J氏の庭園

新月

J氏の庭園

 街から少し離れた郊外に有る屋敷はJ氏のものである。J氏の屋敷は大きいが、それ以上に大きな庭園を持っている。屋敷は三階建ての中世の建築を思い起こさせるもので、手入れが行き届かないと幽霊屋敷とても噂が起こりそうなものである。

 しかし、この屋敷は大変丁寧に手入れが為されており、玄関から中に入ると大きなシャンデリアが広い空間を照らしている。

 さて、この屋敷で最も広い敷地を誇る庭園は、J氏の趣味によって作られたものである。庭園には四季折々の花々、樹木が植えられどのような季節にも麗しい庭を楽しむ事ができる。冬には植えられている針葉樹の緑が雪の白さに映えるものである。この美しく手入れされている庭をJ氏は大変愛し、手ずから世話をするほどである。

 この様に庭を愛されているJ氏は穏やかで、使用人一人一人をとても大切に思っておられる。日頃庭に出られては、花々、樹木の世話をし、その庭を眺めながらお茶を楽しまれている。まだまだお若いお姿であるが、その物腰は老紳士を思わせ、一度街にお出かけになれば淑女に二人、三人に連絡先をせがまれる程である。しかし、J氏はそのような俗世のことには興味を失っておられ、淑女からのお誘いがあっても、それに応じされることはまるでないのである。

このようなJ氏が、懇意にされる人は限られており。長年この屋敷を守ってきた執事のコネリー、知り合いの縁で引き取ることになったサイモンは、今では、この屋敷で最も料理の上手いものになった。そして、J氏の事を先生と呼び、J氏の庭の手伝いをするレオンがいる。

 レオンは若く、大学生くらいであろう。レオン自身は、金銭的に余裕がある家庭ではないため、出稼ぎに街に出た所、J氏のもとで働くことになった。レオンは花々を好んでいる。それを知ったJ氏はレオンを庭の手伝いをさせ、花々、樹木、時には野菜の栽培方法まで、レオンを知ろうとするものを全て、教えるようにしているのである。

 J氏は今の生活を愛しておられる、穏やかな日々を楽しみ、一つとして同じ日がないことを知っている。それを大切に思っておられる。その理由は......、J氏も深くは語らない。ただ穏やかな日々を楽しんでおられるのだ。

 では、J氏の愛される日常のある日をご覧入れましょう。



 J氏の一日は九時から始まる。決して早いとは言えない時間であるが、J氏邸ではこれが主人の始まりである。シルクの天蓋のベッドから体を起こし、体を伸ばす。裸足のまま床に床を歩いて窓を開ければ、日が昇って暖かくなった日差しと風がJ氏の寝室の中になだれ込む。

 寝室からは手ずから世話する庭園を見下ろすことが出来る。青々と広がる木々の葉、色とりどりに華やぐ花を見て満足げに微笑まれる。

 そこに、控えめなノックがなる。どうぞ、と声をかければ、失礼しますと、台車を押してコネリーが部屋に入る。ベッドの近くに置かれているテーブルに朝食を並べ、紅茶をカップに注ぐ。

「今日の紅茶を入れたのはレオンだね。よくここまで香りよく入るものだ。」

「この屋敷の中ではレオンが一番ですよ。恥ずかしながら、私はここまで香りよく入れられません。」

「君は君にしかできないことがあるじゃないか。金銭の管理はてんでできないからね。君が居なければ、この家は当の昔に質に入っているさ。」

「そのようなことは思ってもお口に出されませんように。縁起でもございません。」

 笑いながら席に着くJ氏に対して、やや呆れた風にしている。

 朝食を取り終えると、少しくたびれたパンツに、カジュアルシャツに身に包み、庭園へ向かう。庭仕事に使われる道具は使用人たちには準備をさせず、自ら準備することが多い。庭道具は土に触れるものであり、方付けるだけでも一仕事だ。邸の管理でも十分な仕事量になっているため、仕事を増やすのは良くないだろうという判断のようである。

 敷き詰められた石畳の上を歩きながら、植えられているものの様子を見る。この季節を飾るのは、淡いピンクの小さな花びら。風に吹かれては簡単に花を散らせてしまう。今年もちゃんと咲いたようだと、小さな花びらを散らす木を見上げる。

