〈十二〉お嬢さんと推理

「鍵も室内の人間も確認しないなんて、不用心すぎますよ」



 急に点いた室内の明かりに、“彼”は驚いたようだった。

 入口付近にいた僕は、室内灯のスイッチから手を離し、準備室の方から“彼”に近付きながら語り掛ける直生さんのすぐ脇に控え従う。何かがあったら事だから、この距離は譲らない。

 もっとも、“彼”はまだ状況が呑み込めていないようで、椅子から立ち上がることすらしていない。



「写真。見えてますけど、いいんですか? 



 彼――もとい、前山田先輩は、そこでようやく事態を把握したのか立ち上がる。パソコンの画面を背にしたのは、身体で少しでも画面を隠さんとのことだろう。後ろ手にマウスへと触れる指先がカチカチと音を鳴らしているが、その度にパソコン独特のエラー音が鳴り響く。


「河原口さんからは、今回の写真は無いと言われていませんでしたか?」

「! い、いったい何のことだ? 俺にはさっぱり……」

「あら。前山田先輩ったら。すぐ後ろに写真証拠があるのにとぼけるなんて、さすがに無理が過ぎますよ」

「許してあげましょう、直生さん。存在しないはずのものがあったのに疑いもなく開く男です。ジャーナリストになるにはオツムが足りないんですって」

「こら。言葉が過ぎるわよ、幸大」

「………~っ、くそ、なんだ、なんだよお前ら!」


 呑気に会話する僕らが気に食わなかったのか、前山田先輩の声が荒くなる。すかさず僕は直生さんの前に出て盾となろうとするが、直生さんが片手を挙げたのでまだ脇に控えておくことにした。


「前山田先輩。以前一度ご挨拶させていただきましたね。わたしは嬉野直生、そしてこちらは正之守幸大。わたしたちは、あなたの罪を暴きにやってまいりました」

「罪……」

「ええ。あなたが、河原口さんを使って――試験問題を盗ませていた罪ですよ」



 びくり、と前山田先輩の肩が揺れた。



 また言い訳でも叫ぶのだろうかと思ったが、直生さんが言ったとおり、既に目の前――もとい、彼の後ろに証拠があるのだ。しらばっくれるのは難しいと判断したのか、中座する気配はない。ただ静かに唇を噛んで睥睨へいげいを向けているだけだ。


「聞くところによると、河原口さんはあなたに頭が上がらなかったそうですね。本来なら写真部に入りたかったところを、わざわざあなたのいる新聞部に入部。他にもあなたの手伝いをされていたとか。単なる先輩後輩の仲だからで済むことかもしれませんが、実際のところきちんとした理由があったのでしょう? つまり、あなたが河原口さんの弱みを知っていたということ。そしてそれを使って、よきに計らってもらえるように……脅していたということ」


 そこで直生さんは、僕に視線を向けた。僕は一歩踏み出して、助手らしく弁の続きを引き取る。


「この場合弱みは河原口が“露呈するよりは悪事を働く方がマシ”と思うことなら何でもいいと思いますが……まあ、悪事がカンニングだったことを思うと、元々河原口が最初にカンニングをしたんじゃないですか? 先輩はそれを偶然知った。ひょっとしたら証拠もあるのかもしれませんが、河原口の場合はまあ無くとも効いたでしょうね。好きな女の子に自分の悪事は知られたくない、格好をつけたいのが男というもの。幼なじみというからには、先輩も彼女の存在や二人の関係性は多少なりとも把握していたはずですから。そしてそれを知ったあなたは、それをネタに河原口さんを強請り続けた……」

