〈七〉怪盗と事情聴取


 現在の在校生の中ではほとんど都市伝説、トイレの花子さんと同列で語られている怪盗はいからだけれど、全員がその起源を知らないというわけではないだろう。歴代文芸部部長が怪盗はいからの正体であると知っていれば、怪盗はいからという存在と高嶺一色現文芸部部長はすぐに結び付けられる。


「そしてそんな怪盗はいからである俺は、問題の河原口のクラスメイト、……ってね」


 特別教室棟の廊下を歩く高嶺の後ろ姿は、大仰に金髪を揺らしその背を上下させている。普段は根城にしている部室のパイプ椅子から動くことすら躊躇するくせに、こういうことが絡むとすぐに無駄なエネルギーばかりを浪費する。そういうところは直生さんにそっくりだ。


 放課後が来るまで待ってから、僕たちは新聞部の部室へと向かっていた。


 一度は昼休みに接触を試みたのだけれど、姿が見えなかったうえに、残された時間はそう多くなかった。たまたま河原口の幼なじみだという女生徒から、放課後はいつも部室にたむろしていると聞いたから、時を移したのだ。


 最奥にようやく部室――新聞部はほとんどデジタル作業なので、パソコン室を部室として使っている――が見えてきた頃、ふと、高嶺の足がペースダウンする。


「そういやお嬢は来てないのか?」

「ああ。お嬢さんは今日習い事があるから」


 だから僕は今日の放課後を決行の時に選んだし、面倒なので直生さんには委員会で遅れる、としか伝えていないけれど。


「ふうん。お前、そういうところにもお供するんだと思っていたが」

「ああ。だから早く終わらせて迎えに行かないと」

「……保護者か?」

「似たようなものだろう」


 直生さんが駄々を捏ねる姿は、スーパーでお菓子買ってとねだった挙句レジでしれっと買い物籠にそっとお菓子を忍ばせる子供とほとんど同じといっていい。鬼の居ぬ間に、とはよく言うが、心の自由だけは保証されていて何よりだ。



 しかし誤算がふたつあった。


 まず、なんとパソコン室の扉が開かないことがひとつ。いくらスライドさせようと試みても、引き戸は全く開く気配を見せない。


「いないみたいだな」

「ふむ」


 そしてここに誤算のふたつ目がくる。

 腕を組んで思案した高嶺が、ほどなくして扉を蹴り始めたのだ。


「……なにしてんの?」

「いや。ここはパソコン室だろう?」

「はあ」

「お前、AV観る時どうしてる?」

「下らないこと聞く暇あるならさっさと要点から言えよ」

「冗談の通じないやつだな。だから、AV観てるところなんて誰にも見られたくないだろ? パソコンがあればDVDなんて見放題」

「……つまり、鍵をかけて鑑賞に勤しんでるのではないかと?」

「うん。勤しんでいるのは他にもありそうだが」


 高嶺の下世話っぷりに眩暈がした僕は、さっさと引き返してしまおうと背中を向けた。



 ―――のだけれど。



「…………何の用?」



 天岩戸あまのいわとが開いた先には、不快感を顔面めいっぱいに張り付けた河原口正敏の姿があった。軽薄そうな茶髪をワックスで遊ばせているせいか、そこそこ格好いいとの評価があるらしいが、僕のこいつに対する評価はただただ軽薄。それに尽きる。ただ、今日ばかりはその評価に加えて、ビビリも付け足しておこう。


 そう、河原口は、何かに怯えているように見えた。


「おお、河原口! やっぱりいたか」

「うるせえな。さっき蹴ってたのお前? 何してんの」

「それはこっちからもお返ししよう、河原口」

「はあ?」

「わざわざ鍵を閉めて、ナニを……」

「高嶺はほっといていいから、ちょっと中に入れてもらえる?」


 下ネタ野郎を押しのけて河原口を見ると、迷っているのか視線が斜め下をさ迷うままだ。その反応に、つい、僕の悪戯心が芽を出した。

 一歩踏み出し、入口に立ちはだかる河原口の肩に顔を寄せ、耳元で囁く。


「廊下で喋って人目につくのは困るだろ。……君も」


 ビクリ、と河原口の肩が震え、惑っていた視線が、今度こそ明確な恐怖へと変化する。

 河原口が背を向け中に進むと、僕の後ろにいる高嶺がそっと囁いた。


「まさか本当に観てるとは俺も思わなかった」

「僕もお前がそこまで馬鹿だとは思わなかった」



 てっきり河原口だけなのかと思ったが、中に入ると他に二人、パソコンの影に隠れるようにしてこちらを窺っている姿があった。確か河原口のクラスメイトで、同じく新聞部の佐々木ささき山崎やまざきだったか。試験前であっても特別勉強をしないのは高嶺ぐらいだと思っていたが、この新聞部の三人も同じとは。まあ、確か河原口を含め三人とも成績はそこそこよかったように思うから、心配ないのかもしれない。


 パソコン室はコンセントの都合もあるのだろう、ほとんどの机は壁に沿って据えられている。両方の壁に沿った二列の中心に、向かい合わせになった机の列があり、全部で四列パソコンを乗せた席が並んでいるという構成だ。部員らしい二人がいたのは中心の二列の内の右側。入口は丁度左二列の方にあるから、動向を見守っていたであろう二人がぎょっとしている顔がよく見える。


