発端(一)

 あれは二月の、雪の少し舞っている寒い日だった。

 僕達はまだ一年生だったけど、二年生の部員がいなかったので、三年生がとっくに引退してしまっているこの時期、ここメディア芸術部の中では僕達が既に「最上級生」であり、ゆえに活動の中心にいた。

 暦の上では春とは言え、こうも寒いと春の訪れはまだまだ先の事としか思えない。四月には二年生になる、という実感はまだ湧かないでいた。

 けれど、部活動に於いてはそんな呑気な事も言っていられなかった。四月には新一年生が入学してくる。「新入部員の勧誘」はどこの部においても切実だ。特にうちのような人数の少ない部では存続に関わってくる。

 もっとも、「まだ一年生」の僕達は、そんな危機感もいまひとつ希薄だった。「新入部員の勧誘」という本来の目的よりも、それに関するイベントで作品を発表する事そのものが、僕達にはよっぽど重要だったのだ。

 


「――ところで、私の脚本は読んでくれたの?」

 部員が五人集まったのを見計らって、そう切り出したのは、最近になって入部したばかりの花菱百合架だ。

 今日は部の集まりという事で、部員全員が召集された。部によっては「部会」とか呼ぶらしいが、うちの部では特に決まった呼び方は無い。

 花菱百合架は脚本家だ。通常、まず企画会議で企画を通して初めて作品制作がスタートする。脚本の執筆はそれからだ。だが勿論、ある程度の本数のシナリオを書かなければ上達しない。熱意があるなら当然、映像化のあてがなかろうが脚本を書き上げ、こうして売り込んでくる。それ自体は、好ましいことだろう。

「うん、読んだよ。とても良かった! 特にラストシーンは感動するよ!」

 真っ先に感想を言ったのは、萩生はぎうりんどう。女子同士やたらと褒め合う光景はよく目にする。本音は別としても、相手を持ち上げて気持ちよくさせる事で懐に飛び込むというコミュニケーション術なのだろう。

 でも、りんどうは本音をはっきり口にするタイプだし、寧ろうわべで取り繕った「フレンドリーな感じ」を「馴れ合い」と嫌っているようでさえあった。こういった部には珍しく社交的な、まさに「フレンドリーな」タイプなのだが、それは日本人的というよりも欧米的な価値観に近いもののように思える。

 そんな彼女が褒めているのだから、それは率直な感想なのだろう。気に入らなければ気に入らないとはっきり言うし、時に辛辣ですらあるので、伶葦茅れいいちなどは内心どこか怯え気味な時さえある。

「伶葦茅はどうなの?」

「そうだねえ・・・」

 葵伶葦茅は熟慮タイプだ。慎重に言葉を選ぶ。口数が少ない、大人しい性格だと周囲からは思われがちだが、言葉を選んでいるうちに発言する機会を逸しているのというのが本当のところだろう。

 りんどうと伶葦茅は入学当初からの部員なので、僕よりも付き合いは長い。なので、りんどうも伶葦茅のそういう部分は解ってきていそうなものだけど、少し急かしているように見えた。

 伶葦茅は相手の態度に敏感だ。りんどうは特に態度がはっきりしている方なので、いつも知らないうちに伶葦茅にプレッシャーを与えている。

 もっとも伶葦茅は、ただでさえプライドが高い上にポーカーフェイスでもあるので、動じている様子は見せないけれど。因みに彼の「ポーカーフェイス」というのは、「無表情」とは違う。

 葵伶葦茅はいつも微笑んでいる。

 それは実のところ「作り笑い」なのだが、それを見破る事の出来る人間は極めて少ない。「笑顔で人と接する」というのはコミュニケーションスキルとしては常套手段なので、それ自体はなんら特異な事ではない。だが彼の微笑みは、人懐こさを演出する為のものではなく、あくまで「表情から心の内を読まれる」ことを避ける為のものに思える。つまり、あの微笑みこそが彼のポーカーフェイスなのだ。僕に言わせればあれは『不敵な笑み』なのだが、周囲からは単に温和な表情に見えているらしい。よく見ると、目が笑っていないのだけれど。

 伶葦茅の目は、いつも澱んでいる。

 しかし、目つきが悪く周囲にマイナスの印象しか与えない僕とは対照的に、彼の目元は実に柔和。彼自身に言わせれば「タレ目がコンプレックス」との事なのだが(ここも僕とは真逆!)、それによって周囲に温和で穏やかな印象を与える。「気が弱いと思ってなめられる」事もあるそうだが、少なくともそれは善意を持っている相手にはマイナスとならない。

 その上、伶葦茅の目は決して大きくはなく、笑うと更に細くなるので、その瞳の澱みに気がつく程の観察眼を、多くの人間は持ち合わせていないだろう。もっとも、彼の事をそこまでよく見ようとする人間が果たしてどれくらいいるだろうか、という事の方が大きいのかも知れない。

