〈四〉お嬢さんと依頼


 怪盗はいから――――――



 世の中に存在するおおむねの学校に七不思議が語り継がれるように、舟堂高校にもまた、語り継がれている存在のひとつがそれだった。


 校長の銅像の鼻が折れているのは怪盗はいからが盗んだからだ、とか、実は隠し扉の向こう側にアジトがある、とか。こういうものの例に違わず、その存在を知る生徒の数だけ様々な説がある。詳しくは知らないものの、怪盗はいからの登場はもう数十年前だと聞くから、彼――または彼女――の歴史は存外長い。


 もっとも、たとえばアルセーヌ・ルパンやルパン三世のように指名手配がなされるほどの大泥棒というわけではない。そうであれば教師や警察の介入など、然るべき対処が行われていたはずだ。それが今の今までなされていないのには、大きな理由がふたつある。



 ひとつには、怪盗はいからが盗むものにはどうやら金銭的価値がないらしい、ということ。



 金銭的、というと弱いかもしれない。僕たち学生や、舟堂高校に勤める教師にとって、利益になるようなものは一切盗まない、というほうが正しい筈だ。


 たとえばテストの答案用紙。

 たとえば誰かの高い腕時計。

 好きな女の子のリコーダーや体操服。


 そういったものは盗まない。もしもそれらを盗まれてしまったのなら、それは怪盗はいからの仕業ではないか、怪盗はいからが動くほどの理由――たとえば、ある女の子を好きなあまり体操服を盗んで新しいものと取り換えてしまったけれど、やっぱりよくないことだと思うので元に戻してほしい、など――があったかのどちらかだ。


 そもそも、怪盗はいからは誰かからの依頼がなければ動かないとされている。


 だから怪盗はいからが現れたときは、必ず誰かの依頼があるときだった。依頼は文芸部部室の入口にある目安箱に入れられることになっている。たまに授業もそっちのけでこの部室に居座る高嶺は、その目安箱の中身を常に把握していた。直生さんがこの場所を目指したのも、それが目的のひとつだろう。



 そしてもうひとつ――むしろこれがほとんどの理由を為しているといっても過言ではないが――には、教師や舟堂高校の歴史にそれなりに詳しい人物であれば、怪盗はいからの正体など既にわかりきっていたのである。



 直生さんの質問に、高嶺はひゅう、と吐息が通り過ぎるだけのへたくそな口笛を鳴らした。


「いったい今度は何を見つけてきたんだ?」

「それは……」


 答えようとした僕を眼差しだけで黙らせてから、直生さんが続きを引き取った。


「情報は等価交換でしょう?」

「ごもっとも」


 異を唱えることなく高嶺が頷いたのは、後の回答のせいだとすぐにわかった。躊躇いも、躊躇うほどの依頼もなかったからだ。


「残念ながら、ここしばらくそれらしい盗みの依頼はないよ」

「ひとつも……ですか?」

「ま、そりゃいくつかはあったけど。それも入学して数か月の一年生が七不思議を試すような気持ちで突っ込んだぐらいのもんだ」

「テストの答案を盗ってきてくれ、とか?」

「ダレダレくんのデジカメが欲しい、とか、ナントカ組のホニャララちゃんのハートを盗んで! とかね」

「ルパン三世じゃあるまいし……」

「ロマンチックでいいじゃないの」


 女性らしい反論が入ったところで、話を戻す。

 つまりは、直生さんの期待するような依頼の類はなかったのだ。高嶺の回答を得て、僕たちも事情を説明する。

 廊下に落ちていた一粒の米。そして近くのゴミ箱に捨てられていたひとつかみほどの米粒。調理室からは遠いその場所で、誰が、どうして米粒を捨てたのか。


 直生さんが気になる点も含めて説明を終えると、高嶺は一度、呆れたように眉の片方を持ち上げた。男にしてはやや長めの金髪は、額を晒すかのように真ん中で分けられていたから、その動きはよく目立つ。