 河原口が入口から一番近い椅子を二つ引いたので、僕も高嶺もそこに腰を下ろす。河原口も座るのかと思ったが、依然として立ったままだ。


「それで? 何の用?」

「そんな不遜な態度を取ることはないじゃあないか、俺とお前は退屈な授業という名の運命さだめを共に生きる、いわば運命共同体じゃあないか」

「そのさだめとやらを度々拒否してサボってるお前が何言ってんだ」

「試験では点が取れているから問題無い」


 そこで一度会話が止まったのは、呆れたからだ。呆れて物も言えないとはこのことか。僕はただ高嶺に白い目を向けていただけだけれど、河原口は「いいよな、天才ってやつは」と吐き捨てるように付け足した。そんな河原口に僕は、自分なりの金言を授けようと思う。馬鹿も天才も大差ない。ってね。

 それはさておき、僕はポケットに入れていた物を取り出した。河原口のデジタルカメラだ。


「それ!」

「やっぱり河原口の? 文芸部の部室に届いてたんだ」

「ああ……いや、中身は見たか?」

「? いや」と僕は首を振った。僕自身は見ていないので嘘を吐いてはいないのだ。

「文芸部の部室に届いてたのを持ってきただけだから」

「……コイツが盗った、の間違いじゃなく?」

「俺がこんなもの盗るはずがないと知っているくせに、よく言う」


 鼻で笑う河原口が手を差し出してくる。が、僕達はまだ聞かなきゃいけない事がある。デジタルカメラは依然として、僕のポケットに留められた。続きは高嶺が引き取る。


「二、三聞きたい事があるんだが」

「はあ? なんで」

「被害者なら事情聴取は当然だろう?」

「オメーは警察か」


 話が脱線しがちの高嶺に代わり、今度は僕が進行を引き取った。


「河原口さ、さっき“コイツが盗った”って言ったよね。前に聞いた時も高嶺のことを犯人だと思ったんだって?」

「……それがなんだよ。なくなったカメラ持ってりゃ誰だってそう思うだろ」

「うん。でも、それが“誰かに盗まれた”って、どうして思うのかな、って」

「それは」


 一瞬黙り込んだ河原口は、視線を右下にさ迷わせてから、不機嫌な表情を僕へと向けてきた。


「毎日持ってるもんがなくなったら、普通盗まれたって思うはずだ」

「そうだね。ちなみに、カメラがなくなったのっていつ?」

「……昨日だけど」

「そうなんだ。ちなみに何時頃に気が付いたの?」

「放課後。パソコン室に来てから、ないことに気付いた」

「そのあと探したりはしたの?」

「……いや、パソコン室にいるのが先生にバレて、追い出されて……そのまま帰った」

「なるほどなるほど」とは高嶺。


 僕はわざとらしく腕を組み、もっともらしい表情と共に首を傾げながら、続ける。



「それって変じゃない?」



「え?」

「だってろくに探してもないんだよね。なくなってから一日しか経ってない。それでどうして“盗まれた”って思うの?」

「それは、だって……」

「高嶺に聞いたけど、いつも持ってるんだろ。肌身離さず。ああ、直生さんに取材の依頼に来たときも一枚不躾に撮ってたしね。そんな風にどこにでも持って行っているのなら、どこかにうっかり忘れたりしていてもおかしくないと思わない?」

「……っ俺がカメラを放っておく時は絶対ロッカーに入れとくって決めてんだよ!」

「へえ? ロッカーって、鍵付きの?」

「……ああ。トイレとかに行く時だって、いつも入れてってる。小遣い貯めて買ったから結構高いし」

「ふうん。鍵はどういうタイプ?」

「ダイヤル錠」

「パスワードの数字を他の誰かに知られてるってことはない?」

「んなわけ」


 そこで河原口は、一瞬言葉に詰まったように唾を呑み込んだ。数秒なんて長いこともなく、本当に唾が絡んだぐらいの瞬間的な反応だ。


「昔から使ってたり、昔の彼女の誕生日とかにしてたらすぐにバレるぞ」


 河原口の苛立ちが舌打ちとなって飛び出し、「もういいだろ、返せよ」と再び手が伸びる。これ以上所持していると今度こそ泥棒のレッテルを貼られてしまいそうなので、僕も大人しくポケットの中からブツを取り出した。


 渡してから、中身を確認してもらう。とはいえ、データやSDカードの類がないことは僕たちも把握済みだけど。河原口はカメラの電源を点け、それからSDカードの有無を何度も確認した。中に何の写真も残されていないことを知ると、河原口は、ほっとしたような、それでいて怯えるような、妙な表情を浮かべていた。


「……お前らが見たときも、もうなかったのか?」


 結局、高嶺の人望のなさゆえか、中を見ていることはバレているらしい。肩を竦めて高嶺が答える。


「ああ。言っておくが俺達は盗っちゃいないぞ」

「わかってるよ」


 河原口は肩を落とし、ただ俯いて、意味のないボタンの操作を繰り返していた。

「ちなみにどんな写真が入ってたんだ?」

「……言えない。覚えてない」

「あ、じゃあいつの分のデータからないのか教えてよ。河原口ともなればデータ管理ぐらいこまめにしてるだろ? 数年前の写真からない、ってこともないと思うし」

「……最後にバックアップ取ったのは、先々週の木曜だったと思う。ちょうど試験前で部活停止期間になる前日だったから」

「結局ここにたむろしてる時点であんまり停止期間関係なさそうだけどな」

「お前にだけは言われたくねえよ」


 あとはもう聞き出せそうもない。背を向けて去ろうとしたところで、高嶺が足を止めて振り返る。


「最後にもうひとつだけ質問だ」

「何」

「お前、これを盗まれた心当たりはあるのか?」



 河原口は、その問いに答えないまま扉を閉めた。

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