第5話 読む公主
翌日、国君が政務を終えて後宮に戻るとき、まず王妃のもとではなく恵玲の
女官達が頭を下げるなか、公主の房間に入ると、
父親が来たというのに、恵玲は立ち上がって拝礼することもせず、気づかぬように一心に手元の巻物を繰っている。
何を読んでいるのか、覗き込んだ父王はあっと声を上げた。
「――白紙ではないか」
娘はなぜか白紙の巻物を読んでいるのだった。彼女はやおら顔を上げて父親を見る。
「何も書かれておらぬ書物など、なぜ広げている?それに書き込むというわけでもなさそうなのに」
公主の傍らには、日ごろ彼女が愛用している
――娘のすることは不可解だ。
王は妻と違って心配性ではなかったから、娘が国君たる父に対してすら一片の敬語を遣ったことがないことも、説明がつかぬことを度々しでかすことも、すべて自分の度量で受け止めているつもりだった。だが、白紙の巻物とは?
娘はほぼ無表情だが、わずかに眉が上がった。
「そもそも人は、有難い
「だがしかし、公主よ」
公主は書物を慎重な手つきで巻き戻していく。
「私の運命は、国一番の占い師でも読むことができなかった。この巻物も、私達には読めないだけであって、他の者が見れば読むことができるやもしれぬ。だから、ただの白紙の巻物と決めつけることはできない」
わかったような、わからぬような話に、思わず国君は平素から厳しく自戒していること――つまり、曖昧に頷くということをしでかしてしまった。
「まあ、小難しい問答はよい。恵玲――先ほど興礼から聞いたが、そなたは昨日、後宮と東宮殿の塀の上で何をしていた?危ないではないか」
公主は立ち上がって、王をじっと見た。
「あそこから、国情を偵察していた」
大真面目な口調の答えだが、父親は思わず小さく噴き出してしまった。
「あの塀の上から?空と
だが、娘は首を横に振った。
「いや、見えるのだから仕方がない。夕刻に近かったゆえ、ほうぼうで
――もしかして、娘は本当に遠くが見えていたのでは?
今さら驚かぬとはいえ、娘の能力はこの先どこまで広がっていくのだろうか――正直なところ、やはり王は戦慄を感じざるを得なかった。
「ともかく、私は満足した。やはり王が善政を敷き、竈の煙が盛んというのは、国のあるべき姿だ」
少女がまるで高官のように天下国家を論じ、そればかりか王の政治を当人の眼前で批評することに、王は怒りではなくおかしさを覚え、だが不思議と違和感はなかった。また、長子や妻の発する
――惜しいことよ。この娘が男子であったなら。
いずれにせよ、自身の治世を賞せられていることがわかった父親の顔は、わずかに赤みを帯びた。彼は照れをごまかすため、笑みを浮かべて頷くと公主の房間を出たが、肝心の目的である縁談については、言い出せぬままに終わってしまった。
――まあ良いか、何かしらの縁があれば引き寄せられるまでだ。たとえ運命を読めぬ娘でも、いつか白紙の巻物に文字が浮き出るように、その運命も明らかになるだろうか?
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