「…………」


 この沈黙は肯定の意と取っていいだろう。

 直生さんがまた前に一歩進み、謎解きを続ける。


「けれど今回に限っては、困ったことが起きました。河原口さんから、データが消えたという連絡が来たのでしょう?」

「! ……なんでそれを」


 怪盗はいからの件などは一切知らない身からすると、不思議で仕方がないだろう。

 ふふ、と笑みを深めた直生さんは「企業秘密です」と僅かに首を傾ける。


「厳密に言うと、データは消えていません。然るべきところに隠されていたんです。河原口さんが探し出せないところにね。隠した人物は……まあいいでしょう。あなたと河原口さんのことは、新聞部の部員の方もだいぶ心配されているようでしたから。ともあれ、だからこそわたしたちは、それを利用してあなたをここに呼び寄せることに成功したのですから、天晴ですよね」

「ま、先輩からしたらタナボタみたいなものですもんね。無い袖は振れない河原口を貶めても自分の成績が上がるわけでもなし、そんなところにSDカードが現れたら中身を確認したくなるのが人間。油断しましたね、先輩」


 直生さんはともかく、僕は完全に先輩をナメた発言を繰り返している。最初こそ顔を血の気の引いた真っ青な顔色だった先輩だが、だんだんと赤く、怒りの興奮で顔面を染め上げはじめた。リトマス試験紙のようだ。

 ふるふると肩を震わせ、けれどこれ以上の力を籠めることも難しいのか、椅子の背もたれに腰掛けるように身体の力が抜けてゆく。


「……なんだよ、なんなんだよ、さっきから回りくどい言い方ばっかしやがって。……いったい何が望みなんだよ」


 真実を突き付けられて疲弊したような、掠れた声が続いて響いた。

 僕と直生さんは一瞬顔を見合わせる。僕を置いて先輩に近付く姿には一瞬怯んだが、この先は、直生さんに任せると決めている。力ない先輩の肩に優しく手を添える姿は、フランダースの犬の最終回でネロの元に訪れる天使にも似ていた。


「安心してください。わたしたちは、できるだけ多くの人を傷つけない道を取りたいと思っているんです。だから、先輩を助けたいと思って、そのSDカードを渡しました」

「……助ける?」


 天使の囁きに、先輩が顔を持ち上げる。



「わたしたちはこの事を誰かに言うつもりはありません」



 直生さんは続ける。先輩の肩にかかった手に、より力がこもった気がした。


「だから、今までやったことを悔い改め、河原口さんを脅すことを止めてください。証拠があるならそれを抹消して……そうして河原口さんを解放してくだされば、わたしたちはそれで構いません」

「……そんなこと、信じられると思うか?」

「そうでしょうか? そもそも証拠はひとつもないんですよ。今だってあなたがこの写真を見ているところの映像でも撮っておけば一発でしたよね。けれどわたしたちはそうはしていません。ただ電気を点けて話しただけです。たとえわたしたちが口外したとしても、前山田先輩が白を切れば終わる話です。もちろん、次からやりにくくなるとは思いますが……それでも推薦を貰うためならここまででの成績でもそう不安はないでしょう」


 いつの間にか、前山田先輩の顔色が戻っていた。すこし考え込んだ後に、


「言いたいことは分かる。河原口を脅すことも、まあこれ以上はちょっと厳しいし、嬉野さんの言う通りここさえ凌げば成績は問題ないからな。よしとしよう。だけど、悔い改めろってどうやって判断するつもりだ?」

「……そこは、前山田先輩の良心によるとしか言いようがありませんが……」


 そこまで考えていなかったのか、困った様子の双眸が僕を見る。しょうがないお嬢さんだ。と肩を竦めるのはポーズのひとつ。元々このお方に罰を考えさせるのは向いていない。


「じゃあ、この部屋を出て教室に戻るまでの間に、そのSDカードを捨てる、ってことでどうですか? ゴミ箱でもいいですし、拾われるのが怖いならトイレに流すのでも。まあ踏みつけたり投げたりして壊すのでも、とにかくこのカードを捨てる、二度と使えないようにするなら何でもいいかと」

