〈六〉怪盗とデジカメ


 翌日の昼休み、僕は再び古典資料室の中で、申し訳程度に空いたソファの片隅へと腰を下ろしていた。


 僕のちょうど隣にあたるところが綺麗にスペースを設けられているのは、なにもこの部屋の主である高嶺が掃除に精を出したからではなく、つい数分前まで直生さんがそこに座っていたからだ。ひとつ、ふたつ、程度の段取りを確認し、「くれぐれもよろしく頼むわよ」と明らかにやる気のない僕に念押しすると、直生さんはこの部屋を後にした。デジカメが盗まれた件で、昼食がてら情報収集に向かうらしい。見送った背中はスキップでもしかねないほどに浮かれポンチといって差支えなかろう。不敬は心の中でぐらい許されろ。


 仕方なく、僕は嬉野家の料理人お手製の弁当をこの部室でとることになった。曲げわっぱの弁当箱に入った出汁巻きは今日も絶妙な美味しさだというのに、今日は目の前にいるのがカップラーメンを啜る男であるがゆえに気分はいかんせん、微妙だ。


「というか、紙や書物を扱う場所でカップラーメンを啜るなよ……」

「しんふぁいにはおよははい」

 とふがふが言いながら勢いよく麺をすぼめた唇の中に吸い込んでから、「俺は飛び散る汁の行方をコントロールできる男だ」


 言った傍から近くの原稿用紙に落ちた雫がみるみる内に染みを作っていることには、どうやらこの男、まだ気がついていないらしい。

 さすがに高嶺の座る場所から僕のところに飛ぶわけはなかろうが、僕はすこしでも被害に遭わずにいられるように距離をとった。


 絶品の金平牛蒡をつまみ口に放り込むと、カリコリと音が鳴る。鷹の爪が効いているのだろう。ピリ、と舌先が幸福に痺れた。

 そのせいか、僕の口も、ピリリ。やや尖がる。


「おまえのせいだからな」


 そう言うと、高嶺はずるずる音を停止させ、僕を見た。


「なにがだ」とは、依然として麺が防壁になっている高嶺の言語をアフレコした翻訳だ。

「全部だよ。今日の弁当が高嶺のせいで若干まずく感じるのも、直生さんがまた余計なことに顔も足も手も突っ込んでるのも、それからまた妙な役目を仰せつかっちゃったことも、全部」

「ふむ」


 と神妙に頷いてから、高嶺は口の中のものを一頻り飲み込んだようだ。言葉が続く。


「一番目はまあ、認めよう。野郎二人で飯を食べるより、お嬢みたいな美人と一緒に食った方がそりゃ弁当も美味かろうよ。俺から言わせれば普段が恵まれすぎだ」

「野郎云々じゃなくおまえと食うのが気分下がるっていってるんだけど、理解してる?」

「してない」

「あっそう」


 僕は唐揚げを口に運んだ。冷めてもジューシーで、噛むと肉汁が口の中に広がってゆく。現状、僕の心を平穏で満たしてくれるのはこの弁当だけだ。


「が、二番目以降に関しては――これは俺の責任ではないだろう。そもそもここに来て色々と尋ねてきたのはお嬢だし、俺が何を言おうが結果にさして違いはなかったはずだ」

「時計ウサギがいなきゃアリスは穴になんか落ちなかったはずだろ」

「どうかな? あの人なら穴に続く米粒でも追って自分から地下の国に降りてゆくんじゃあないか」

「…………」


 沈黙は肯定の意だと最初に言ったやつをぶん殴りたい衝動に駆られ、僕は真っ白な雪原に箸を立てた。秋田県産の高級コシヒカリと知りつつも、今はこのピンと輝く米粒が憎らしい。

 思いっきり頬張って呑み込んだあとに出てくるため息は、それでも、高嶺の言っていることが正しいと知っているからだ。


「あー……失態だったなぁ」

「デジカメのことか?」

「それ以外に何があるんだよ」

「そりゃそうだ」


 欠片も気にした様子を見せない高嶺に苛ついて、僕は悪態をつく。


「やっぱぜったいおまえのせいだ」

「そういえばこの間、絶対に好きになれない男のホニャララランキングというやつを見たんだが」

「はあ?」

「責任転嫁野郎はランキング三位となかなかの好成績だったぞ。改めろ」


 傍にあったコーヒーフレッシュを投げたが避けられた。無念だ。

 もう麺がなくなったのか、高嶺は割り箸を入れたまま発泡スチロール製の容器を傾けていた。だらしなく開いた詰襟から覗く喉が上下する様を見て、こいつは長生きしなさそうだ、と僕はやや同情した。いや、でも憎まれっ子世にはばかるとも言うからな。真相は何十年後まで待たねばわからない。


 もっとも、高嶺からの返答はそう待たずともよかった。少なくとも、要した時間は汁を飲み終えるまでの時間で十分だ。


「だが」そう言いながら、高嶺は唇をぺろり、と舐める。

「お嬢も言っていたとおり、元々金目のものは盗まないのが怪盗はいからの信条だ。あの依頼にはただ盗んでほしいとしか書いていなかったし、匿名希望。あれじゃあ単なる悪戯だと判断するさ。俺も、ね」