 暫くの間の後、伶葦茅が言葉を続けた。

「シナリオの出来としては良いと思う、正直、驚いたくらいで…」

 葵伶葦茅は滅多に人を褒めない。リップサービスというものが大嫌いなのだ。

 もっとも普段は、本音を口にする事がとても少ない。角が立たないように、波風が起きないように、気を遣うタイプだから。それでいて、心に無いような事は決して口に出来ない。なので、普段は適当に流す事で人間関係をなんとか乗り切っている。

 だが、創作活動に関してはそれが一変する。そこにだけは、創作活動だけには真摯に向き合う彼なりの信条のようなものが、適当な言葉でお茶を濁す様な行為をはっきりと拒絶するのだ。などと言えばちょっと恰好良いけど、要は思い入れが強すぎて本音が隠せないという事。良いと思えば良いと言う一方、ダメ出しは全く躊躇わない。

 そんな伶葦茅が、百合架の脚本を褒めている。ただ、「シナリオの出来としては」という言い方には含みが感じられる。最初は持ち上げても、あとでもしや……

「ストーリー展開というか、構成が工夫されていて良いと・・・思います」

「思います? なぜ急に丁寧語?」

 りんどうが笑ってツッコミを入れた。フランクなりんどうと違って、伶葦茅はまだ知り合ったばかりの百合架に対して、どういう口調で話せばいいか、迷っているようだった。

 だからと言って、物怖じして甘い評価になる事はまず有り得ない。

「だけど、不採用という事で」

「えっ……!?」

 今日一番はっきりとした口調で否定した伶葦茅に、百合架が少し驚いたようだ。同時に、納得し難い様子で、

「何がいけないのか、解らないんだけど」

 いかにも不満そうな口ぶりで言い放つ。

「こんな甘あまな恋愛モノ、映像化するのは無理なので」

 そうなのだ。百合架の書いたシナリオは、紛う事なき純粋なラブストーリーだ。正直僕なんかは、読んでいるだけで気恥ずかしくなってしまった。高校生が部活でこれを撮るのは、当然支障があるだろう。

 だが百合架には理由が理解できないようで、

「なんで無理なのか、解らないんだけど!」

 と必死に食い下がる。相手の無理解に対する不満を隠そうともしない。

「いや…だってね、恋愛モノだと、演じる人間も恥ずかしいと思うんだよね。プロの役者じゃないんだし、高校生にはハードル高いっていうか」

「私は大丈夫、やれるよ」

 若菜苺わかな いちごが初めて口を開いた。いや、そもそもいつからここにいたのか、というくらい存在感のない、おとなしい女の子だ。そんな普段の彼女からは想像も出来ないが、演劇部との兼部の彼女は実は、国民的人気演劇漫画のヒロインすら彷彿とさせる演技派女優なのだ。「こんな役は恥ずかしくて出来ない」などという台詞が彼女の口から出ること自体が有り得なかった。

「だったら問題ないじゃない」

 味方を得て百合架は勢いづいた。ここに来て伶葦茅は困惑の表情を隠せなくなってきて、

反論するのに余裕が若干なくなってきた様子だ。

「一人芝居じゃないんだし、苺ちゃんがOK出したから出来ますよって事にはならない。

他のキャスト組むの難航すると思うよ」

「難航も何も、今のここの部員だけで一応カバーできるように登場人物は絞ったんだけど。前作も、監督が俳優を兼ねたりしながら撮ったんだよね?」

 百合架の口調は、そもそも反論を認めないかのように、熱を帯びながらも冷たい。

 

 ――だが、今の百合架の言い分には一理ある。現在の部員数は新加入の百合架を含めても五人だ。キャスティングに難航も何もない。このメンバーでやり繰りするしかない。伶葦茅は部外に出演を頼むという事も頭にあるようだが、現実的には、マイナーな我が部に協力しようという生徒が果たしているのだろうか。そもそもうちは映画研究会ではない。メディア芸術部だ。メディア芸術、いや「メディアアート」と言った方がより御幣はないのだが、表現形態としては実に広汎である。映像表現はその中の一形態にすぎないし、厳密に言えばそれは「映画」ではない。時には僕達自身、それを『映画』と呼ぶ事もあるのだけど、それは便宜上の理由によるものだ。一般の人に「これは『映画』です」と説明した方が解って貰える、ただそれだけの事だ。

 映画研究会ではない僕達には、本格的な「映画」を撮るだけの態勢がない。それは人員的な問題だ。架空都市高校には別に「映画研究会」が存在しているが、むこうはその人員だけはしっかり確保している。本格的に映画を撮ろうと思うなら、実はそこが最も重要なのだと、伶葦茅も言っていた。

 とにかく、うちは少人数なのでどうしても「スタッフ兼役者」となってしまう。つまり登場人物が五人いれば、ど素人の僕でさえ演技をしなくてはいけなくなるという事なのだ。

 

 そして伶葦茅は、一瞬呆れたような顔をして、

「僕にはこれ、無理だ」

 そう言い放って僕を見た。

「…僕も、ちょっと……」

 伶葦茅の視線が同意を促しているのは解ったが、僕は百合架の強い態度に物怖じしてきっぱりとは拒絶できなかった。内心では絶対やりたくないのだが。

「まあ、そうだよねぇ」

 りんどうが、伶葦茅や僕に理解を示す言い方をした。同意とも受け止められるが、「その気持ちも解らないでもないよ」という、違う立場から理解を示す言い方にも聞こえた。自分に出来るかどうかは言っていないのだ。

