発端(二)

「今日、集まってもらったのは、四月にある新入生歓迎会の事なんだけど」

「ああ、あの実質はただの部活紹介イベントの」

 本題を切り出した伶葦茅に、りんどうが口を挟んだ。確かに『新入生歓迎会』と銘打ってはいるものの、実際には部活勧誘を目的としたイベントになっている。運動部のつまらない寸劇などはまったく見所がない一方で、文化部にとっては貴重な発表の場だ。特に軽音部などのステージを必要とする部にとっては、体育館のステージで発表できる機会が文化祭とこれくらいしかないので、気合の入り方もまったく違う。新入生にとっても実際に楽しめるのはこっちの方だ。そのお陰で『歓迎会』という体裁も整う、と言っていいだろう。もっとも、パフォーマンスの質は問われることになるが。

「メディア芸術部として、何をやるかそろそろ決めないといけないんじゃないかと思って。映像作品を上映するなら、制作期間2ヶ月は決して余裕があるとも思えないし」

「伶葦茅は映像作品前提で考えてるよね?」

 笑顔でそう言ったりんどうの後に、

「私だって映画しか頭にないけど」

 と仏頂面で言ったのは、百合架だった。機嫌を損ねて話に入ってこないかもしれないと思っていたけれど、流石にそこはクリエイターという事なのか、切り替えてきたようだ。因みに、花菱百合架はいつも不機嫌そうな顔をしているので、不機嫌そうにも見える今の態度は寧ろいつも通りだ。

「じゃあ、映像作品を上映するという事でいいかな?」

 伶葦茅のその発言に、異論は出なかった。出来レースと言っては言い過ぎかも知れないが、現在のこの部は映像作品を制作する為の体制が出来上がっている。役者の若菜苺に、脚本家の花菱百合架が加わったからだ。特に、花菱百合架は理由ワケあって映画研究会から移ってきたので、映画しか頭にないのだろう。

 本当のところ、うちはあくまで〝メディア芸術部〟であって、映研とは違う。多様なメディアの中の一形態として『映画』というものがある、という認識でいいだろうか。スタンスとしてはあくまで『映画を撮ることもあるよ』といった感じだ。また、伶葦茅は『映像作品』と言い、百合架は『映画』と言ったが、厳密に言えば両者は性質の異なるものだ。伶葦茅の言う『映像作品』とは、例えばビデオアートなんかも含まれている。そこら辺がメディア芸術部たる所以と言える。しかし百合架はおそらく〝映画の脚本を書くつもり〟でこの部に来たのだと思う。その辺りの齟齬が、今後問題にならなければいいが。 

 

「じゃあ、そういう事で、企画を考えていきたいんだけど。来週までには企画を決めたいんで。それまでに各々で考えてきて欲しいんだけど……」

 伶葦茅の頭には、今日告知をして来週企画の決定、というスケジュールが既にあったようで、予め用意してあったかのように一方的に告げた後、

「えーと、もし今、何かあったら」

 と言い足した。それは、「今何かアイデアがあったら」なのか「質問があったら」なのか、いや両方の意味だったのかも知れないが、

「ちなみに去年は何をやったの?」

 と、百合架がすぐさま尋ねた。

「え? 百合架ちゃん覚えてないの?」

 苺が意外そうに言った。

「あれは衝撃的だったね」

 苦笑しながら僕が応じるが、百合架はなんの事だか判らないようだ。なので、僕が説明することにした。

「去年はステージパフォーマンスだったんだよ。それがさ、客席の一年生が何人か拉致られて、もう騒然だったよね」

 うんうん、と百合架以外の三人が苦笑交じりに頷く。

「え? あれってメディア芸術部だったの?」

 そう驚く百合架に、りんどうが、

「あ、知らなかったんだ」

 と言った。

「だって、入学したばかりでこの部の事なんか全然知らなかったし……そもそもイメージが結びつかないし」

「まあ確かに」

 苦笑いを少し浮かべてりんどうが応じると、伶葦茅が矢張り苦笑交じりに、

「三年生が引退して大人しくなった、みたいに言われるしね」

 と言い、二人のやりとりが続いた。

「え? そんな事言われたの? 誰に?」

「生徒会長とか?」

「ああ」

「……生徒会長って、あの縦ロールの?」

 生徒会長は、現在の在校生の中では一番の有名人だろう。百合架のその質問には何を今更と感じたが、伶葦茅は百合架がどうこうではなく、〝縦ロール〟に食いついてしまった。

「立派な縦ロールだよね」

「…ね」

 思わず噴き出しそうな笑顔で答えたのは、りんどうだった。別に、生徒会長の縦ロールを馬鹿にしている訳ではない。伶葦茅の、あまりに純粋に縦ロールに感心している様が可笑しかったのだろう。

