第2話 怒らせる公主

 客人の去った後、王妃は女官達に扇を片付けさせ、窓際の椅子に座って園林にわを眺めていた。先ほどの語らいにおいて、呉氏の慰めに王妃はうなずきながらも、心は一向に晴れなかった。

 実は、呉氏は知らぬことだが、王妃の屈託は、恵玲公主けいれいこうしゅのあの不可思議な能力への恐れからも由来しているのである。


 ――我が娘、我が腹から出でし者ながら、わからぬものよ。他の公子や公主たちと同じように育て、慈しんでいるはずなのに。


 王妃の物思いを妨げるかのように、回廊の向こうから力強い、しかし苛立たし気な足音が聞こえたかと思うと、女官への取次もそこそこに、戸口を覆うとばりが勢いよくめくられた。

「母上!」

「――まあ、興礼こうれい

 としは十八、はあはあと息を切らせ、顔を赤くした自分の長子ちょうしが、帳の縁を握りしめて立っている。


「興礼、いけませんね。すでに世子冊立せいしさくりつの礼も挙げたというのに、そのように不調法なことでは」


 そのたしなめにやっと我に返ったのか、興礼は居住いずまいを正して呼吸を整え、王妃の前にぬかづいた。

「失礼をお許し賜りたく。改めまして、わたくしこと興礼が王妃ははうえにご挨拶を申し上げます」

「気遣いに感謝します、世子せいし。あなたの御身おんみもつつがなきやいなや?」


 堅苦しい親子の挨拶が終わり、やっと興礼は本題に入ったが、既に先ほどの憤懣ふんまんやるかたない顔つきに戻ってしまっていた。

「母上、また恵玲が私に無礼なもの言いを――」


 どうしたものか、いくら教えたところでその公主は敬語というものを全く使えず、たとえ父母兄姉といった尊長そんちょうに対しても何ら変わるところがなかったから、王夫妻はほとほと困りはて、長兄の興礼などは日々の怒りの種ともなっていたのである。


 何しろ、

「お前は馬鹿か」

 それが今朝、兄に向けられた妹の言葉だったのだから、興礼が激怒するも無理はなかった。


 あれこれ言い立てる興礼を目の前にして、王妃の眉間に漂う憂愁の霧が濃くなっていく。

「…わかりました。そなたにはこらえても堪え切れぬでしょうが、あれには私からよく言って聞かせるゆえ、今日はこれで退がりなさい」

「母上…」

 顏から不満をぬぐい去れぬ興礼の様子を目の当たりにし、自分の言葉に説得力が皆無であること、徒事とじであることを知っていつつも、王妃はそう息子を諭して帰すほかはなかった。今まで、何度このやり取りが繰り返されてきたのか、数え切れぬほどだ。


 興礼が回廊の向こうに姿を消すと、母は傍らの女官を振り返った。

「恵玲はどこに?」

「おそらく、園林にわ風花亭ふうかていにおられるかと……いつものように」

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