〈五〉お嬢さんと盗品
「お嬢は、どういう依頼が叶えられて、どういう依頼が聞き入れられないか知っているか?」
高嶺がそう切り出すと、直生さんはやや唇を尖らせた。翻訳するなら、知らないとでも思っているんですか、とでもなろうか。
けれど口にすることはしないまま、直生さんは、それこそ素直に掌を上にした。
「まず」と口火を切ると、それにあわせて親指を折り曲げる。
「依頼者本人の名前でなされなければならないということ。ペンネームや偽名、別人の名を騙ったものは聞き入れられません。それから、誰かを傷つけるような依頼、金銭やそれを目的とするようなもの、金銭とは直接結びつかなくとも、試験の答案など何らかの理由で利益を生むようなものもだめ。でしたよね?」
「ああ。じゃあたとえば、デジタルカメラを盗んでほしい――そういった依頼が、匿名で投函された場合。それは叶えられると思うか?」
直生さんの返事は早かった。
「無理でしょうね。万が一聞き入れられるとすれば、それが元々依頼者のものであり盗まれたものだった、という場合ですけれど……匿名だと調べる術もありません。というか、そういう事を防ぐための記名なのだと」
「その通り」
頷くと、高嶺は机の引き出しを開け、僕たちの座るソファへと近づいてきた。そして、サイドテーブルの上に、取り出したものを乗せた。
ゴトン。
小さな見た目に反して、それなりの重量がある。そんな音を立てて、マルーン色のちいさな四角が置かれた。なんだ、と尋ねるまでもない。デジタルカメラがそこにあった。
はじかれたように直生さんが顔を上げると、質問が飛ぶより先に、高嶺は首を横に振る。
「名誉にかけて誓うが、怪盗はいからは盗んでいないよ。お嬢さん」
「でも……それじゃあ、こちらは? 高嶺さんの私物ですか?」
「いいや。これは確かに、盗まれたものだと思う」
「えっ」
「まあ、これを見てごらんよ」
高嶺は自分の机の上に放置していたらしいクリアファイルを手に取ると、直生さんに渡した。惑うような眼差しが僕を一瞥したものの、僕に止める様子のないことを悟ると、そのまま白い指先でおずおずとファイルを開く。
一番左側のファイルに、それはあった。
何の変哲もない、ノートの一ページ。ルーズリーフなのか、それともノートから切り取られたものなのかは分からなかった。端が綺麗に切り取ってある。
ほとんどの場合、依頼と言っても綺麗な封筒や便箋で「拝啓怪盗はいから様」などと認められている例はほとんどない。これも例に漏れずだ。怪盗はいからへの悪ふざけを目論み実行までするのは大抵が男子生徒ばかりだから、まあ当然だろう。なにせ都市伝説のようなものなのだ。それが叶えられるまで、半信半疑どころか三信七疑ぐらいの気持ちが強いはず。数百円のレターセットを費やすような奇特な人物はそうそういない。
唯一珍しいといえば、その文字であった。
すべてがカタカナで記された文字は、線のひとつひとつが定規で引かれたかのような直線となっており、ノートの罫線を大きく無視して記されている。恐らくは、その文章から依頼者がどんな人物で、そして誰であるのかを悟らせないためだ。凝っている。
ニネンビーグミ カワラグチマサトシ ノ
デジタルカメラ ヲ ヌスンデクダサイ
「二年B組というと……高嶺さんのクラスですよね」
「ああ。
「存じ上げています」
意外そうな表情を高嶺がするので、僕が補足した。
「一年のとき、名家のお嬢さんの実情はどんなもんなのか取材させてくれって、先輩引き連れてきたことがあるんだよ。もちろん丁重にお断りしたけど」
「お前が?」
「直生さんとお父上の意向でもある」
にやにやチェシャ猫のような笑いを浮かべる高嶺を一蹴するために、そう付け足した。
「それもありますけれど、委員会で仲良くさせていただいている方が河原口さんの幼なじみで。よくお話を伺っているんです」
「そんなやつの話して、何が楽しいんですか?」
河原口にいいイメージを持っていない僕は、少なからずその感情が口調に出てしまったのだと思う。直生さんと高嶺が呆れた顔で、僕をまじまじと見つめた。
「女子が固まって男の話をするとき、その内容なんて決まりきっているだろう」
「はあ?」
「幸大。あなた、本気で言ってるの? わからないふりをしているんじゃなくって?」
「僕は男なんだから女の子の会話の内容なんて知るはずもないじゃないですか」
「朴念仁……」
直生さんの唇からぼそりと呟かれた言葉はきちんと僕の耳に届いた。自分でいうのもなんだけれど、僕は愛想がいいほうだと思う。当たり障りのない対応なら得意だし、物分りもいいほうだろう。現になんだかんだいいつつ直生さんに付き合っているのがいい証拠だ。
机の縁に腰を預けた高嶺は、「つまりは」と直生さんが呆れて紡げない続きを引き取った。
「正之守に縁のない話ということだ」
「はあ」
「お前、色恋に興味はないんだろ」
ようやくピンときた。なるほど。そういう話か。
「興味がないの? 好きな方がいないとか、そういうことではなく?」
「ひょっとしたら女性に興味がないのかもしれん」
「まあ」
「直生さんに妙なことを吹き込むな。それにいい加減話を戻せよ、脱線もいいところだ」
とんでもない方向に飛び火する会話に水を差すように、僕は直生さんが持っていたファイルを取り上げた。
一ページ目の怪文書にも近しいこれは、内容から察するに依頼書なのだろう。依頼人の名前だけが、ここにはない。