「先生、待ってくださいよ。」

「遅いよ、レオン君。待ちくたびれてこの木は花を散らしてしまっているじゃないか。」

 木を見上げておるJ氏のもとに走り寄るのは作業着に身を包んだレオンだ。レオンは癖の強い髪を風に遊ばれながら、J氏のもとにかけてきた。

「わぁ、小さい花ですね。始め見ました。可愛い。」

 空から落ちてくるように散る花を両手で掬おうとする。その姿を眺め、J氏もそっと手を出す。

「これは桜の木だよ。これはソメイヨシノ。奥で割いているのはチャリープラム。スモモ系の桜の花だよ。ソメイヨシノは日本から手に入れたのだけど、一週間かそこらで散ってしまう。チャリープラムは一か月咲き続けることもあるんだよ。」

「そんなに違うんですね。一週間で散ってしまうのは寂しいですね。」

「まぁ、考え方はお国柄もあると思うよ。さて、レオン君、そこの花壇の整備をします。植えるものはダフォディル、クロッカスです。この二種の共通点は?」

「両方とも球根で植えます!」

「よろしい、では始めようか。」


 球根を一つ一つ丁寧に植えていく。途中までしゃがんでいたが疲れてきたのか、土に膝をついて作業を進めている。シャベルで土に穴を掘り、そのなかにダフォディルを植える。クロッカスの球根は、地表に少し頭が出るようにする。

 レオンは球根で植えることが分かっていたが、クロッカスをダフォディルと同じ位置に植えていたため植え直している。またに冷たい風が吹きつけるが、長く日差しが当たると、汗ばむ程である。

 一足先に作業を終えたJ氏は周りの花壇を見る。雪が解け始めることに咲いたスノードロップ、そのあとに花をつけたブルーベル、木の上で白い花をつけるマグノリア。どれもこれも季節を彩り、庭園を彩っている。もちろん、今も頭上を待っている桜たちも。

「終わりましたー!」

 最後の球根を植え切ったレオンが、声を伸ばして土に手を付けている。

「はい、お疲れ様。季節的にもかわいい花を見ることが出来ると思うよ。」

「先生は、あまり疲れてませんよね。体力かな?」

「うん、それは植え直す必要がなかったからかな?球根は植える位置も大切になってくるからね、しっかえり覚えておかないと、せっかく植えたのに花を見ることができない、なんてことも起こってしまうからね。気を付けるんだよ。」

 レオンは少しうなだれながら、立ち上がる。その様子をJ氏は微笑みながら見ている。

 庭園には季節的なこともありまだまだ空いている花壇がある。花壇の様子を確認していたJ氏はいくつか土を足さなければならない花壇を見つけていた。

「先生、たしかまだ空いている花壇ありましたよね。今年はどうなさるんですか?」

「そうだね、チューリップやダリアはもちろん植えるんだけど、その前に土を足さなきゃいけない花壇がいくつかあるね。まずは土を足すところから始めようか。申し訳ないけどレオン君、この年では土を何キロも運ぶのは骨が折れてね。お願いしたいのだけれど。」

「あっ、はい。わかりました。何キロぐらい持ってきましょうか? 量によっては持ってくるまでに時間がかかりますけど?」

「うん、ざっと、十キロは確実かな?」

 はい、わかりました。と元気な声で返事をしてレオンは土を取りに戻っていった。

 こうしてJ氏は庭の手入れに力を入れ、折々の花木を愛でられている。



 レオンの一日は七時から始まる。一般的な起床時間としては普通かもしれないが、住み込みで働く者にとってはやや遅いともいえる時間だ。しかし、この邸では慌ただしいことを嫌う節があるため、使用人たちもどことなく、ゆったりと暮らしているのである。

 J氏の邸では、ほとんどの使用人が住み込みで働いている。レオンもその一人であるが、他の使用人からの扱いとしては、住み込みで働きつつ、植物関連のことを勉強している学生といったものである。

 レオンはまだ若いが、勉強熱心で、できることから積極的にやろうとするものだから、仕事仲間からの信頼が厚く、また可愛がられている。基本的には畑仕事が中心となるのだが、この邸のなかで紅茶を入れることが最も旨いのである。特別な訓練を受けてきていたのではなく、まだ来てばかりの時に試しに入れさせていると、とても上手く入れたのだ。

 使用人たちはとても喜んだ。もちろんJ氏も喜んだ。それ以降、紅茶を入れる担当はレオンということになり、レオンは紅茶を入れる腕も上げていくことにあった。

 そもそもレオンがなぜJ氏の邸で働くことになったのか。レオンには母親と妹、弟が一人ずついる。もともとレオンは片田舎で細々と暮らしていた。しかし、妹も弟も非常に頭が良かった。妹、弟の学校の教員たちはこぞって大学に行かせることを勧めた。周りからの評価も、妹、弟が頭が良いこともわかっていたレオンとレオンの母親は、何度か妹、弟に大学に行きたいか尋ねたことがあった。答えは決まっているのだろうと声をかけたのだが、妹も弟も大学に行きたくないという。理由を尋ねれば、黙り込んでしまう。本人たちが言わないだけで理由は明白だった。金がないのだ。レオンの家には金がなかった。だから進学するとは言えなかった。

