〈十四〉怪盗と米粒の謎
耳を澄ませなければ聞こえない嗚咽を背にして、僕と高嶺は、お手玉研究会の部室の前から撤収した。ここにいる事を彼女――森野さんにも、もちろん直生さんにも見られるわけにはいかない。かといって古典資料室にいて万が一直生さんが訪ねてきても困るので、僕たちは場所を変えることにした。
屋上の鍵が壊れているのか、観音開きのドアノブに掛けられている太いチェーン。南京錠もついているが、扉を限界まで開くと隙間から屋上に出られることを、僕も高嶺も知っている。
青空の下に出ると、やはり肌がピリ、とした。
太陽と、そして校舎にある視線から逃れるように、扉から回り込んだ先にある日陰へと移動して腰を下ろす。すると、頭上から高嶺の声が落ちてきた。
「よかったのか? 誰にも知らせない、なんて言ってさ」
存外に、お前も大概お人よしだよな、と言われているような気がした。僕は頷く。
「直生さんに余計な心配も煩わしさも与えたくはないからね」
「煩わしさ、ねえ……じゃあ森野嬢がお嬢の友人じゃなかったら?」
「特に何もしないかな。正直河原口や森野さんがどうなろうが興味ないし」
「本当におまえはお嬢以外には優しくないよな」
「直生さんは僕の特別で唯一無二だからね。知っているだろ?」
「どういう意味なんだか」
「そのままの意味だよ」
高嶺はため息を吐いて、僕の隣に腰掛ける。ちょうど人ひとり分ぐらいの隙間を空けて。
「ところで、どうして森野嬢がこの一連の出来事の犯人だと気が付いたんだ?」
「……それ、話さなくちゃいけない?」
「謎解きは名探偵のマナーだろう」
「僕は名探偵じゃないんだけど……」
「助手としても勤めのひとつだと思うが?」
体育座りの要領で抱えた膝に顔面をうつ伏せていると、「じゃないとお嬢に全部バラすぞ」と非情な一言が落ちてくる。河原口より僕のほうが可哀想だと思う。
仕方なく、僕は壁に頭をくっつけた。予想外にゴン、と重い音が鳴り響き、しばらく押し黙る。
「おまえ、河原口に聞いてただろ」
「何を?」
「盗まれた心当たりはあるのか、ってさ」
高嶺は一瞬考えてから「ああ」と漏らす。最初に話を聞きに行った帰りのことだ。
「あの時、河原口が答えないまま扉を閉めたから、図星だと思ったんだ。犯人が写真やデータを狙ったことは明らかだから、そこに何か秘密があることは明白だっただろ?」
「それは俺も思ってた。だが、それがどうして森野嬢に繋がるんだ? むしろ先輩の方が動機があって然るべきだと思うし、あの新聞部の二人が河原口を守るためにSDカードを隠したっつーのは、お人よしのお嬢でもなきゃ通じない推理だぞ」
それは僕も完全に同意だ。先輩に憤りは感じていただろうが、そこまで義理堅いように見えるタイプでもない。
「直生さんが言ってただろ」
「?」
「好きな女の子のことで脅されてるって」
「……ああ、あの迷推理」
僕も、とんだ迷推理だと思った。――けれど。
「その時に、河原口は否定しなかったんだ。それどころか、これ以上首を突っ込まないでくれと頼んできた。盗まれる心当たりがあるなら、自然、盗んでくる人物にだって心当たりがあるはずだろう。犯人が先輩だと思っているならそこで僕たちの調査を止める理由なんてないはずだ。もちろん河原口がカンニングの片棒を担いでいたなんてバレたら、河原口だって処分は免れないだろうけど、幸い学年が違う。河原口が先輩の
「庇う?」
「そうだよ。気付かなかった? 河原口はあの時、犯人を庇っていたんだ。これ以上調べたら犯人が割れると思った。だから止めようとしたんだよ」
高嶺は胡坐をかいていた太腿を叩き、合点の意を示した。
「なるほど。先輩相手だったら庇う筈はない。河原口が庇うとすれば……」
「好きな女の子、大事にしている女の子なら、それぐらいするんだろう。僕にはわからないけど」
「またまた。お嬢のためなら何も厭わないくせに」
僕も高嶺に倣い、やつの太腿を思いっきり叩く。青空に乾いた音が響いた。
高嶺が悶絶している内に、話をさらに進めることにする。
「その返答の時点で、僕の元には幾つかの情報が揃っていた。まず、直生さんが見抜いたふたつ。
①河原口が脅されていたこと
②これ以上触れられたくないのは“好きな女の子”が関わっているということ
③河原口のカメラやデータを盗んだのは河原口が庇うに足る人物――つまり、河原口の“好きな女の子”そのひとであり、その正体に河原口は気付いているものの、河原口としては事を荒げるつもりはないこと」
「ふむ。納得できるな」
「それに加えて……高嶺は覚えてるか? ロッカーのダイヤル錠について聞いた時の河原口の反応」
「ああ。俺が昔から使ってたり、昔の彼女の誕生日とかにしてたらすぐにバレるっつったらキレたやつだな」
「僕が思うに、河原口は嘘が吐けないんじゃないかなと思うんだよね。咄嗟には何も言えなくなるというか」
「そういや今までも全部否定はしていないな」
「たぶん高嶺の言ったことは図星だったんだ。昔から使ってたか、ひょっとしたら森野さんの誕生日とかにしてたかもしれない」
「とんだバカップルじゃないか」