「怪盗はいからが盗んでいない、ということは、こちらの依頼は引き受けられなかったのですね?」
高嶺は頷く。
「事情があるかもしれんが……俺も河原口とは同じクラスだし、あいつがこのデジカメを入学のときから使ってることぐらい知ってる。文字の体裁も含めて、まあ悪戯だという判断が下されるのは当然だろう」
「ならばなぜ、ここにこのデジカメが?」
「それは次のページでおわかりになるかと」
仰々しい物言いに、僕はページを捲った。
捲る前の依頼書と全く同じ位置に、それはあった。
最初は、一枚目のコピーかと思った。同じように切り取られたノートの一ページ。直線ばかりで形成されたカタカナの羅列。ニネンビーグミ。カワラグチマサトシ。デジタルカメラ。キーワードは一致している。
違うのは、最後の一群だった。
「河原口正敏“に”デジタルカメラを“お返しください”……?」
僕が読み上げると、はっ、と直生さんが息を呑む。僕の目は二度目の依頼書に向いていたけれど、それでも直生さんの視線がデジタルカメラへと移ったのは易々と想像がついた。
ギシリ、と机が悲鳴を上げた。高嶺が腰を上げるために体勢を変えたからだろう。デジタルカメラを取り上げ手の中で弄びながら、高嶺は言う。
「今日の昼休み、購買から戻ってきたら目安箱に入ってた」
「デジタルカメラもか?」
「いいや。貴重品をこんなところに入れるやつはいないだろ。裏を見ろ」
さらに捲ると、ノートの裏側が見えた。そこには「家庭科室前廊下」、「ロッカー」、「右三上二」という、おそらく場所を示すであろうキーワードがいくつかと、「45322」の数字が記してある。例に漏れずすべてが直線で、最後の数字の塊を除けば数字すら音でしか記してないので、「ミギサンウエニ」に躓いたとき、高嶺が注釈を入れた。
恐らく、これらのキーワードは場所を示しており、実際そこにあったのだろう。恐らくも何も、既に回収したデジタルカメラは高嶺が持っているのだ。
「最後の数字は暗号ですか?」
探偵小説の読みすぎである直生さんが言う。
「いや。単なるパスワードだ。ダイヤル錠がつけてあって、それをそのまま入れたら開いたよ」
「あら」
残念、とでも続きそうな物言いだった。
「最初の依頼が入っていたのはいつごろなんですか?」
「確認したのは先週の月曜日だな。朝にはもうあったから、前日の夜か当日の早朝かに入れたんだろう」
「月曜日? それなら金曜日に投函した可能性もあるのではありませんか?」
「日曜日も俺はここにいたんだ。帰りに確認してる」
今日は月曜日。最初の依頼からはまるごと一週間空いている。実際に河原口のカメラをいつ盗んだのかにもよるけれど、一週間は依頼主も様子を見て待ったのかもしれない。怪盗はいからに盗む気がないと判断して実行に及んだのだろうか。
いや、しかし、もっと気になることは。
「お前、ちゃんと家に帰ってるのかよ……」
「何を言ってるんだ正之守」
すかさず反論が返ってきたことに安堵したものの、それは一瞬でしかない。
「さすがに洗濯は家じゃなきゃできないだろ」
眩暈がした。
現実逃避にふと隣を見ると、直生さんが僕のほうに身を寄せてファイルを覗き込んでいる。ぎょっとした。近い距離はもとより、今やその脅迫状に見紛う依頼書を二通――内一通はどちらかというと逆依頼書というのが正しそうだが――パラパラ漫画のように見比べること以外、頭になさそうなその熱中っぷりに、ぎょっとしたのである。
嫌な予感が背筋を走る。
一刻も早くここを立ち去りたくなり、とにかくありがとう邪魔したななどという意味合いの言葉を高嶺に投げつけた。もちろん、直生さんを立たせることも同時に行うものの、一度夢中になると周りが目に入らなくおひとである。ぶつぶつ何事かを呟きながら唇に指先を宛がう姿も、直生さんが何を考えているか知らないひとからすれば絵になる構図だろうが、僕からすれば不気味でしかない。
おまけに、ここにはもうひとり、厄介な人物がいるのだ。
「待てよ。正之守」
依頼書に接吻でもかましかねないほどクリアファイルに顔を近づけている直生さんをようやく扉まで追い立てたと思ったら、今まで僕たちのやりとりをにやにやと眺めていただけだった高嶺が口を開いた。相変わらず性格が悪い。言いたいことがあるならもっと前に済ませるか、直生さんがいないときに言ってくれ。僕は呻いた。
「なんだよ……」
「こちらにも守秘義務ってもんがあるといっただろ」
「この部屋のどこにそんなもんがあるんだよ、とも僕はいったけど」
「守秘義務ってもんは目に見えるもんじゃあないからな」
「はあ」
「さて。それでは未だに現実から逃避しようとしている正之守に問題だ」
「要らない答えない僕たちは帰る」
ささ、行きますよ直生さん。と声をかけながら非礼を承知で背を押すと、別の力が加わっているかのごとく動かない。先ほどまでなすがままだったというのに。案の定、覗き込んだ先にある直生さんの瞳は超新星のごとく煌めき、今やブラックホールもびっくりな吸引力で、僕を、この世界を絡め取ろうとしている。
「なぜ、この謎の依頼書を二通とも、お嬢に見せたか――わかるか?」
駄目押しとばかり、背後からかけられた問いが、ひどく憎らしかった。
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