 それからの行動は早かった。レオンは考えなしに、家から出たのである。家を出ればその分、金は使われにくくなり、街の方で働けば多少なりとも仕送りができると考えたのである。

 それからこのJ氏の邸で働くようになり、仕送りを安定して送れるようになっている。妹、弟は元気に、楽しく大学生活を楽しんでいるようである。レオンもまた、ここでの生活を気に入っていた。

 朝は紅茶とパンで朝食を済ませてから、それぞれが仕事を始める。J氏が起きるまでの間が、様々な仕事場の手伝いをし、J氏が起きてからは専らJ氏と同じように庭園の手伝をしている。


 汗ばむ季節の庭仕事は過酷である。J氏もレオンもこまめに休憩をはさんでは、水分を取る。少しでもタイミングを間違えれば、そのまま具合が悪くなってしまいそうだ。

 雑草抜きをしていたJ氏とレオンはあまりの暑さに、早々に木陰に隠れてしまっている。陽炎が揺れる様子を眺めながら、ラベンダーの匂いが花をかすめる。庭園の中に、あまり手の入れられていない場所がある。はじめのうちは、なぜ手を入れないのか疑問に思っていた。しかし、その場所の様子を見るとラベンダーとミントが生えていた。これらは植えられているものではなく、いつの間にか群生しているものである。それを見たときに、レオンは雑草として処分することが出来ず、なぜ手を入れないのかの答えを自ら考えに挟まれていた。


「こうも暑いと植物たちが心配になりますね。」

「そうだね、葉が焼けてしまわないといいけれど。それにしてもこの暑さでは、作業は進められないし、無理をしたらこちらが。倒れてしまいそうだ。うん、危ないし、今日は作業を止めよう。その代り邸の中の仕事をしてもらう形になると思うなぁ。」

「わかりました。」

 日差しはきついままであるが、爽やかな風が吹き抜ける。まだ、過ごしやすいうちに移動しようと、木陰から出て邸の方へ戻っていく。

 歩いている間に、目に入るのは、多種多様なバラに地面を覆いつくし、まるで絨毯のようになっているラベンダー、この日差しの中でも、負けることなく赤が生えるガーベラ。リアにダリア。日差しの中、緑を濃くした木々の葉は日光を浴びて輝いている。

 邸にたどり着くと、コネリーが冷たい飲み物を用意していた。それを受け取り、一気に飲み干すと体の中がすっと冷えたように感じられたのだろう。一息ついている。

 J氏とレオン共に一息ついたところで、まずは汗を流した方が良いというコネリーの発言を受けて、J氏は部屋に戻り、レオンは使用人が自由に使えるシャワー室に向かった。



 暑さも大分収まり、過ごしやすい気温になってきた。多くの植物たちは冬を超えるため、子孫を残すための準備を始めていた。

 庭園は赤と白が基調となったバラが植わっている。バラも美しく、目を引くが庭園内を歩けば、足元には沢山のコスモスが咲いている。この季節は落葉が始まり、楽し気な雰囲気を作ることは難しいかと思われがちだ。しかし、花は秋バラやコスモスだけではない。ダリアやマリーゴールドも見ごろを迎え愛らしい花を咲かせている。

 そのような時期に、J氏は、古い友人を招いてお茶会をするといった。今の季節は夏と違い、その場にいるだけで具合を悪くするようなことはない。お茶会をやるのであればこの季節が丁度良いだろうという考えのようだ。

 この時期になるとJ氏は毎年何人かの友人を集めお茶会を開催する。使用人たちも慣れたことではあるが、緊張感と不安が抜けるものではない。

 それに伴う準備に取り掛かるために、執事長と料理長がどのようなものを用意するのか、どのタイミングで、次の料理を出すのかなど、打ち合わせることはいつもよりも多くなった。料理長のサイモンはお菓子作りもできるが、それは専門でないためできるかどうか不安であるといつもこぼしている。お茶会と言えど、いつお菓子を出すのか、どのような場所でやるのかなど決めることは非常に多くの事である。