 その意は、ほどなくして僕にぶつけられた。


「お嬢はそのへんに落ちてた米粒まで怪盗はいからの仕業だと思うようになったのか。盲信的だな」

「言葉が過ぎるぞ」


 そのとおり、と思ったが、一応反論しておく。


「べつに、わたしだってほんとうに彼の仕業だと思ったわけじゃありません」

「え、そうなんですか?」

「ええ。一割ぐらいは他の可能性もあるやも、と」

「……そういうのはほとんど怪盗はいからの仕業だと思っている、と言わないか?」


 直生さんはしれっと首を傾げて、「そうですか?」ととぼけた。


「だって、みょうちきりんな……謎といえるような出来事には、彼が関わっているのが常ですから。米粒は直接関係ないかもしれないけれど、彼が関わっていることを示すピースになり得るかもしれませんでしょう。その可能性を当たってみたかったのと……」

「と?」


 直生さんはやや前のめりになって、続けた。


「なにかそれらしきものを見つけたら、とにもかくにも聞き込みに行くのが探偵の鉄則じゃあありませんか!」

「……」


 つまり、探偵らしい雰囲気を味わいたかった、というのが概ねの理由といって間違いないということか。

 僕の主である直生さんの探偵狂に今更驚く高嶺ではない。肩を揺らして笑うと、「相変わらずだな」と僕に視線を寄越した。ほんとうに、苦労しています。


「まあ確かに妙といえば妙だが、米粒ぐらいじゃあなあ。言っとくが米粒を盗んでほしいなんて依頼はなかったぞ」

「……それじゃあ炊飯器だとかは?」

「ないない」

「まあ届いても受けないでしょうけど」


 一応炊飯器も金目のものに当たろう。


「そうよねえ。じゃ、飯盒はんごう……」

「米を炊くことから離れませんか」

「いってみただけよ」


 古めかしいソファに背を預けて、直生さんはため息を吐く。上下する胸の動きが落胆の度合いに比例しているようで、すこし大袈裟だった。



 直生さんの考えは、僕も理解できないわけでもない。


 たしかに、謎は謎なのだ。



 いったい誰がどうして米粒なんかを捨てたのか。直生さんにおどけて伝えた推論を、僕自身本気で信じているわけじゃあない。普通のことでは説明がつかないから、正直にいうと居心地の悪い、謎の気配を感じたりもする。


 けれど、この世のすべての事象に説明がつけられるわけでもない。所詮僕たちはしがないただの高校生であり、シャーロック・ホームズでもなければジョン・H・ワトスンでもないのだ。


 しょんぼりしている直生さんの横で、僕は素知らぬふりで全く別のことへと思考を走らせていた。正直、もうそろそろ腰を上げてもいい頃合いだとすら思っている。

 厄介払いをしたいのは高嶺も同じなのだろう。後押しをするように口を開いた。


「そもそも、妙な依頼ってのもなぁ。米粒関連ではなかったぜ」


 僕はそのときの後悔を、一生――はいいすぎかもしれないから、少なくともこの事件が解決した後向こう一週間程度――は忘れないだろう。



 ぴくり。



 隣に座っている直生さんの肩が動いた。

 そして、僕の身体も。これはきっと悪寒だ。



「……じゃあ、米粒以外なら?」



「え?」



「米粒に限定しないのであれば。あったんですか? 妙な依頼」

「…………」



 しまった。


 という表情こそ浮かべないが、ああ言えばこう言う性格の高嶺が沈黙するということとはおおむね同義だ。高嶺は僕に視線を移すと、上っ面の笑顔を傾けた。僕は張り倒してやりたい衝動に駆られた。



「お話しして、いただけますね?」



 すっかり持ち上がった顔には煌めく瞳。渦巻く銀河。

 その引力に、僕も高嶺も、もう逃げられないのだと、しかたなく悟った。

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