黒耀の翼

結城かおる

第1話 笑わぬ公主

 龍が駆け、鳳凰ほうおうが飛ぶこのそらの下で、人々が語り伝えてきた昔話をひとつ――。


 天子様てんしさま京師みやこから遠く、一千華里いっせんかり(注1)ばかり離れた辺境の地。そこに、いにしえの天子様の末子すえごによって開かれた、ある小さな御国みくにがある。

 開闢かいびゃくして以来三百有余年、その国人は白いからすを神として崇め、狩りに畑にと精を出し、代々その国を守ってきたのである。


 さて、何代目の国君こっくんの御世であったか、御方おんかたに三の姫君がお生まれになったとき、国一番の占い師でさえも、その運命を読むことはできなかったという。



「――さすがに宮中でお作りになった扇は、拝見していても並のものとは違いますね。この描かれた牡丹の繊細なこと美しいこと、またこちらの蘭のたおやかなさまといったら、一たびあおげば、たちまち香りが立ち上りそうではありませぬか、王妃様」

「まあ、嬉しいこと。趣味の高い天山夫人てんざんふじん誇賞こしょうに預かり、恐縮ですわ。どれでも、気に入ったものがありましたら、一本と言わず幾本でもお持ちくださいまし」


 王妃から「天山夫人」と呼ばれた中年の女性は呉氏ごしといい、王弟の妻である。いま彼女は、王宮で義姉ぎしとともに扇の品定めをしているところであった。


 ――宮中出来きゅうちゅうできの良い扇がありますので、ぜひ夫人にも一本お持ちくださるように。


 天山府てんざんふにやってきた使いの口上はこうだったが、呉氏には王妃が自分を王宮に呼ぶ、その真の目的がはっきりと見えていた。


 彼女は日を選んで参内さんだいし、王妃に久闊きゅうかつを叙しつつ拝礼を行うと、妃は答礼もそこそこに、女官長に盆を持ってこさせた。見ればその上には美しく、細工に趣向を凝らした幾本もの扇が並べられている。

 天山夫人は、王妃とは歳もひとつしか違わず、また彼女達の夫、すなわち王と王弟もまた幼少より互いに親しんできた間柄ということもあって、今日こんにちまで変わらぬ交情をはぐくんできたのである。


 いまも彼女は王妃に勧められるまま、窓にほど近い紫檀したんの椅子に腰を落ち着け、まず茶菓を喫したあとで、卓上に広げられた幾本もの扇を、女官ともども賑やかに批評していたところであった。


「…恵玲けいれいのことはもうあきらめていますけれどもね。何しろ一応は尋常に相手の言葉を解し、また自分からも言葉を発することができるのですが、その表情はまるで石そのもの、『あの烏』と何やら話したり、戯れたりするときだけですわ。笑顔を見せるのは」

 王妃に釣られて、つい呉氏もため息をついた。

「王妃様、それはいたし方のないことでございましょう。恵玲公主様は生まれてよりこの方、ごく少数のものを除き、人とはほとんど交わりを持たずに過ごされておいでなのですから…」

 そうやって憂鬱ゆううつげな王妃に懇々と諭した後、呉氏は扇を拝領した礼を述べて後宮を辞した。


***

注1「華里」…中国の里程。時代によって異なるが、本作では1里約500メートルと考えられたし。

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