 お茶会を開くという告知後、数日経つと、J氏は古い友人と連絡を取り参加する人数をまとめている。レオンは、紅茶を入れる担当となった。穏やかな日々のなかで、準備による慌ただしさに混じるようになり、徐々に活気ついて行った。


 当日、J氏の知り合いが邸に訪れては、お茶会の会場に案内される。参加者は五名。どの人も紳士然とし、物腰が大変柔らかい。案内したものに対する労いの言葉が丁寧に添えられる。今回の客人はJ氏が大学に在籍していた時のご友人のようだ。到着した順にJ氏はお話をされているが、ひどく楽しそうにされていた。

 時間も経つにつれて、一人増え、二人増えた。五名揃ってから改めて、ホストとなるJ氏が現れ、お茶会が始まった。


 お茶会は穏やかに進んでいる。事前に決めた段取り通り進んでいるため、使用人側にも問題は起きていないようである。料理長のサイモンはお菓子関連を主にしているわけではなく、心配しながら作っていたが、J氏のご友人はお茶会を楽しんでいるように見える。

 お茶会の会場から少し離れた場所でレオンは紅茶をひたすらに入れている。コネリーから教えられた基本的な部分と、自身で考えた方法を織り交ぜて、行っている。お茶会の会場を確認しようと耳を澄ますと、庭の手入れの話を入れている。曰くは、このように手入れが行き届いている庭をほとんど見たことがないのだという。この庭はJ氏が手ずから世話をして、愛でている庭である。手入れが行き届いていることはもちろんのこと、季節ごとの花が咲いては次の花にと、連鎖していく過程を見ることが出来るのだ。レオンは、ご友人の話に耳を澄ませながら行き届いた庭の石畳の際を眺めている。


「あなたが私たちにお茶会を催すとは何年ぶりでしょうか? あなたがいなくなってから穴を埋めるのが大変だったのですよ。」

「まぁまぁ、そうおっしゃらず。今では穴も何もないのでしょう?」

「ああ、そういえば君たちは同じ会社に入ったんだったね。どうだい、こいつが抜けた後の状態は?」

「半年分、丸々穴が埋まりませんでした。」

 お茶会が始まり、思い思いに話し出す。J氏が以前在籍していた大学の時の知り合いで、五名とも会うことは久しぶりのようだ。

「それにしても紅茶がうまいな。どんな人を雇ったんだい? お前のことだ、道端で意味で行き倒れている奴を拾ってくるようなことはしないだろう?」

「ああ、この紅茶はレオンが入れてくれたものですよ。私の庭いじりの手伝いのために来てもらっていたのだけれど、紅茶を入れるのが兎に角上手い。家の使用人のなかで一番、紅茶を入れるのが得意なのですよ。基本は、庭の関連の力仕事を手伝ってもらいますが、紅茶だけは特別ですよ。」

 客人は、羨ましいといいながら、この紅茶に舌鼓を打っている。その様子をみて満足げにJ氏は微笑んでいる。夏よりも過ごしやすい気温にはなってきたものの、風が出始めると体感温度が下がるようだ。その様子を見て、そのころのレオンはお茶を入れる温度を変えたりしている。その方が、飲みやすくなるのである。

「お前さんは会社に戻る気はないのかい?」

客人の誰かが聞いた。

「お前さんが優秀だったてのはよく耳に届いていたよ。それがいきなり辞めたもんだから、会社が右往左往したって話もね。今度、俺が起業することが決定したんだ。久々に働いてみないか。まぁ、お前さんが働きたいさんて言ったら引く手数多だろうがな。」

 J氏はしばらくの間答えなかった。返答に困っている、というよりも、何といえば理解されるだろうかと考えているようだ。

「平穏を、穏やかな日々を仕事で追われて失って、自分自身も疲弊して、初めて分かったんですよ。穏やかな『日常』というものの大切さを、だから私はもう戻ることはありません。」

 客人はそうか、と一言だけ返した。静まってしまった空気は、その客人が話題を料理に変えたことでまた暖かなお茶会が始まった。


 かくして、お茶会も無事終わり。平穏な日常が戻ってきた。季節は秋、広葉樹林が落葉をはじめ、冬ごもりの準備は終わりに近づいている。石畳の上に落ちている枯れ葉を放棄で集めながら、来年は何を植えようかと他愛ない会話をする。あと少ししたら、コネリーが迎えに来て、暖かい飲み物を入れてくれるだろう。



 一日として同じ日はない、それは人も花も同様であるとJ氏は考えたのだろう。失って初めて気づいた穏やかな日々の大切さ、今はそれを取り戻すかのように庭園を愛で、客人をもてなしている。

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