 伶葦茅の縦ロール談義でも始まるかと思ったが、当の伶葦茅はあっさりと冷静な態度に戻って、話を続ける。

「まあ、生徒会長はいかにも『品行方正』って感じの人だから、良い意味のつもりで言ったんだろうけど。僕なんか寧ろ、大人しくなったなんて言われたら、『物足りなくなった』みたいに感じちゃうけどね。60年代辺りのアートシーンであった『ハプニング』とか、僕はわりと好きなんでね。去年のあれは、そういう前衛芸術の流れを感じられて、良かったと思う……拉致られるのは嫌だけどね」

「ね」

 伶葦茅の最後の一言に、りんどうや苺は笑っているが、僕としては「いや、今、伶葦茅もっと大事な話したよね?」という気分だ。『ハプニング』は戦後の前衛芸術を語る上で重要なのに、あっさりスルーされてしまった。

 そして、萩生りんどうが話し始めた。

「私も、自分が拉致されなくて良かったなとは思うけど、あれを観た時、『寺山みたい』って思ってね。この部に興味を持ったよ」

「ああ、天井桟敷だよね? 確かに、寺山の演劇であれと似たような事をやったっていう話はネットで見た」

「さすがヨウちゃん、詳しいよね」

 りんどうは普段ならこうやって、男子をヨイショするような言動はまずしないのだが、恐らくは同年代の女子にはまず通じないような話が、僕には通じたことが嬉しいようだった。僕もそれは悪い気がしないので、寺山の話題を続ける。

「りんどうさんは、寺山が好きなんだよね?」

「うん。と言っても、私は寺山の短歌が好きなんだけどね。演劇や映画の事はあんまり詳しくないんだけど、やっぱりネットでちょっと調べたりもして。へぇー、こんな事やってたんだなあ、なんて思っていたら、この高校に入学してあれを観て。あ、寺山だ、って思ったのがこの部に入部したきっかけ」

「そうだったんだ。正直、りんどうさんの短歌とメディア芸術部がどう結びついたのかが疑問だったんだけど、『寺山つながり』という事なら確かに納得」

 萩生りんどうは、歌人である。

 メディア芸術部の部員は、僕を除いて、一芸(あるいは二芸三芸)のある人たちだ。伶葦茅は絵画と映像、苺はお芝居、百合架は脚本、というように。そんな中にあって、りんどうの『短歌』だけは、どうしてもメディア芸術部にあっては異質なものに思えていた。言ってみれば、こっちは最先端アートだ。それに対して、むこうは万葉の時代から続く伝統的文学。僕にしてみたら混ざり合うことのないように思えたこの両者が、確かに寺山によってつながる。僕は俄かに、興奮すら覚えた。

 伶葦茅もこの話題に乗ってくる。

「僕も、部長は寺山の影響を受けているんじゃないかなとは思ってたんだよね。寺山が監督した映画『田園に死す』を観た事があるんだけど、部長の映像作品と結構イメージが似通った部分があったりもして」

「え、伶葦茅、寺山の映画観た事あるんだ!?」

「うん」

「伶葦茅が寺山に興味があるなんて初耳だけど」

「僕としてはやっぱり実験映画とか興味あるから、ATGなんかは押えときたいわけで」

「AT…? ごめん、わからない」

「まあ、そうだよね。昔あった映画会社なんだけど、『娯楽作品より芸術作品』って方向性でやってて、実験的作品も多くてね。で、寺山の映画もそこのなんだよ」

「そうなんだ。百合架は知ってた?」

「…聞いた事はあるような……ええと、和製ヌーベルバーグとか?」

「〝日本ヌーヴェルヴァーグ〟と呼ぶのが正しいとは思うんだけど、大島監督とかね」

 そう言った僕に、伶葦茅が頷く。

「大島監督もATGで撮ってるよね。僕は、鈴木監督とかも観たけど」

「葵君、意外と映画色々観てるのね」

 百合架の言い方は、感心しているのかバカにしているのかよくわからない。

「勉強になるからね。映像の勉強をしようと思うなら、映画をたくさん観るのが一番だから」

「それより、寺山の映画と部長の作品がどう似ていたのかが気になるんだけど」

 焦れるように、りんどうが言った。伶葦茅が今、折角いいこと言ったんだけど、りんどうは映画についてはまったくの素人のようで、伶葦茅と百合架の映画談義にはついていけない。ただ、それに引け目を感じるようなタイプではないし、寺山の映画の話を伶葦茅から聞きたい気持ちが勝っているのだろう。