 暗に責任はお互いにある、と言いたいのだろう。僕は同意も反論もしないまま、機械的に弁当の残りを口に運んだ。



 たしかに、あの依頼を冗談ではないと見抜けなかったことは――失敗でもあった。

 僕たちが、依頼を判断するのだから。



 週に一度、金曜日の昼休みに、高嶺と僕はその週にあった依頼に目を通しその内容を吟味したうえで、依頼を受けるかどうかの相談をすることにしている。高嶺から投書箱にデジカメの依頼が入っていると報せが届いたのは先々週の金曜日のことで、既に放課後を迎えていたから相談は持ち越された。もっとも相談するより前に、高嶺のいうとおり、本名もなければ盗みの対象も高額である。早々に不受理の判は僕と高嶺の頭の中で押されていた。



 なぜ僕たちが依頼を判断するかといえば、それが伝統だからだ。文芸部部長としての。



 ――怪盗はいからが大人たちによって排除されないことには理由がふたつある。


 ひとつには、怪盗はいからの盗むものには価値がない。価値の定義はひとそれぞれであれど、少なくとも、被害者側が声高に被害を主張するほどの価値は、それには存在していない。


 そしてもうひとつには、教師や舟堂高校の歴史にそれなりに詳しい人物であれば既に知っているのだ。つまり、七不思議と化している怪盗はいからの正体が――――歴代の文芸部部長であった、ということを。



 もっとも、今この学校に通っているものでその事実を知る人物はそうそういないだろう。怪盗はいからにまつわる資料はほとんど残されていないと聞くし、直生さんも気づいていることとは思うものの確証に至る資料がないのだ。僕との会話で、以前の怪盗はいからの正体について触れられたことはない。


 本来なら、僕も知らなかったはずだ。きっと七不思議のうわさみたいなものだと、それで終わりのはずだった。


 しかし現実と理想は異なるものだ。僕はひょんなことからその事情を知り、不本意ながら高嶺を手伝うこととなってしまった。


 名探偵を志すお嬢さんの傍らにいながら、僕は怪盗の片棒を担いでいるわけだ。

 それに加えて、今回のこの体たらく。ああ、また弁当が風味を失ってゆく。僕は呻いた。


「しっかし、まさか本気だったとはな。わざわざ自分で盗ってくるとは予想外だ」

「ほんとうに盗品なのか? 河原口のもんだって証拠もないんじゃ」

「俺もそう思った。SDカードも何も入ってなかったし、データから誰のものか判別することはできなかったから、それとなく河原口にカマをかけてみたんだよ」

「そしたら?」

「大慌ての大憤慨。あわや犯人にされるところだった」

「今このデジカメを持ってる時点でほぼ犯人みたいなもんだと思うけど……」


 ちらり、と僕が横目で見た先には、原稿用紙の上に置いてあるデジカメがある。昼食を食べ終えたら返しに行くつもりで取り出してあるのだけれど、今にも崩れ落ちそうな本によって破壊されるのではないかと若干心配になってしまう。


「いつも持ってるカメラがないから不思議に思っただけだと言ったんだが、もとより俺の信頼は薄いらしい」

「そりゃ高嶺は胡散臭いから当然」

「これでもクラスメイトなのに」

「そんなことより昨日のファイル取って」


 ぶつくさ薄っぺらい不満を聞き流しながら、高嶺がファイルを用意している間に弁当の残りを片づけてしまう。手を合わせ目礼を済ませたところで、丁度よく差し出されたそれを受け取った。


 昨日の時点では、直生さんと一緒に聞くまで、僕もこの逆依頼の存在は知らなかった。直生さんの手前じっくりと観察することが出来なかったぶん、なにかヒントはなかろうかと空白まで逃さぬように集中を傾ける。


「これ、わざわざ端がわざわざ綺麗に切り取られてあるよな」

「それが?」

「ノートの一ページだろうがはたまたルーズリーフだろうが、それが分かったところで大してバレる心配はないはずだろ」


 僕が言うと、高嶺は確かに、と頷いた。


「警察が介入するならまだしも、俺達も、そして怪盗はいからもただの一生徒。それにしては念の入れようが……」

「……厳重過ぎる」



 定規で書かれた筆跡不明の文字。人気のないロッカーを経由する返却方法。



 ――絶対に、知られたくない――



 差出人の姿は見えないはずなのに、その想いだけはこの依頼状から強く伝わってくる。この依頼人は、のだ、と。

 いつものように椅子を傾けた高嶺から、「で?」という一音が響いた。


「それで? お嬢のスチュワードの意見は?」


 誰が家令スチュワードだ。眉間に皺を刻み付けながら僕は立ち上がった。


「ここまで厳重にしているのは万が一にも正体を知られたら困るから。でもそれは怪盗はいからにじゃない。恐らくは―――」





 ――今回の被害者、河原口正敏に、だ。

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