ではなさそうだ。滅亡というからには、対策した人もしなかった人も、無差別に抹消されるのだろう。
不機嫌が手伝ったせいもあって、思考はどんどん悪い方へと進んでいく。久しぶりの感覚だった。こういう時、私の言葉はとめどなく溢れていく。普段の不満も、憤りも、普段は固く閉められていたはずの蓋が外れて、容れ物ごとひっくり返してしまうかのように。
一通りの不満をぶちまけると、臆した息子は眠気などどこかへ消えたかのように目をぱちぱちさせ、そそくさと寝室の方へと逃げていった。いたずらっ子だから怒られるのには慣れているだろうが、人の感情が爆発することにはまだ対応出来ないようだ。あんなに怯える息子を見るのは、まだ幼稚園の頃に、散歩中の大型犬に吠えられた以来なのではないだろうか。制御が効かないほどに高ぶる感情の中で、変に冷静な部分が息子の成長を認める。
夫はと言うと、目を瞑ったまま私から流れ出た言葉の数々をゆっくりと噛み締めているようだった。論点に沿うものも、沿わないものも、全部ひっくるめて、私から出た言葉として咀嚼してくれる。やがて、咀嚼したものを飲み込むように、落とす。落とすよりも、置く、の方が正しいような静か言葉。
かたちは、変われるのかな。
さっきと同じようで、少し違う言葉。かたちは、変わらない。変わらないけど、変われる。落ちた。
家族のかたち、幸せのかたち、私のかたち、息子のかたち、夫のかたち。
とめどなく言葉が溢れ出たあとの歪な私を、夫は包み込むようにかたちを変えてくれる。息子も巻き込んで、一つの三角、いや、丸になろう。
人類滅亡が実現するかどうかはわからない。その結果がわかる頃には、私たちも含めて既に滅亡しているのだろう。それならば、考える必要も無い。
夫は、顔を合わせるのは今日が最後になるかもしれないというのに呑気なもので、大きな口を開けて欠伸をしている。
おやすみ。
お風呂に入ることも忘れていつもより早く寝室に入った夫は、息子とともにおやすみを交わすのだろうか。
人類が滅亡しても、かたちは残る。
そう考えると、かたちはやっぱり変わらないんじゃないか?
人類滅亡に肯定される気分も、悪くない。
頭の中をぐるぐるにかき混ぜながら、シンクに残った洗い物を磨いていく。
越えて、朝を迎えに。 屋根裏 @Atc_Strtl
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。越えて、朝を迎えに。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます