どこかできみの声がする

わたなべひとひら

どこかできみの声がする

「…ひさしぶり。


 実は伝え忘れていたことがあって。


 いや、言うつもりはなかったんだけど、


 今さらかもしれないけど、


 気づいていたかもしれないけど、


 ぼくはきみのことが好きだった。」




 *




 学校が死ぬほど嫌いだった。いや、それは嘘かもしれない、なんだかんだ毎日通っていたから。でも、死ぬまででないとしても、この世で一番嫌いなのは学校だ。

 クラスにぼくの友達はいない。というか校内にそんな人はいない。そもそも今までいたことがない。1日の中で1度も話さないこともざらにあった。


 でもそれでいい。


 傷つけたり、傷ついたり、そういうことからは離れた場所にいたい。そうすればきっと世界は美しいまま、ぼくに寄り添ってくれるはずだ。



 どんっ



「あー、わりぃわりぃ、縮こまりすぎて認知できなかったわ~」

 背中に強い衝撃を受けた。その主はいわゆる不良だったり、問題児だったりした。つまるところ、ぼくはいじめられていた。


「ん?ちげぇなぁ、謝んのはおめぇかあ!ほら、土下座でもなんでもして見ろや地味男くーん!」

 ぎゃははははは!と複数の笑い声が重なる。困ったことに、これをひどいと思う人はゼロに等しくて、むしろ笑っていない人なんていないんじゃないかってほどだった。


 教師はもちろん関わってこない。問題が公になることを恐れた。ぼくも誰にも言わなかった。


 世界はいつの間にか美しいものではなくなった。

 そこにあるのは絶望と雨と痛みだった。




「すみませーん!とってくださーい!」

 絶望的な毎日で、ひとりの時間は絶対的なぼくの領域だった。誰にも邪魔されない、自分のための時間だ。


 日が落ち、あとは暗くなるだけだった放課後、転がってきたボールが2メートル先にある。今はぼくの時間だ、邪魔はさせない。イヤホンをしたまま無視して通りすぎる。どうせ誰かが拾うだろ。そうじゃなくても、声をかけてきた彼女自身とかが。


「ちょっと!ボールくらい拾ってくださいよ!」

 いつの間にか彼女はぼくの前に現れていた。右に左にと避けて帰ろうとするのに、その度に前を遮る。さすがにイラついてイヤホンをはずして反論する。


「なんのつもりですか!帰りたいんですけど!」

「こっちの台詞です!ボール拾ってくれるまで通しません!」


 男子にしては背の低いぼくと、女子にしては背の高い彼女の背丈はほぼ一緒だった。その後、睨み合った結果、ぼくはボールを拾いに戻った。


「はい、どーぞ!これで満足ですか!もう帰らせてください!」

 彼女に睨みをきかせていると、ふとその表情が和らいだ。

「なんだ、やっぱり反論できるんじゃないですか」


 オレンジと紫がかった青が混ざる空の下、彼女は闇に負けない花のような笑顔を見せた。




 *




「あっ、今帰り?一緒に帰らない?」

「……いいですけど、何か用ですか?お金はないですよ?」


 そのボール事件以来、彼女がソフトボール部員で隣のクラスであることを知った。その後も帰り際のぼくにわざとボールを転がし、返ってくるまで付け回す行動は続いた。そのうちさっさと返すことで回避するようになったが、気に入らないのか普通に話しかけてくるようになった。


「別に部活終わりにジュースが飲みたいなんて、1ミリも思ってないよ?ね?全然だよ?ね?」

 その顔には完全に“ジュースが飲みたい”と書かれていて、負けるように買うことがしばしばだった。


「はい、“もっさ”も!」

“もさもさの頭”だから“もっさ”となかなか嫌がらせのあだ名で呼ばれていたのに、そこに悪意は感じられなかった。愛称というに相応しいあたたかさが、そこには込められていたのだ。