「意気地がない! 映画撮るのに、恥ずかしいから無理とか、その程度の気持ちでやってるわけ!?」

 百合架が語気を荒げた。

 人に言われて最も腹が立つ言葉のひとつが間違いなく「意気地がない」だ。特に、女子が男子に言うとひときわ神経を逆撫でする。伶葦茅にもそんな人並み男子並みな感情があるのか、かなり腸が煮えているようだった。いや、ここは寧ろ伶葦茅なら、創作活動に対する姿勢を「その程度の気持ち」などと言われるほうが許容出来ないだろうか。

「だいたい、キスシーンがあるわけでもないのに」

「あってたまるか!」

 遂に伶葦茅が声を荒立てた。こんな感情的な伶葦茅を目にするのは滅多にない事なので、りんどうも苺も驚いた様子だ。ただ、知り合って間もない百合架にとっては何という事でもなく、怯む様子もない。

 かえって伶葦茅の方が、「しまった」というような、ばつの悪い様子に見えた。普通の人間であればこの程度の感情的な態度はどうという事もないが、伶葦茅にとって感情を露にするという事は、折角今まで作り上げてきたポーカーフェイスを台無しにする行為だ。

 しかしそんな後悔が、伶葦茅に冷静さを取り戻させた。

「そもそも、このヒロインは恋愛に盲目的過ぎるんじゃないか? だから余計、気恥ずかしさが増すんだ」

 落ち着いた口調で伶葦茅は言った。

 確かにそうなのだ。このシナリオを読んだ時の「気恥ずかしさ」の一番の原因はそこだろう。もっとも、そこさえクリアすれば、恋愛モノでも採用出来る、という事ではない。矢張り、恋愛モノというジャンル自体が、高校の部活で撮るには相応しくないだろう。そこははっきりさせた方が、後々齟齬が生じないと思うのだが、伶葦茅としてはこのシナリオの問題部分を指摘する事で、反論する余地を潰したいのだろう。

 けれど、百合架はまったく納得しない。

「盲目的? この程度で? このヒロインは自分の気持ちに素直なの。真っ直ぐなの。こんな純粋な恋する気持ちを、まさか盲目的だなんて…」

 百合架の言い方は相手を見下しているようだった。けれど、冷静さを取り戻した伶葦茅はこれ以上感情的な態度は見せなかった。いや、呆れてしまって論じる事自体バカバカしくなってきたのだろう。なんの感情も織り交ぜないで言い放った。

「恋愛脳…」

「っ・・・!?」

 百合架は言葉を失った。いや、恋愛脳と言われて相当頭に来ているかも知れない。それが揶揄する言葉だという事は解っているから、言われて快くはないだろう。だが、本当に恋愛に至上の価値を見出しているのだとしたら、否定も出来ないだろう。せいぜい「そんな言い方はないんじゃないか」くらいしか言えない。或いは「それの何が悪い」と開き直るか。これ以上は不毛だ。何より、伶葦茅の態度が、「この話はこれで終わり」だと無言で告げている。

「それじゃあ、今日の本題に入りたいけど……」

 その一言で、場の空気が切り替わった。

 百合架はそれでもまだ納得できない態度だった。けれど、言い方は悪いが『新参者』の百合架に部内での主導権はない。部の中心的存在である伶葦茅が「この話はこれで終わり」だと言えば、そこまでなのだ。

 特に今回の件で言えば、りんどうも苺も、伶葦茅に積極的に肩入れしないものの、百合架のシナリオの採用が現実的でない事は解っていただろう。二人とも「恋愛脳」というタイプには見えない。百合架が必死に食い下がるのに内心苦笑いしつつ、険悪な雰囲気に迂闊に口も挟めなかった、というところだろうか。伶葦茅が率先して話題を変えるというなら同調しない理由は無かった。

 もしも伶葦茅が感情的な応酬を厭わなかったら、今回の集まりは完全にぶち壊しだっただろう。伶葦茅の百合架に対する今の本音が「痛い女!」だという事は僕には解る。それを何とか抑えて「恋愛脳」程度のソフトな言葉で済ませたのだ。

 日を改めて、という選択肢も有り得たが、それでは気まずさは消えない。とにかくこの空気はリセットしたい、というのが百合架を除く全員の一致した気持ちだ。あっさりと、一瞬で空気が変わった。空気読めなさそうな百合架にも、それは伝わったらしい。拒む事はしなかった。

 

 ――こう書いていると、なんだか険悪な雰囲気の部だな、と思われるかもしれないが、しかし議論の中身の稚拙さはともかくとしても、こういった激しいぶつかり合いは、いかにもクリエイティブな集団らしい気もして、僕としては決して嫌な気持ちではなかった。百合架は百合架なりに、自分の表現したいものが明確にあって、そこは譲れなかった、というだけの事なのだろう。百合架が部活やめるかも、という心配すら、彼女のクリエイターとしての高い意識を侮辱するものに思えた。

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