「まあ表立ってカップルになってるわけじゃあなし、そうそう知られることもないという意味では一番安全だよ。だけど、当の本人には知られてしまったんだな。その時点で河原口は、森野さんが犯人だってことにも気付いたのかもしれない」
「ついでに自分の秘めた恋心が森野嬢にバレた事にもな」
「言ってやるなよ……」
もっとも、森野さんが河原口のために盗んだことも、河原口にはすぐに知れただろう。お互いでお互いの恋心はほぼ既知の事実となったのだ。この二人が纏まるのも時間の問題だと思う。
直生さんが喜びそうなネタに満足し重い腰を上げようとすると、横から響いた高嶺の声が、僕を地面へと縫い留めた。
「しかし、もうひとつ分からないことがある。どうしてお手玉の中に、SDカードが隠されていると気が付いたんだ?」
……………………。
「やっぱり聞く? それ」
「当たり前だろう」
「あんまり言いたくないんだけど……」
「ここまできてもったいつけるならお嬢に……」
「わかった、わかったってば。わかってるから」
結局重い腰は上がらない。膝を抱え込んで極力コンパクトになった僕は、そのまま叶うなら極限まで小さくなって高嶺の可視化世界の外へ出られないか――などという現実逃避を一瞬考えたが、あいにく僕は直生さんと違って夢を見る純粋さを持ち合わせてはいない。
結局、最後の最後で大きなため息を吐いた。
そしてそれから。
「…………………………………米粒」
「は?」
声がやや小さすぎたようで、心なしか先ほどよりも声を張る。
「米粒が、捨てられてただろ。だから、そうだって気付いた」
そこまで言って、僕はもう帰る気満々だったのだけれど、ぽかんと口を開いたままの高嶺が立ち上がった僕の腕を引っ張って制止した。
「待て待て待て。間を省くなよ」
「おまえ仮にも僕より頭いいんだろ。それぐらい察しろよ」
「説明が少なすぎるんだよ、お嬢にも言葉が足りないって常から叱られてるんじゃないのか?」
「帰る」
「ウソ冗談帰らないで後生だから」
僕は思いきりため息を吐いてから、
「……そもそも今回の件に巻き込まれた発端で、直生さんが見つけた米粒があっただろ? 直生さんには適当なことを言ったけど、僕だってこんなところに捨てられているのは可笑しいなと、ずっと思っていたんだよ。それで直生さんが河原口の幼なじみの彼女――森野さんがお手玉研究会に所属していると言った時に、ふと米粒の事を思い出して、馬鹿みたいな考えが頭に浮かんだんだ」
「……もしかして」
「そう。お手玉研究会のお手玉の中身は、小豆じゃなくて米なんじゃないかと思ったんだよ」
実際調べたところ、米を入れること自体もそう珍しいわけじゃない。恐らくあのお手玉は各部員の手製なのだろうし、小豆より圧倒的に手に入りやすく、どこの家庭にもまずあるものだろう。部活ならともかく、同好会なら掛かる経費は極限まで減らしたいはずだ。
そう思えば自然だった。そして、それは事実でもあったのだ。
「そうか。元々の生地で作っていたところにSDカードを隠したら、そのままだと生地を縫い合わせられなくなる。だから……」
「そのために中身を少し捨てた、とするなら、あの一見無関係そうな馬鹿みたいな出来事も含め全て理由が通じる気がしたんだよ。実際確かめてみたらひとつだけ明らかに握った感触に違和感のあるものがあった。だから間違いないだろうと思ったわけ」
僕はポケットに手を突っ込み、渦中のお手玉を取り出す。お手玉、といっていいだろうか。今やただの布切れだ。女の子らしい、黄色のドット柄の生地の中には、数十分前まで米粒が入っていた。言うまでもなく、裁縫で縫い合わせる暇がなかったので、僕は中の米粒を捨ててきたのだ。本来なら生地ごと置いてくるべきだったように思うが、これだけ残してゆくのも気が引けた。まあ、これぐらいは手間賃として許してもらいたい。
ひらひらと風に揺らしながらお手玉の生地を眺めていると、高嶺は「しかしなんでこんなところに隠そうなんて思ったんだか」と覗き込んできた。
「これは想像だけど、持っていたくなかったんじゃないの?」
「え?」
「不正の証拠だけど、試験問題しか写ってないから誰が犯人かは分からないし、撮影者イコール所持者と思われるのがオチだ。自宅で保管して家族にでもバレたら厄介だし、かといって教室は論外。ロッカーならとも思うけど、河原口のロッカーを開けた彼女はロッカーの安全性を信じられなかった。その点、試験期間中はほぼ誰も立ち入らない部室、さらには幾つもあるお手玉の中なら心配要らないだろ」
そこまで話したところで、昼休み終了の予鈴が鳴る。僕は今度こそ腰を上げた。
生地にこだわりはないので、僕は高嶺に寄越す意味で生地を放り投げる。すると、一段と強い風が吹き、高嶺の手に渡るより先に黄色の生地を攫ってゆく。
思わず見惚れて、その生地の行く先を見送ってしまった。
ほどなくして、高嶺が言う。
「今度はあれを見つけて、お嬢がまた謎だと騒ぎ立てたりして」
「笑えない冗談は止めてくれ」
そう言いながら、僕は笑った。
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