「え、でもそれ、さっき飲んだよね…?」

「ありゃ、だめだった?潔癖?」

 潔癖なわけじゃない。もしそうならこんなもさもさの清潔感のない髪型はしないだろう。だからそうじゃなくて、単に間接キスが恥ずかしかったのだ。


「いただきます。」

 あえてジュースを飲んだ。冷たい炭酸水が喉にもたらしたのは刺激だ。それはシュワシュワした感触だけでなく、間接キスという刺激。

 今思えば、これがきみを意識し始めた決定打だったんだ。




 *




「もっさ、今日コロッケ食べて帰らない?駅前の、おいしいんだよ」

「あんたまたもっさくんと帰るの?ごめんね迷惑かけて」

「いえそんな…むしろみなさん一緒に帰らなくていいんですか?」


 ぼくは彼女の影響力により、ソフトボール部の女子と話すようになっていった。滅多にないけど校内ですれ違えば挨拶をしてくれるまでになった。それだけで絶望感は緩和され、美しさを取り戻し始めた気がする。


「じゃぁじゃぁ、みんなでコロッケたべいこ!」

「賛成!」


 彼女とぼくの帰り道に、いつしか3人のソフトボール部員がときどき加わるようになって、一段と賑やかになった。


「いいよね、もっさ!」

 彼女は太陽の下だと一段と輝きを増す気がする。それは昔習った言葉を体現しているようだけど、どんな言葉か思い出せない。




 *




「もっさ、あのね、今日は桜井と一緒に帰るね!」


 そういって両手を合わせる彼女は少し照れたように申し訳なさを表した。


「別にいいけど。」

「ほんと?実は桜井と付き合うことになりまして!ははー、一緒に帰ろってさ!」


 付き合う。

 彼氏。

 彼女。


「おーい、ごめん待たせた…って、え!?こいつあのいじめられっこ地味野郎!?お前こんなやつとつるんでんのかよ」


 どうやら彼がその桜井くんらしい。ぼくをみるなり笑いをこらえたような驚愕するような、それはなんとも言えない顔をしていた。

 そりゃぁそうだ、ぼくなんて日陰の湿地、石の下でひっそりと暮らし、ときどき子供に見つかって遊ばれて命を落とすような虫けらにすぎない。


「ちょっと桜井!」

 彼女は掴みかからん勢いで桜井くんの前に出た。結果、ぼくと桜井くんの間に入る形になり、あのボール事件ばりの力強さと気合いで言う。


「もっさはねぇ、そうやってあんたがしたみたいに悪口いったりしないんだから!ジュース買ってくれるんだから!実は大きい声で私に反論できるんだから!そういうとこ、あんたの悪いとこだよ!」


 そういうと、フン!と鼻をならして桜井くんを睨んだ。桜井くんは(おそらく)付き合ったばかりの女の子にそう言われ、ショックを受けたように項垂れた。



「ぶはっ!」



 やば、吹き出しちゃった。

 彼女はびっくりしてこっちを向き、桜井くんは泣きそうな顔でこちらをみた。

 ぼくもあのとき論争にならなかったら、こんな風に項垂れたんだろうか?


「女の子が、フン!、て、いうのは、っはは、よくないと思うよ」

 笑いをこらえているとゆらりと彼女の怒りの矛先がぼくにむかってきた。


「よ、よし!帰ろう!な!」

 それを見た桜井くんが必死に腕を引き、全力で帰らせる。


「離せ桜井!わたしはっ、あいつをっ、許さん!」

「さっきは悪かった、もっさ!こいつ連れて帰るから許してくれ!」

 ちょっとしてやったり顔の桜井くんはいつの間にか元気になっていた。彼らに右手を振る。


 こんなふうに彼女の後ろ姿を見るのは初めてだ。いつもは隣にいるから。


 ずきん。


 あれ、おかしい。ぼくの世界の絶望と雨と痛みは弱くなっていったはずだったのに。今さら、強い痛みが、それも彼女から感じるなんて。




 *




 彼女と一緒に帰ることは確かに減った。でもその代わり、挨拶をする知人に桜井くんが加わった。彼も例外なく“もっさ”と呼んだ。いつの間にかぼくの長い闇の世界はまた輝きを取り戻していた。でもその輝きが一段とまばゆくなるのはやっぱり…。