「名案ね、幸大。それでいかがでしょうか? 不都合はないかと思いますが」


 相変わらず、前山田先輩は思案するように黙り込む。

 その背中を押すように、直生さんは先輩と視線が合うように腰を屈めた。


「確かめるなんて無粋なことはいたしません。わたしたちは先に出て行きますから……願わくば、前山田先輩にとっても、河原口さんにとっても、素敵な結末にならんことを」



 そう言う直生さんの瞳をちらりと見た先輩は、耐えきれないように視線を逸らした。

 部屋を出る前、僕は、その先輩の口許を見つめていた。



  ◇◇◇



 推理を展開しても、まだ教室に行くには早い時間だ。それに、直生さんは探偵役をこなしたこともあり、興奮冷めやらぬ状態らしい。仕方なく連れ立って、古典資料室に向かった。

 例に漏れずそこにいた高嶺に貰ったチョコチップスティックパン(どうやらこれが朝食代わりらしい)をつまみながら、直生さんがため息を吐いた。


「前山田先輩、きちんと捨ててくださるかしら」

「どうでしょう」

「お嬢が気にすることじゃない。なるように任せればいいさ」

「……そうですけど……やはり探偵としては、犯人を更生させるまでがお仕事だと思いませんか?」


 乱雑な原稿用紙を押しのけて前のめりになる直生さん。

 僕と高嶺の答えと言えば、二人同時の「いや」「まったく」であるからして、朝から主君の機嫌を損ねてしまいそうだ。化粧もないのに僅かに薄紅が差す頬が膨らむ前に、僕は言った。


「でも名推理でしたよ、直生さん。名探偵みたいでした」

「あら。そうかしら。うふふ。えへへ。そうでもないわよ」


 我がお嬢さんながら単純である。高嶺が親指を立てるのが見えた。


「でもそれを言うなら、幸大こそ。よく佐々木さんと山崎さんがカードを隠した犯人だと見破ったわね」


 ふと、僅かに空気が止まる。

 僕はすぐには答えを返さなかったが、ちょうどチョコチップスティックパンの欠片を放り込んだところだった。高嶺はといえば、またパイプ椅子を極限まで傾けて本を読んでいる。今日の本は穂村弘の『現実入門』だった。「本当にみんなこんなことを?」という副題がやけに目につくが、高嶺のこの体勢に関して言うのであれば、そうでもないと思いますよ。と、僕は心の中で穂村さんに声を掛けておく。


 すっかり喉の奥に押し込んでから「まあ」と僕は口火を開いた。


「二人が事情を察した上で相談を重ねていたことは明白でしたからね。それに、一番盗みやすい位置にいるのはどう考えてもあの二人ですから」

「そうよねえ。放課後集まっているなら、そのタイミングでいつでもデータを消去したりSDカードを抜き取ったりできそうだもの」

「はい。まあ河原口のためを思っての行動だったんでしょう。昨日話した通り、二人のことには気づいてない振りをして、心の中に秘めておくのが吉かと思います」

「ええ、そうね。火種を広げてはいけないわ」

「そうそう。

「高嶺さんたら、比喩が相変わらず独特ね」


 ふふふ、と笑う直生さんを他所に、僕は高嶺に睨みを効かす。高嶺はただ面白そうに腹を抱えていた。



「あら」



 と、素っ頓狂というにはあまりにもお上品すぎる声が上がった。


「どうかされました?」

「今日、森野さんがお昼休みにちょっと用があるんですって。幸大、お昼一緒に食べる?」

「僕も今日は先生のところに行かないといけないのですみませんが……」

「何かしら? 試験前なのに」

「僕の予想では高嶺をどうにかして自宅に帰らせろという相談かと」

「なんだそれは大変だな正之守。俺も同行しよう」

「断固として断る」



 屈託なく笑う直生さん。彼女と彼女のお父上は、僕の主君。





 そして僕は――――直生さんの笑顔を、心を守るのが、仕事なのだ。

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