「そうだね……具体的には、振り子時計とか?」

「〝柱時計〟ね」

「…ん? 同じ物だよね?」

「寺山の有名な歌に〝柱時計〟って出てくるから、寺山ファンならそこは振り子時計とは呼ばない」

「……そうなんだ」

 困惑気味に伶葦茅が答えた。いや、少し間があった以外、態度には出していないが、多少困惑はしていたのだ。伶葦茅は意外と、そういうこだわりがない。誤解を恐れずに言うなら、『他人の作品に執着がない』のだ。

 りんどうはそんな事は気にも留めず、話を続ける。

「でも確かに、部長の作品で、壁に幾つも柱時計が掛かっているシーンがあったよね…あの時計ってどこから持ってきたのか気になる」

「部長の私物? っていうか、あれ部長の自宅っぽいけど。あれだけあると、やっぱりコレクションで集めてるのかなって感じだよね」

「ね、そうだね」

 りんどうのその同意からは、『部長は寺山好きが高じて柱時計をコレクションしてるんだ』という気持ちが感じとられた。本当はどうなのか、わからないのに。

 りんどうと伶葦茅の話は更に続く。

「寺山の映画ではやっぱりその柱時計を横抱きにして枯野を歩いていたりするの?」

「ん? ええと、そんなシーンあったかなあ? 僕が言ってるのは時計が画面一面にたくさん出てくるシーンの事なんだけどね、そんなによくは憶えてないから」

「時計がたくさんなんて余計、部長の作品みたいだね」

「あと、赤紫色がかった画面とか? 怪しげな登場人物だったり? 構図だったり、あとは雰囲気的な部分。……やっぱり、部長って寺山の影響を受けているのかな? 『田園に死す』を観てかなりそう感じたんだけどね」

 伶葦茅がそう言うので、僕は「本人に訊いてみたら?」と言った。

「いや、でも訊けないよ。『あれって寺山のパクリですよねww』みたいに聞こえちゃうかもしれないし」

「あー、それはちょっと恐いね」

 りんどうも同調する。

「もしもたまたま似てるだけなら、そう言われるの面白くないだろうし。どっちみち、既存の作家の影響なんか指摘しても本人はあんまりいい気分しなかったりするでしょ」

 伶葦茅の言葉に、そういうものかもなと、僕も納得する。ただ、例えば僕は伶葦茅の作品に対して、そういう事は気軽に言えるし、伶葦茅もそれで気を悪くする事はない。そういう意味では、部長に対して何か壁のようなものがあるのかもなと、ふと思った。本音をぶつけられる間柄ではないということなのか。もっとも、一年生にとって三年の先輩というのは一般的にそういうものなのかも知れない。余程図々しい性格でもない限り、無遠慮に話したりはなかなか出来ないだろう。

「ところでさっきから気になっていたんだけど……」

 百合架が切り出した。

「部長、部長って言ってるけど、引退した三年生の事だよね? もう部長ではないのでは?」

「ああ…」

 と、伶葦茅が苦笑いを浮かべる。と言っても、普通に微笑んでいるように見えるけど。

「正確には〝前部長〟なんだけど、やっぱりどうしても僕たちにとっては、いつまでも『部長は部長』みたいな?」

「そうだよね」

 伶葦茅にりんどうが、矢張りほんのり苦笑いで同意する。

「二人がそう言うなら、構わないけど」

 百合架はまったく知らない相手だし、どういう呼び方をしようと、関係がない。ただ、紛らわしさはあったので、確認しただけなのだろう。僕や苺も、去年の秋以降に入部したので、実は前の部長の事はよく知らない。ただ、伶葦茅とりんどうが事あるごとに「部長が――」と話していたので、すっかり『部長』で定着している。

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