「もっさ!今日は二人で帰ろ!」

「…うん、桜井くんはいいの?」

「いいのいいの」


 彼女はいつまでも変わらなかった。毎日当たり前のように話しかけてきて、笑った。ぼくは彼女の存在が太陽のように感じていた。朝、彼女と会うと日が上る。夕方、彼女と別れると日が落ちる。そうやって時間が流れるのだとようやく知った気がした。


 でもそれは当たり前なんかじゃない。


「もっさ、一緒に帰ろう!桜井もいるけど、いいでしょ?」

「ばっか、もっさはお前じゃなくて俺と帰りたいんだよ!」

「は!?」

「いや、一緒に、3人で、ね」

 だってこれが最後だったんだから。




 *




 学校から10キロ離れた丘の上、街が見おろせる豊かな自然に囲まれたここは、なんだか喧騒とは無縁で現実離れしている。


「なんて、本当に今さらだね。ぼくは気づいてなかったんだよ、きみのこと好きだって。鈍いのはわかってたけど、ひどいものだね。」


 サワサワサワと木々が風に揺れた。爽やかな花の香りが漂う。


「笑わなくたっていいだろ。だからこそ、今日こうして話しに来たのに。」

 突き抜けるような青空と太陽は彼女によく似合う。


「もう10年だ。」



 高校生だったあの日、彼女と桜井くんはいつの間にか車にひかれた。

 彼女は即死で、桜井くんは重体だった。その後、植物状態となり、度と目を開けることのないまま、事故から3年後に彼の心臓は停止した。


 ぼくは奇跡的に大きなけがは負っていなかった。何せ、二人の3歩ほどあとを歩いていたんだ、けが云々より事故の衝撃が忘れられない。


「今でもときどき夢に見るんだ。ひどく怖い。


それなのに、目が覚めて、きみのことを思うと、思い出すのはあのきらきらした日々だけなんだよ。」


 返すまで付け回されたボール事件

 回し飲みした炭酸水

 みんなで食べた駅前のコロッケ

 桜井くんに説教したきみの形相


「やだなあ…、変だろ、まただ、アラサーのおっさんが、情けない。」


 もうきみの後ろ姿を見ることは2度とないのだ。それでも、今でもぼくの前を歩いてくれているのはきみだって確信している。


 ぼくは今、ちゃんと地に足をつけて、生きている。きみの分まで、この苦しさや恋しさと戦い抜くよ。


「そうだ、もうひとつ報告があるよ。ぼくね、結婚するんだ。相手はなんと、ソフトボール部のきみの親友だ。びっくりだろ?ぼくも信じられないよ。」


 サワサワサワとまた木々が揺れた。


「そろそろいくね、これ、ガーベラ。花屋にあるだけの色をいれてもらったんだ、きれいだろ。」


 墓石に花束を供え、小さく手を合わせた。

 しばらく忙しくなる。仕事も楽じゃないのに、そこに結婚準備が加わる。きみの自慢の親友は確かに気が利くけど、きみに似て少し強引だ。




「それじゃあ。」

 手を合わせたまま、洋風な墓石に声をかける。最後はちゃんと笑顔にするよ。またもっさって呼ばれないように髪は短く切り揃えているんだ。


 立ち上がると10キロ先の学校まで見える気がした。もちろん気だけ。でもそう思えるのは、世界が美しいと、再び思えるようになったからだ。




「あ、そうだ、


 きみの笑顔にぴったりな言葉、


 最近思い出したよ、


“希望”だ。


 ……ん?“未来”だったかな?


 まぁいいや、


 きみはそんなに細かくないだろう?


 ね、のぞみ。」


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